とね日記

理数系ネタ、パソコン、フランス語の話が中心。
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江戸で物理学を説く: ニュートン力学 (其之壱)

2011年12月24日 18時10分26秒 | 理科復活プロジェクト
掲載画像:アイザック・ニュートンの肖像画


とね日記賞の発表!(2011年)」の記事の中で「日曜劇場「JIN-仁-」完結編」のように、もし自分が江戸時代にタイムスリップしたら現代の自然科学の成果を当時の人たちに伝えられるか?ということについて述べた。

今回からこのテーマでいくつか記事を書いてみよう。このドラマのように、もし自分が江戸時代にタイムスリップしてしまっても困らないように予習しておくのだ。物理学を中心にした自然科学を僕は当時の学者たちに伝えることができるだろうか?これまで学んできた知識を総動員して日本の科学を牽引する立役者になることができるだろうか?教科書も電卓も持たずに体ひとつで江戸時代に乗り込むのである。

僕がタイムスリップする先はドラマと同じ「幕末」にしようと思ったが、それはやめておく。なぜなら当時の西洋では電磁気学の基礎方程式が完成してしまっているのだ。坂本龍馬と電磁気学の基礎方程式を導いたジェームズ・クラーク・マクスウェルは同じ時代を生きた2人である。日本が鎖国していたとはいえ、オランダを通じて西洋の科学知識は相当伝わっていたはずだ。このテーマの舞台としてはおもしろくない。

やはりアイザック・ニュートンが生きていた頃の江戸に行くことにしよう。

ニュートンは第3代将軍の家光の在位期間中に生まれ、第8代の吉宗の在位期間中に亡くなった。代表作「自然哲学の数学的原理(プリンキピア)」の初版は第5代の綱吉、第2版は第7代の家継、第3版は第8代の吉宗の在位期間中に出版された。

参考記事:日本語版「プリンキピア」が背負った不幸
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/bff5ce90fca6b8b13d263d0ce6fc134e

プリンシピア―自然哲学の数学的原理:アイザック・ニュートン



そしてプリンキピアがこの時代、つまり1700年代前半までの日本に持ち込まれた記録は見当たらない。

日本語の「物理学」という言葉は明治になって発明された言葉で、江戸時代に物理学は窮理学(きゅうりがく)と呼ばれていた。「窮理」というのは、中国の朱子学という学問に出てくる用語である。この時期には天体観測が行われ太陽や月、惑星の動き方は知られていたが、ニュートンがしたように数理的にそれを解析してそこにひそむ自然法則を抽出して理解するには至っていなかった。科学の伝道を果たす環境としては申し分ない。

参考サイト:

江戸時代の日本における基礎科学研究の成果についての概観
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/edokagaku.htm

『日本人の宇宙観』(古代、中世、近世)
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den117.htm#b14j

上の資料によるとケプラーの法則やプリンキピアは1700年代後半には日本に伝えられていたことがわかる。

ご存知のとおり、江戸時代には和算が発達していた。漢数字とソロバンを使って曲線で囲まれた図形の面積を計算していたことはよく知られている。農地の面積を計算してコメや穀物の収穫高を見積もるのは農民の年貢によって成り立っている幕藩体制を維持するために、とても大切なことだった。藩の財政を管理するために大勢の「ソロバン役人」が登用された。加賀藩にはこのような御算用者が150人いたそうだ。さしずめ江戸時代の分散コンピューティングである。

参考記事:武士の家計簿:磯田道史
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/38e15f47cba2eaed5f1787c30b09eb7c


まず僕は幕府中枢にいる役人から協力を得るためにコネクションを作らなければならない。幕府からお墨付きをもらっている和算家たちと対決して勝つことによって自分の評判を高めるのだ。そのためには微積分を駆使して面積や体積を求める難問を解いてみせればよいだろう。でも油断は禁物。当時の和算のレベルは並大抵のものではない。和算家としていちばん有名な関孝和はニュートンと同じ時代の人である。

参考ページ:

江戸の数学
http://www.ndl.go.jp/math/

和算の館
http://www.wasan.jp/index.html

和算書アーカイブ
http://www.wasan.earth.linkclub.com/archive.html

和算に挑戦
http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/icm/06events/h23_ws08.html


勝てるかどうかは別として、ともかく関孝和の信頼を得て衣食住を確保することができたとしよう。次にするのは自分の数学の知識をすべて彼に伝えることだ。アラビア数字を使った位取り計算の仕方から大学レベルの数学まで。数学は物理学のように実験による検証をしなくてもすむのがありがたい。紙とペン(筆)さえあればよい。

とはいえ現代数学のように微積分を集合論や位相理論を土台に厳密に証明するのは「取り掛かりとしては」逆効果だろう。まず三角関数や微積分、微分方程式を教えて物事の数量的な変化を計算してみせたり、具体的な対象で距離や面積、体積を計算する手順を示したり、三角関数を使って三角測量の方法を教えるのが効果的だ。関先生はきっと僕のことを受け入れてくれるに違いない。

三角関数や指数関数、対数関数のことを教えるためには前もって「三角関数表」や「指数・対数関数表」を作っておく。関数電卓がないのでテイラー級数を使って計算に没頭する日が続くことだろう。ソロバンも初段くらいの実力をつけておいたほうがよさそうだ。(そろばん普及委員会

しかし関孝和はニュートンやライプニッツの微積分法に匹敵するような「導関数」や「求積法」を独自に考案していた人物だ。「点竄術(てんさんじゅつ)」と呼ばれる筆算による代数の計算法を編み出したのが代表的な業績である。

そのような彼をうならせるためには、微積分の定義をもとに組み立てる数々の定理と証明を見せる必要があるだろう。最終的には三角関数、指数関数と微積分学のつながりを示してからオイラーの公式を証明して見せればよいのだと思う。それでもなお彼が屈さないならば、線型代数やベクトル解析、複素関数論、フーリエ解析、ラプラス変換など、もっと高度で実用的な数学理論を教えていけばよい。

ともかくこのようにして僕は関孝和を一番弟子として数学塾を開き、優秀な門下生を募るのだ。これが江戸時代で物理学の伝道者として働くために必要な準備である。塾の運営に必要な財政的な支援は、関先生を通じて信頼関係がすでにできている将軍綱吉から得ることができる。綱吉は「生類憐れみの令」の他、戦国の殺伐とした気風を排除して徳を重んずる文治政治を推進した将軍として知られている。

優秀な塾生に囲まれながら僕は安穏とした生活に埋没してはいけない。物理学を広めるという当初の計画を実行にうつすときがきた。ニュートン力学から始めることは言うまでもない。リンゴが地面に落ちる運動や砲弾が放物線を描いて飛ぶ運動、月が地球のまわりを回る運動を支配している力の法則が本質的にどれも同じものであること、その力は物体の質量によって発生するものであること、距離の2乗に反比例して減少すること、つまり「万有引力の法則」を塾生たちに納得させることができるだろうか?

それは高校物理の教科書をそのまま教えればすむ話だろうか?それとも微積分を使いながら力学を解説している大学の物理学の教科書を順にたどればよいのだろうか?いや、違う。

ニュートンが力学理論の前提としたニュートンの3法則を教えても「それは当たり前な経験的事実を式にしただけでしょう。あえて法則として主張する必要はないのでは?」と一蹴されてしまうに違いない。法則がシンプル過ぎて重要な意味を持つとは考えてもらえないと思うのだ。

重さの違う鉄球どうしをぶつけて運動量保存則やエネルギー保存則を主張したとしても、「重いものは動きにくい。」、「動いている重たいものが持つ破壊力は大きい。」という経験則以上の関心をもってもらえないだろう。投げた物体が放物線を描きながら落ちることや鉄球を使った実験は当時から知られていた。

ニュートンの力学3法則
第1法則(慣性の法則):外力が加わらなければ、質点はその運動(静止)状態を維持する。(力を加えられない質点は等速度運動(等速直線運動)を行う)
第2法則(ニュートンの運動方程式):質点の運動(運動量)の時間的変化は、それにかかる力の大きさに比例し、力の方向に作用する。F=maのこと。
第3法則(作用・反作用の法則):二つの質点 1,2 の間に働く力には一方の質点に作用する力だけでなく、他方への反作用の力がある。これらの力は大きさが等しく、方向が逆である。

この3法則を使って計算を進めれば惑星の運動を記述する「ケプラーの3法則」や「万有引力の法則」を導くことができる。

ケプラーの法則:
第1法則(楕円軌道の法則):惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。
第2法則(面積速度一定の法則):惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である(面積速度一定)。
第3法則(調和の法則):惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。

ケプラーは多数の著作物を残したが、ケプラーの法則につながる代表的なものはこの3冊だ。(出版された年代は江戸時代が始まった頃。)

宇宙の神秘 新装版:ヨハネス・ケプラー著、大槻真一郎+岸本良彦訳」(初版は1596年、25歳のとき出版。第2版は1621年、50歳のとき出版。)日本語版は縦書き本。(レビュー記事
新天文学:ヨハネス・ケプラー著、岸本良彦訳」(1609年、38歳のとき出版):ケプラーの第1、第2法則を発表した本。
宇宙の調和:ヨハネス・ケプラーヨハネス・ケプラー著、岸本良彦訳」(1619年、48歳のとき出版):ケプラーの第3法則を発表した本。日本語版は横書き本。

  


そもそも、江戸の学者たちはケプラーの法則を知っていたのだろうか?

月が地球のまわりを回っていることは知っていたはずだが、地球が太陽のまわりを回るコペルニクス地動説を受け入れていたのだろうか?

コペルニクスは1491年にクラクフ大学に入学し、月の精密な軌道計算を史上はじめて行った著名な天文学者で従来より定説とされていた天動説に懐疑的な見解を持っていたアルベルト・ブルゼフスキ教授によってはじめて天文学に触れた。地動説を解説した著書「天体の回転について」は彼が1543年に亡くなった後に発売が許された。織田信長が9歳の頃である。

天体の回転について:コペルニクス



上のほうで紹介した「『日本人の宇宙観』(その2:近世)」によると地動説が日本に紹介されたのはコペルニクスの死後200年経った1700年代半ば、蘭学者本木良永が1770年以後に書いた4冊の本だという。その中でも最も詳しいのは1792-93年に書かれた「太陽窮理了解説」である。

太陽窮理了解説:英ジョージ・アダムスの天文書(ラテン語版1766、蘭語版1770)を和訳したもので、ここでは地動説はすでに自明のものとして採り入れられている。また惑星の運動についてもケプラーの楕円軌道論に基づいている。
http://library.nao.ac.jp/kichou/open/016/index.html
http://library.nao.ac.jp/kichou/open/040/index.html


だから僕の門下生たちは地球が太陽のまわりを回っていることを知らない。(織田信長が地球儀を持っていたことからわかるように、地球が丸いことは知られていた。)

ケプラーの法則どころではない。僕は地動説の検証から始めないといけないのだ!

コペルニクスが生きていた時代は日本史では室町時代の応仁の乱の直後、そしてケプラーはその100年後の江戸初期、第2代将軍秀忠の時代に重ねられる。

僕はコペルニクスが求めたように天動説の誤りを見つけ、地動説の正しさを検証してみせることができるだろうか?ケプラーが求めたように彼の3法則を導くことができるだろうか?2人ともニュートンより昔の人なのだから、それらの検証の中でニュートンの力学3法則や万有引力の法則を利用してはならない。

これは難しいぞ。。。

ケプラーの3法則を検証し、塾の門下生たちに納得してもらった後、ニュートンの力学法則を使ってそれが数理的に証明できことを示し、はじめて自然の中にひそんでいる力学の本質がニュートンの3法則や万有引力の法則であることが理解できるのだ。また逆にケプラーの3法則からニュートンの力学3法則や万有引力の法則を数理的に導くことができる。

さて、万有引力の法則とはこれのことである。



月や太陽や地球にあてはめて僕はまずケプラーの法則が成り立っていることを実証し、数理的な演算で万有引力の法則を証明できるだろうか?つまり月や太陽までの距離、地球を回る月の楕円軌道や太陽を回る地球の楕円軌道、それらの公転周期を観測によって求めることができるだろうか?その他のものも含めて次のような数値を(門下生たちの力を借りながら)僕は観測と計算によって求めることができるだろうか?

- 太陽や月、惑星までの距離
- 地球、月、惑星の楕円軌道とその公転周期
- 地球、月、太陽、惑星の大きさ(半径)
- 地球、月、太陽、惑星の質量
- 万有引力定数Gの値(ニュートンはGの値を計算できていず、比例定数としてのみの取り扱いにとどまっていた。)
- 地表の重力加速度

これらを求めるためには、正確な時刻が測れることや使いやすい暦が利用できること、精度の高い天体観測機材や三角測量のための機材など「測定」にかかわる事柄もすべて考慮する必要がある。無いもの、利用できないものは自分でなんとかしなければならないのだ。

天球上を動く天体の軌跡を計算するのだから「球面三角法」もマスターしておこう。これは大学の天文学科で学ぶ公式集だ。

次のページでは月の加速度の値を使って万有引力の法則を証明しているが、その前提として月の公転が円軌道であるとしている。月の軌道は平均離心率0.054880の楕円であるから、この証明は厳密なものとは言えない。

万有引力の法則とその証明(物理学解体新書)
http://www.buturigaku.net/main01/Mechanics/Mechanics17.html


このように江戸の町にタイムスリップした僕がしなくてはならないことは山ほどある。今回の記事はその導入部分。

続きは「江戸で物理学を説く: ニュートン力学 (其之弐)」として書いたのでお読みいただきたい。


今日はクリスマス・イブ。キリスト教は江戸時代にも迫害されていた。江戸の町にもいたと思われる隠れキリシタンたちはクリスマス・ミサを行なっていたのだろうか。ふと、そんなことを思った。


参考ページ:Newton Papers(英ケンブリッジ大学によって先日オンライン公開されたばかりのアイザック・ニュートン手書き原稿、著作物のサイト。極めて貴重な資料だ。)
http://cudl.lib.cam.ac.uk/collections/newton


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