Kudou's blog

Broachから引っ越してきました。
よろしくお願いします。

 2月も終わるらしい。振返ると、、 (長文)読む必要なしです。

2006-02-28 21:40:19 | インポート
 2月も終わるらしい。振返ると、昨年の12月17日頃からブログを始めたようだ。
 総記事数は、これを含めると五百本になるようだ。気楽に記事をアップしているし、最初の記事を読むと肩の力が抜け過ぎている。
 当たり前だろうと思う。下書きも何もなく書き続けていたのだ。何も考えていないという事である。400字詰めのフォーマットで書いていれば、1ページに2時間くらいかけるのが通常だった。反論の余地を残さないように武装もしてきた。そういう書き方をするもあったが、機会を失ったようだ。もっとも自殺行為のようなことでそうなったので自己責任であるから文句も恨みもない。
 
 自営業の商売も無くなったのは何回も書いてきた。何回も書くというのは,相当ショックだったんだろう。と、他人事のように分析している。心は御しがたい。
 確認してみても何も無い筈なんだけど、他の方(かた)から見ると有るよう見えているのだろうか。そう思うのは、傲慢のなせる技だ。改めて職種も、名誉も、地位も世間的によって立つ何も、持っていない。取り立てて、誇るものも無い。収入以外の悩みも今は無い。これからは解らない。
 「まだ来ない、未来など、心配する必要は無い」と思っている。これは、ブログを始める前からだったが今も同じ思いだ。
 
 無常である。全てが移り変わっている。ブログの記事を載せながら、それを確認してきた。ゆっくりといつも変わる街を見てきた。ブログに写真を載せるようになって、つまらぬ変化も見逃さないようにしてきた。市(いちば)で魚を売るオジさん、おばさんの声は変わらない。けど、一人二人と入れ替わった人がいた。コンビニも100円ショップの陳列も1週間と同じ場所に無い時もあった。道順を変えている数日の間に消えた家やビルもあった。空き地は,はじめからそこに有ったように、道行く人は歩き誰も空き地を見ようとしない。どこにでもある風景だ。そして、たまたま話題にのぼると驚いたように気づくのだ。人は、そうしていつも変わらぬモノを追い続けているのかもしれない。窓越しにシャッターを押そうとすると、どこかのクソオヤジが窓に写って立っていた。邪魔だと思った、よく見ると自分であった。私は大きく風体(ふうてい)が変わったようだ。いや、街行く人と同じで気が付かないようにしていたのかもしれない。今はしっかりと見られるようにしたいと思っている。
 
 この2ヶ月半強は、面白かった。ブログのコメントには返事をすることだけは、旨としていた。ブログを始めるにあたってこれだけは決めていた。
 あとは、パソコンのスケジュールに毎週土曜日に”ブログを書くように”という催促を出すように設定しただけだ。だから、こんなに書き続けることは自分でも思っていなかった。みなさんのおかげである。「感謝します」
 
 ブログ内を見ると、カテゴリーもバラバラである。もう少し整理したいと思っているが記事が500本になるとうんざりもしてくる。また、ブログの見栄えを変えている人も多くいらっしゃっている。しかし、私にそんな才は無いし、やる気も無い。もともとデザインセンスが無いからそういう気力は湧かない。ただ、いい機会なので内容を少し充実していきたいと、今、思った(笑)。だから、明日はどうなるか解らない。内容を充実するには、刃物を磨くように鋭い洞察力も備え鍛えなければならない。当然,記事の本数も減る。量産で勝負して来た私には、ちょっとつらいかもしれない。このまま行くかな、思案のしどころである。
 
 そういえば、今日も街に出た。信号が青に変わった。歩き出した。その瞬間、目の前に車が通り過ぎた。信号無視だった。車を目で追いかけると、おばさん二人が楽しそうに話しているのが、リアウィンドウ越しに見えた。信号無視にも気がつかなかったようだ。ほんの数秒のできごとだった。人生は、相変わらず、常(つね)なる事は無い。無常である。