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岡潔/多変数関数論の建設:大沢健夫

2018年08月19日 01時46分37秒 | 物理学、数学
岡潔/多変数関数論の建設:大沢健夫

内容紹介:
岡潔は1936年から1953年にかけての9本の論文で多変数関数論の主要な問題を解決して、この分野の基礎を築きましたが、始めから明確な研究目標があったわけではなく、当時の解析学の大要を書いたグルサの本で多変数関数論の章を読んだときの印象を「霧ながら大きな町に出りけり」であったと回想しています。その地点から多変数関数論の建設を行うには、荒れ地の岩を穿つような腕力を要したことが想像されます。
岡潔の数学は、一口にいえば多変数の解析関数というものの本性を明らかにするものです。その神秘のヴェールを一つ一つ剥ぎ取っていった岡の理論の中で最も有名なのが不定域イデアルの理論であり、解析関数の世界をユークリッドの互除法に相当する命題(岡の連接性定理)で統制するものです。岡の名を不滅にしたこの理論は、第一論文で示された「上空移行原理(拡張定理)」を一般化し、深める過程で発見されたものでした。また、この一連の研究には「ハルト―クスの逆問題の解決」という究極の目標がありました。それはリーマンやハルト―クスからさらに進んで存在域の概念をさらに拡張・洗練することにより、多変数関数の母なる大地としてのリーマン面の一般化を完全な形で確立することでした。岡は結局これを最終的な形で解くことはできませんでしたが、そのために積み上げた理論は今日の数学に大きな影響を与えています。本書の解説が、このように素晴らしい岡理論への入門となれば幸いです。興味を持たれた読者は、足りないところぜひ専門書や岡のオリジナル論文(日本語訳付き)で補ってください。(本書「はじめに」より抜粋)
2014年10月刊行、227ページ。

著者について:
大沢健夫
1951年富山県で生まれる。1978年京都大学理学研究科博士課程前期修了。1981年理学博士。1978年より1991年まで京都大学数理解析研究所助手、講師、助教授をへて1991年より1996年まで名古屋大学理学部教授。1996年からは名古屋大学多元数理科学研究科教授。専門分野は多変数複素解析。

岡潔: ウィキペディアの記事
岡潔文庫(奈良女子大学): 開く
岡潔関連の本: Amazonで検索


理数系書籍のレビュー記事は本書で374冊目。

多変数関数論への興味の発端は今年の2月に放送された読売テレビ開局60年スペシャルドラマ 「天才を育てた女房」(ブログ記事)である。

岡潔自身による本や人物像を綴った一般読者向けに書かれた本も読んでみたいが、まずは彼が切り拓いた世界がどのようなものか、論文は無理だとしても数学として業績を知っておきたい。そのような気持ちで買ってみた多変数関数論の入門書である。岡潔の人生の物語と彼がたどった数学を交互につづりながら進んでいく本だ。

多変数関数論の三大未解決問題とは「レビの問題」、「クザンの問題」、「近似の問題」のことで、すべて解決したのが岡潔である。(「ハルト―クスの逆問題」というのは「擬凸状の領域は正則領域だろうか」という問題で、レビの問題とは別の問題である。)

本書の「あとがき」に著者は次のように書いている。

本書を手に取られた方の多くがおそらくご存知のように、「数学者岡潔」については既にすぐれた著作があり、それらのどれに増してオリジナルの「春宵十話」や「人間の建設」が岡先生の人物像を如実に伝えています。しかしながら、高校卒業程度の数学の素養を持つ読者のために「岡潔の数学」を主題として語った本はまだないということで、多変数関数論を専攻する筆者に白羽の矢が立ったというわけでした。

それなら僕でも読めると思い購入。すらすらと楽しく読み始めた。章立ては次のとおりである。

第1章 岡理論の遠景
第2章 岡の連接性定理
第3章 上空移行の原理
第4章 岡の原理とその展開
第5章 難問解決は突然に
第6章 イデアルの絆
第7章 峠の先の歩み

第1章の終わりまでで1変数の複素関数論の解説が終わる。理工系の学部で学ぶ教科書1冊の範囲が終わるのが35ページ目なのだ。もちろん僕はすでに学んでいることだから、復習としてちょうどよかったのだけど「高校卒業程度の読者」と書いてあったのを思い出した。

おそらく「旧制高校卒業程度の読者」をイメージしているのだろうか?だとしたら現代の大学1、2年生のことだから、高校卒業程度といってもあながち嘘にはならない。でも著者の大沢先生は1951年生まれだから66歳のはず。旧制高校の世代ではない。

おかしいぞと思いつつ読み進める。第2章「岡の連接性定理」のあたりからすでに怪しくなってきた。話の筋はわかるのだけど、証明が簡潔すぎて厳密に追うことができない。

概念の定義や定理を数式で紹介するだけで、岡潔がどのような道筋をたどって進んだかを紹介する本なのだなと思えてきた。数学の部分の記述は学部1、2年の位相空間論や解析概論レベルを超えている。すらすらと読めるのは岡潔の研究とその時代の数学史を文章で述べた箇所だけ。全体の5分の3くらいに相当する。


第2章はいわゆる「岡の連接性定理」の解説。岡の第7論文で確立された定理で、1950年代に大きく展開した「層コホモロジー論」の要になる定理だ。連接性定理は層の概念と切り離して説明できるので、いちばん最初に取り上げられている。

拡大:岡の連接性定理


この章のキーワード: アーベル関数、ワイアシュトラスの予備定理、ヤコービのテータ級数、ヤコービの逆問題、ワイアシュトラスの割算定理、ラスカーの定理、連接性定理、岡の連接性定理、不定域イデアル


第3章は第1論文に立ち戻る。この論文で岡は独創的な視点を多変数関数論に持ち込んだ。この段階で発見された命題がひとつの核となって岡理論が成長し、第7論文で結実する。そして最終的に第9論文で結実するのだ。この「上空移行原理」とは「多変数を多々変数に帰着させる」という一見突飛な考え方、問題を高い次元の空間に持ち込んで単純化しようというアイデアである。第3章の終わりで本書は半分くらい。

この章での解説の中で紹介されている「ワイヤシュトラスの乗積定理」と「ミッタク・レフラーの定理」は次のようなもの。

拡大:ワイヤシュトラスの乗積定理


拡大:ミッタク・レフラーの定理


この章のキーワード: 上空移行の原理、ワイヤシュトラスの乗積定理、ミッタク・レフラーの定理、存在域、正則領域、多重領域(リーマン領域)、凸、H擬凸、擬凸、正則凸、ルンゲの定理、有理凸性、多項式凸、岡・ヴェイユの定理、ポアンカレの問題、乗法的なクザンの問題、加法的なクザンの問題


第4章「岡の原理とその展開」は、トポロジーの歴史や初歩的な解説から始まる。岡の第3論文は「乗法的なクザンの問題」を扱ったものだが、その内容は複素解析とトポロジーの接点に位置している。具体的には正則関数を作る問題と連続関数を創る問題が、条件次第では同等であることが示されている。例えていえば、ひとつの領域が関数たちにとって住み良いところかを、連続関数と解析関数それぞれの立場に立って比較した結果を論じたものだ。これは「連続解があれば解析解もある。」という「岡の原理」のことだ。

この章のキーワード: ホモトピー、距離、曲率、測度、群、距離空間、位相空間、ベッチ数、基本群、オイラー数、モデル圏、岡の判定法、掃清可能、解析集合、複素多様体、局所座標(チャート)、局所座標系(アトラス)、開複素多様体、コンパクトな複素多様体、シュタイン多様体、層係数コホモロジー論、調和関数、ラプラス方程式、直交射影の方法、アティヤ・シンガーの指数定理、岡・グラウエルトの原理、階数、正則ベクトル束、局所自明化、自明束、束写像、束同型、正則直線束


第5章「難問解決は突然に」では「レビ問題」の解説が始まる。第6論文では「擬凸ならば正則凸(ただし2次元)」が得られていたのだが、岡潔が成した荒技は「擬凸ならば正則凸」を「レビ擬凸ならば正則凸」に帰着させたことである。これは擬凸領域を内部から滑らかなレビ凸領域で近似する問題だ。第6論文では2次元であるが、第9論文では2次元以上に一般化された。

この章のキーワード: レビ問題、レビの条件、強擬凸、レビ擬凸、ハルト―クスの逆問題、皆既擬凸関数、岡の融合補題


第6章「イデアルの絆」では、まず1977年に日本数学会の創立100周年を祝う記念行事として行われた「幾何と物理」という講演会のことが紹介される。リーマンとポアンカレが基礎を築いたトポロジー(位相幾何学)は解析学(複素関数論と微分方程式論)からの要請によった。自然の成り行きとして解析的問題における大域的位相の果たす役割に研究に関心が集まり、解析学とトポロジーを結合するというプログラムは1930-60年のひとつのテーマであった。この時期のもうひとつの方向は小平、岡、カルタンに始まった多変数の複素解析学である。これは1940-50年代に非常に活発に研究され、そのひとつの大きな帰結は層コホモロジーという新しい手法の確立である。層コホモロジーはホモロジーやサイクルなどトポロジーの概念と複素関数論との結合による混合の理論である。

「層コホモロジー」の中心はクザンの問題の「解けなさ加減」を一般的に定式化した概念である「解析的連接層を係数とする複素多様体のコホモロジー群」だ。そしてこの理論の原型は岡の「不定域イデアルの理論」である。ひとくちに言えば整数の素因数分解の理論を関数の世界に拡げたものだ。

岡が第1論文を書くにあたり、カルタンの仕事に多くを負っていたが、第6論文以後クザンの問題の一般化を考察するにあたってもカルタンの影響があった。岡はカルタンの1940年の論文「複素n変数の行列値正則関数について」を参考に研究を進め、不定域イデアルの理論の芽を育てていった。この第6章には1999年、カルタンに対して行われたインタビューの一部が掲載されている。

この章のキーワード: 岡・カルタンの理論、不定域イデアル、幾何学的イデアル、連接層、シュタイン多様体の基本定理、前層、定数層、層断面、構造層、R準同型、解析的連接層


第7章「峠の先の歩み」では奈良女子大学に教授の職を得た1949年以降のことが紹介される。岡潔は1960年に文化勲章を受賞し、1978年に没するのだが、その間、1955年にセールとヴェイユが、1961年にヴェイユとグラウエルトが、1963年にカルタンが岡を訪問している。この期間に岡の理論は数学のさまざまな分野に浸透していった。その中でも代数幾何学、偏微分方程式論、微分幾何学、特異点論、解析的整数論は多変数関数論と接点を持ったおかげで大きく進展した分野だ。現代数学を学ぶ上で多変数関数の基礎知識が必要とされるようになっている。

岡が渡った岸の先には何本もの道が開けているのが現代数学の風景だ。例えば不定域イデアルの理論はカルタンやセール、グロータンディークにより代数的理論へと姿を変え、さらに抽象化して導来圏の理論など代数学を先導している。また、レビ問題は1960年代にはL^2評価式の方法が多変数関数論に持ち込まれ、岡やグラウエルトの理論が精密化された。レビ問題の解からは1980年代に「L^2拡張定理」が派生している。また第7章では岡の研究に影響を与えた「ベルグマン核」のほか、2003年の「ヘルマンダーの定理」、「ヴェイユの積分公式」とその後に導かれた定理、岡の第7論文を参考に得れらたスコダによる「L^2割算定理」、著者の大沢先生が示した「L^2拡張定理」が紹介されている。(参考:「多変数関数論の発展の歴史」)

この章のキーワード: ベルグマン核、ヘルマンダーの定理、ヴェイユの積分公式、L^2割算定理、L^2拡張定理、乗数イデアル層、ベルクマン・シッファーの公式、対数容量


拡大: ベルグマン核


拡大: 積分公式、L^2割算定理



このように岡潔が成し遂げたことは、まさに「建設」と呼ぶにふさわしいものだ。直観的に理解可能な実関数であらわされる世界から飛翔し、複素領域、特に多次元複素領域へ及ぶ未知の世界の問題を解決しながら、その風景のほとんどを創り上げていった。

昨年10月に書いた「数学の定理は「発見」か?それとも「発明」か?」とも関わる問題である。「建設」とは発見ではなく、むしろ発明に近い。この深淵な問いは引き続き考察していこう。


関連書籍:

著者の大沢先生による多変数複素関数論の教科書。6月に増補版として刊行されたばかり。立ち読みした限りでは、僕には歯が立たないとすぐわかった。こういう教科書が理解できる人がうらやましい。

多変数複素解析 増補版:大沢健夫



もう少し易しい教科書は次の2冊。これらも立ち読みしたところ、手ごわそうだった。それぞれAmazonで目次をご覧いただきたい。

多変数解析関数論 ─学部生へおくる岡の連接定理:野口潤次郎」(第2版
多変数複素関数論を学ぶ:倉田令二朗
 


もっと易しいのがこの教科書。僕にはこの本がちょうどよさそうだ。目次を見るとわかるが、多変数複素関数論の導入部分(正則領域、微分形式あたりまで)だけ易しく解説している。このような本である。

多変数関数論 (数学のかんどころ 21) :若林功」(紹介記事



最後は岡潔とライバル、親友であり続けたフランスの数学者アンリ・カルタンによる複素関数論の初等的教科書。フランス語版の原題は「解析関数の初等的理論:1または多複素変数」である。第IV章で20ページに渡って多変数複素関数論が解説されている。カルタンがパリ大学理学部で行なった講義をもとに1963年に出版された大学1、2年生から読める易しい教科書だ。日本語版、英語版、フランス語版を載せておこう。

複素函数論:H.カルタン
Elementary Theory of Analytic Functions of One or Several Complex Variables」(Kindle版
Théorie élémentaire des fonctions analytiques. D'une ou plusieurs variables complexes - Deuxième cycle
  


参考資料:

数学者 岡潔文庫(奈良女子大学)
http://www.lib.nara-wu.ac.jp/oka/

岡潔の「多変数複素関数論」の概要に,独学で入門するPDF資料まとめ。解析接続や正則性の概念を多様体上で一般化
http://study-guide.hatenablog.jp/entry/2015/12/24/岡潔の「多変数複素関数論」の概要に、独学で入

不定域イデアルの理論と多変数代数関数論への路
評伝「岡潔」のための数学ノートI(未定稿):高瀬正仁
http://www2.tsuda.ac.jp/suukeiken/math/suugakushi/sympo08/08takase.pdf

複素解析学特論(多変数)PDF文書 - 東京大学
http://www.ms.u-tokyo.ac.jp/web/htdocs/publication/documents/saito-lectures


関連記事:

天才を育てた女房(読売テレビ)、数学者 岡潔
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d30aa855f68847fddb48b6078402f1f3

多変数関数論 (数学のかんどころ 21):若林功
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/8b2760c0eb98a5edb6450d3e8dda53cf

解析学入門のための教科書談義
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/22c325e49cfd7c721679dbc2896b86a4

ヴィジュアル複素解析
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/2f47e7b748d4ca7022dc53305388a00b

なっとくする複素関数:小野寺嘉孝
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/de4d9ea37c56d434505002d35e0132bf


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岡潔/多変数関数論の建設:大沢健夫




第1章 岡理論の遠景
- 峠からの便り
- 玲瓏なる境地
- 複素平面と指数関数
- 解析関数の概念
- 解析関数と正則関数
- コーシーの積分定理とその周辺

第2章 岡の連接性定理
- 楕円函数からアーベル関数へ
- ワイアシュトラスの予備定理と割算定理
- 連接性定理
 付録

第3章 上空移行の原理
- 第一論文と上空移行
- 古典論と問題I
- 多変数関数論への準備
- 全体像を読む
- 領域の問題
- ルンゲの定理
- ポアンカレの問題とクザンの問題

第4章 岡の原理とその展開
- トポロジーと岡の原理
- ホモトピー
- 岡の判定法
- 多様体上の関数論とトポロジー

第5章 難問解決は突然に
- 発見の心理
- レビ問題
- 皆既擬凸関数
- 関数の融合

第6章 イデアルの絆
- 関数論から時空モデルへ
- 源流を訪ねて
- 上空移行と正則関数のイデアル
- 連接層とコホモロジー

第7章 峠の先の歩み
- ロープと橋の譬え
- 岡とベルグマン核
- ヘルマンダーの定理
- 積分公式とL^2割算定理
- L^2拡張定理

参考文献
あとがき
索引
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2 コメント

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Unknown (オライトイラオ)
2018-09-02 12:45:52
高次元の領域での関数について知りたいと思い、「多変数関数論」と「多変数複素函数論を学ぶ」を読みましたが、難解で途中で挫折しました。今思えば、無謀なチャレンジだったのかも知れません。

微分可能や連続性・正則性を問題にする印象を持ちました。また、物理の次元とのつながりはあるのかという興味もあったのですが、結局よく分かりませんでした。
岡先生の論文は、またいつか読みたくなればよいのですが、はるか彼方の感じがします。

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オライトイラオさんへ (とね)
2018-09-02 14:31:20
オライトイラオさんへ
そうでしたか。僕はちょうどいま「かんどころ多変数関数論」の52ページ「ネーター環」あたりを読んでいます。なんとかついていけています。「多変数複素函数論を学ぶ」は立ち読みしましたが、まったく歯が立たなそうなので購入には至っていません。
生きているうちに、なんとか理解したいものです。w

物理とはどのようにかかわってくるのかも気になりますね。
返信する

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