とね日記

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江戸で物理学を説く: ニュートン力学 (其之弐)

2014年04月26日 16時39分02秒 | 理科復活プロジェクト

江戸で物理学を説く: ニュートン力学 (其之壱)」というシリーズ物の記事を書き始めたのが3年以上前のことで、その後続きを考えるのに詰まっていた。続きはいずれ「江戸で物理学を説く: ニュートン力学 (其之弐)」として書くことにしよう、と書いておきながら放置したままだった。

このシリーズ記事は西暦1600年代の江戸時代にタイムスリップして、科学や物理学の知識を自分が広めるとしたらどのような手順をとるかということをシミュレーションする。TBSの日曜劇場「JIN -仁-」がヒントだった。

ガリレイの相対性原理や落体の法則、ニュートンの力学3法則くらいまでなら地上で行う実験で示すことができるだろう。しかし、月や惑星など天体どうしに働く力とリンゴを地面に引き付ける力が同じ種類の力であること、すなわち万有引力の法則を示すためには、どうしても精密な天体観測と計算をしてケプラーの3法則を示す必要がでてきてしまうのだ。

(其之壱)の記事ではケプラーの法則を実証するために、次のような数値を調べようというということになり、そのためには使いやすい暦や正確な時刻が測れる時計が必要であることに気が付いたところで終わっていた。ニュートン力学を伝えたかったのだが、そのためにはケプラーまでさかのぼる必要があったのだ。

- 太陽や月、惑星までの距離
- 地球、月、惑星の楕円軌道とその公転周期
- 地球、月、太陽、惑星の大きさ(半径)
- 地球、月、太陽、惑星の質量
- 万有引力定数Gの値(ニュートンはGの値を計算できていず、比例定数としてのみの取り扱いにとどまっていた。)
- 地表の重力加速度

どの順番で求めていけばよいか迷うところではあるが、さしあたり「地球の大きさ」がよいだろう。これは確か中学の理科の授業で習った気がする。この問題は小学生向けのサイトにも載っているくらい易しいのだ。

地球は一周どれくらいあるの(学研サイエンスキッズ)
http://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1327.html

北極星が地平線となす角度の差(視差)を利用することで紀元前230年には地球の大きさや観測地点の「緯度」を測定することができていた。そしてこの地球の大きさとは緯度すなわち南北方向の大きさであることに注意しておこう。


それでは「経度」についてはどうだろうか?人類はいつごろ経度というものを認知し、正確に測定できるようになったのだろうか?緯度の測定と同じようにして2つの地点の経度の差を視差とすることによって地球の経度方向(東西方向)の大きさをいつごろ測定できるようになったのだろうか?

僕が物理学を説いているのは江戸時代初期で、江戸と大坂で同時に同じ星の位置を正確に測ることができれば経度の差を計算できるはずである。(当時の大阪は「大坂」と表記していた。)しかし、500Kmも離れた地点でどうすれば「同時」を知ることができるのだろう?電池や電気は発明されていないから、江戸と大坂に電線を張って伝えることはできない。そもそも江戸と大坂の直線距離はどうやって測ればよいのだろう?伊能忠敬が日本中を17年かけ、3万5千キロメートルを歩いて日本地図を作成したのは西暦1800年代のことである。

江戸と大坂で「同時」を知るためのひとつのアイデアとして「恒星食」を利用する方法がある。月の暗い部分の縁に明るい恒星が隠されるタイミングを利用するのだ。しかし月までの距離を38万キロメートルとして計算してみるとわかるのだが、この方法で確認できる「同時」には時間にして江戸と大坂では20秒ほどの差が生じてしまう。また伊能忠敬は1805年に木星の衛星食を利用して経度を測定したことが記録に残っている。この方法だと江戸と大坂における衛星食のタイミングの差はほとんどない。

このように経度の測定は緯度の測定よりもはるかに難しいことに思い至るわけである。学校で学んだという記憶はない。僕たちはなぜ経度の測定については学ぶことがなかったのだろうか?僕にとって盲点のようなものだった。


そのようなことをツイッターで呟いていたところ知り合いの「おがわけんたろう」さんが教えてくださった。「経度の差というのはつまり時差のことで、人類が時差の概念に気が付いたのはクロノメーターの発明以降のことでしょう。」なるほど、そうか!

クロノメーター」とは船の上など揺れる場所や傾いた場所でも狂わない精確な時計のことだ。ウィキペディアで調べてみると15世紀から17世紀の大航海時代にはまだ精確な時計は作られておらず、そのために海上で船の位置(経度)を詳しく知ることは不可能だったことがわかる。つまり遭難や海難事故が頻発していた。

そのため、船の現在位置を把握するため精密な緯度や経度の測定法が求められたが、緯度は六分儀等による天体の位置測定で比較的容易に求められるものの、正確な経度は測定困難であった。この問題を解決するため1714年7月8日イギリス議会は高精度で経度を測定できる方法の発見に懸賞金を出す内容の「経度法」を制定した。経度の測定にはいろいろな方法が考えられたが、その一つが時刻と太陽の位置から測定する方法であった。

18世紀初頭もっとも精度の高い時計は振り子時計であり、すでに充分な精度を出せるようになってはいたが、波による揺れの影響の大きい海上では機能しないため、揺れる船舶の上でも正しい時を刻む高精度の時計(マリン・クロノメーター)が必要とされた。

そしてジョン・ハリソンが1759年に制作した懐中時計型の「クロノメーターH4」が決定的だった。ねじ(ぜんまい)を動力にした機械式であるにもかかわらず、その精度はなんと年差30秒であったという。(現代の一般的なクォーツ腕時計の精度は月差15秒~30秒だ。)

1760年以降、クロノメーターの精度向上によってようやく人類は、経度や時差を精確に知り、安全に航海できるようになったのだ。


つまり江戸の町で僕がすべきことは優秀な時計職人を探して、クロノメーターを作ってもらうことだった。経度や時差の測定について学校で学ばなかった理由もこれでわかる。それは計算や理論の問題というよりも、精確な時計を作るという技術的な話に尽きていたからだ。

そしてもうひとつ気が付かされたことがある。科学史を学ぶと「チコ-ブラーエの厖大な天体観測の結果をもとにケプラーは惑星の3法則を導いた。」とか「ニュートンはケプラーの3法則を数学的に証明した。」ということを知るわけだが、これらはそれぞれ1600年代、1700年代初頭のこと、すなわち経度や時差が精確に測定できていなかった時代のことなのだ。天体の軌道計算には赤経、赤緯や黄経、黄緯など天球座標球面三角法が使われていた。ニュートンは砂時計を使って15分の精度で時刻を測定していたという。


精確な時計を手に入れることで僕はケプラーの3法則とニュートンの力学3法則、万有引力の法則を江戸の科学者たちに示すことができるのだろうか?

いや、そうはいかない。天体観測の結果から惑星の軌道を計算し、運動法則を示すためには厖大な関数計算が必要になる。三角関数表や対数表はこの時代、まだ日本には伝えられていなかった。「五桁ノ 對數表 及 三角函數表:えふ.げい.がうす著」の記事で紹介したように世界初の対数表は1614年にネイピアが発表した。精度7桁の対数表を作るのに20年もかかったという。5桁の対数表ならどれくらいの時間で作ることができるのだろうか?いずれにしても僕は途方に暮れてしまうわけである。なんとかして対数表を手に入れなければならない。

ということで、僕は弟子のうちの数人をネイピアが住むスコットランドに派遣することを決断する。対数表を売ってもらうのだ。急がなければならない。ネイピアは1617年に亡くなってしまうからだ。

また、膨大な計算が必要になるからソロバンで加減乗除だけでなく開平(平方根)や開立(立方根)の計算もできるようにしておいたほうがよいだろう。(参考:ソロバンでの加減乗除、開平、開立をする方法


ところで、今回の記事の始めのほうで「ガリレイの相対性原理や落体の法則や放物運動、ニュートンの力学3法則くらいまでなら地上で行う実験で示すことができるだろう。」と書いたが本当にそうだろうか?

剛体球の落下実験や、衝突実験を行う場合、時間や位置はどうやって計測すればよいだろうか?100分の1秒の精度で時間を計測したり、剛体球の位置を計測することはできるのだろうか?現代だったらストロボを使った撮影やビデオ撮影をすれば簡単に計測することができる。

この時代はまさに無い物尽くしの状況である。ケプラーの3法則、ニュートンの力学3法則を証明するだけでも気の遠くなるような手順が必要になるのだ。今日の記事のまとめとしては次のようになるだろう。

- クロノメーターや六分儀、暦や地図を手に入れて、天体観測をする場所での時刻と位置(緯度と経度)精確に測れるようにしておく。(これがいちばん大変。)
- 三角関数表、対数表を入手する。ソロバンで加減乗除、開平、開立の計算をマスターしておく。(これが2番目に大変。)
- 惑星や木星の衛星の位置観測を数年に渡って行い、それらの天体の軌道を計算する。
- 軌道を計算した結果から、それがケプラーの3法則を満たしていることを示す。
- ニュートンの力学3法則からケプラーの3法則やガリレイの落体の法則(放物運動)、万有引力の法則を数式的に導く。そしてリンゴの落下や惑星の運動の元となる原理がニュートンの力学3法則であること示したことになる。
- ストップウォッチや鉄球を用意し、ガリレイの落体の法則(放物運動)や鉄球の衝突実験により運動量や運動エネルギー保存則、力学的ポテンシャルなどを実験と理論(力学3法則)の双方で成り立つことを示しておく。


惑星の位置観測の結果から軌道を決定する手順については、後日記事を書くつもりだ。


(其之参)に続く


関連記事:

江戸で物理学を説く: ニュートン力学 (其之壱)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/95e1281e89e793c094a38569b07431d2

参考ページ:

世界の見方はこれだけ違った!!紀元前から現代までの世界地図の移り変わりが分かる歴史地図20点
http://commonpost.info/?p=53473


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6 コメント

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経度について (サンマヤ)
2014-04-26 23:02:57
経度や時差ということの認識については、
たぶんギリシア時代からあったはずです。
地球が球形であるという認識もありましたし、
太陽などの南中時間が違う、ということは知っていたでしょう。
ただ、それを「正確に測る」という手段については、
おっしゃるとおりクロノメーター以降のようで、
18世紀中ごろのことでしょうね。
星の位置などについては、
占星術や暦と関連して、
陰陽寮や寺社の中でかなりの測定結果や
予測の近似式などが立てられていたはずです。
ほかにもいくつかありますが、また後にします。
返信する
落下実験 (hirota)
2014-04-27 11:24:24
落下実験はスローにしないと測定できませんね。
実質的なGを減らすには重力を減らして慣性質量を増やせばいいのですから、滑車でバランスさせる方法が使えます。
固定した滑車に渡した紐の両端に質量M1,M2を乗せれば実質的な重力はM1-M2で慣性はM1+M2ですからGの減った状態が実現できます。
返信する
Re: 経度について (とね)
2014-04-27 20:00:58
サンマヤさん

コメントの公開承認が遅くなり、申し訳ございません。

たしかにギリシャ時代にはすでに地球が球形だったこと、経度の認識、太陽の南中時刻の違いの認識があったようですね。次のページにはギリシャ時代の学者、エラトステネスの地図が掲載されていますが、経度の線も引かれていることがわかります。

世界の見方はこれだけ違った!!紀元前から現代までの世界地図の移り変わりが分かる歴史地図20点
http://commonpost.info/?p=53473
返信する
Re: 落下実験 (とね)
2014-04-27 20:05:22
hirotaさん

コメントの公開承認が遅くなり、申し訳ございません。

落下実験はスローで行えるようにすれば測定しやすくなりますね。中学の理科では傾斜させた台を使って実験することを学びますし、hirotaさんがおっしゃるように滑車を使う方法もよさそうです。滑車の抵抗が少なくなるように工夫する必要もあります。

あと、ストップウォッチを作る必要もありますね。作るのが難しいようでしたら、水を張った桶の底に小さい穴を開けて漏れる水の量を測るということで時間を測定することもできそうです。
返信する
近代科学の肝 (サンマヤ)
2014-04-28 13:53:19
とねさん、レスありがとうございます。
歴史地図20点は興味深いですね。

もう一つ言いたいことがあります。
近代科学を1から広める、という場合、
データや観測だけが問題じゃないですよね。
ガリレオは振り子時計を使っていたんでしょうが、
そんなに精密な実験をしていたわけじゃありません。
むしろ大切なのは、データの「解釈」部分なわけで、
ケプラーの法則なんかも「解釈」なわけですね。
そういった近代科学の「生みの苦しみ」みたいなところは、
人間の「ものの見方」を変えることにあったように思います。
ガリレオ自身の「新科学対話」や
ケプラーについては朝永振一郎の「物理学とはなんだろうか」
を読むとよく分かると思います。
返信する
Re: 近代科学の肝 (とね)
2014-04-28 14:18:31
サンマヤさん

コメントありがとうございます。
まったくおっしゃるとおりだと思います。近代科学の生みの苦しみの部分は、ものの見方や考え方の転換にあったのだと思います。
残念ながら僕の記事を書く力量ではその部分を全く伝えられていません。
ご紹介いただいたガリレオや朝永先生の著作は持っていますので、読んでみたいと思います。
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