山楽ぶらり探訪

国のまほろば大和の山野、寺社をぶらっと訪ね歩きます。
山川草木。日々是好日。

春日若宮おん祭 01

2006-12-18 23:02:17 | Weblog
春日若宮おん祭 01

 古都の一年を締めくくる春日大社の摂社・若宮神社(奈良市)の「おん祭」(国重要無形民俗文化財)は17日、時代行列が街の中心部を練る「お渡り式」が行われ古来の絵巻物を繰り広げていました。
 お渡り式では、巫女や武士に扮した約1000人が県庁前広場を出発し、近鉄奈良駅前や商店街、大社への参道などを約2時間かけて行列が続きました。

 第1番 日使(ひのつかい)
 日使とは関白藤原忠通がこの祭に向う途中、にわかに病となり、お供の楽人にその日の使いをさせたことに始まると言われています。
 御幣のあと青摺りの袍を着けた十列児(とうつらのちご)が続きます。

春日若宮おん祭 02

2006-12-18 22:39:53 | Weblog
春日若宮おん祭 02

 第2番 巫女(みこ) 八嶋神子
  辰市神子のあと八嶋神子、郷神子、奈良神子、拝殿八乙女(騎馬)などの行列  が続きます。
 第3番は細男(せいのお)・相撲(すもう)(十番力士・行司)
 第4番は猿楽(さるがく)今は今春座が出仕しているが、もとは観世・金剛・室  生を含めた大和猿楽四座が出仕していました。

春日若宮おん祭 03

2006-12-18 22:06:31 | Weblog
春日若宮おん祭 03

 第5番田楽(田楽)奈良一刀彫の起源といわれる人形を飾った大きな花笠を頭上に乗せた笛役の二藹(ろう)はひときわ人目を惹きました。

入江泰吉 おん祭り 01

2006-12-17 21:05:02 | Weblog
入江泰吉 おん祭り 01

 春日大社若宮の「おん祭」は、古都奈良の一年の最後を飾る伝統行事として、また国の重要無形民俗文化財の指定を受けるなど全国的に有名です。
 その起源は、平安時代末の保延2(1136)年に遡ります。当時、全国的に飢饉や疫病で人々が苦しんでいたので、ときの関白・藤原忠通が春日大社若宮の祭神を御旅所に迎えて五穀豊穣、国民安寧を祈願したのが始まりと言われています。
写真は、お渡り式(昭和20年代後半)

入江泰吉 おん祭り 02

2006-12-17 18:59:39 | Weblog
入江泰吉 おん祭り 02

 そうした先人たちの強い信仰に支えられてきた「おん祭」を、写真家、入江泰吉は戦後まもないころから撮影を始め、大和の仏像や風景と同じように精力的に撮り続けていました。また、多くの露店で賑わう様子なども記録されていました。
 写真は、お旅所祭(昭和30年代前半)

入江泰吉 おん祭り 03

2006-12-17 18:50:48 | Weblog
入江泰吉 おん祭り 03

 戦後から昭和50年代にかけて撮られた「おん祭り」の行事をモノクロとカラー作品約100点が展示されています。写真は、お渡り式(昭和20年代後半)
奈良市写真美術館にて(11月18日~12月14日) 

五・七・五の応援歌

2006-12-13 10:57:28 | Weblog
五・七・五の応援歌

 今朝の第2号で原石鼎(俳人・島根県生まれ・明治19~昭和26)の俳句が紹介されていました。
 頂上や殊に野菊のふかれ居り(ちょうじょうやことにのぎくのふかれおり)
<季語/野菊・季節/秋>
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高いところへ登れば登るほど、風は強く吹きます。山の頂(いただき)に秋の野花が咲いて一斉に風に吹かれています。中でも小さな野菊にことに風がつよく当たっているように見えたのでしょう。
強風に吹かれることで、いっそう野菊の愛らしさと自然の厳しさが強調されますね。この句を読むたびに、頂上で懸命に強風に耐えながらも、可憐(かれん)に美しく咲いている野菊に声援を送りたくなります。(黛まどか)

 原石鼎 島根県で開業医の三男として生まれた原石鼎は、東吉野で開業していた兄の医業を手伝いながら、ひたすら俳句を作る生活を送っていました。全てを包み込むような自然や、村人のあたたかい人情は石鼎にとって感動の毎日だったのでしょう。大正の初期の俳壇に新風を吹き込んだ石鼎の居宅や句碑の他に、現代の著名な俳人の句碑が、村の推進する「俳句の里」づくりの一環として建立されています。(HP東吉野村紹介より)

五・七・五の応援歌

2006-12-12 11:13:20 | Weblog
五・七・五の応援歌

 俳人の黛まどかさんが、学校や職場のストレスなどに悩む人たちを俳句で励ますメールマガジン、「黛まどかの俳句でエール!」の無料配信を12日から始める。
 創刊号を紹介します。
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白鳥の胸を濡らさず争へり(はくちょうのむねをぬらさずあらそえり)
吉田鴻司 <季語/白鳥・季節/冬>
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争っている時でさえ、白鳥は決して胸を汚しません。
白鳥が白鳥たる証の純白の胸。その気高い姿は、どんな時にも決して相手の土俵に立って醜い争いをしてはいけない、決して誇りを失ってはいけないと私たちに教えてくれます。
生きていくには時には争わなくてはならないこともありますが、"胸を濡らさず"という覚悟さえあれば、自分をおとしめることもなく、また何一つ失うものはないのです。(黛まどか)  http://madoka575.co.jp



スケッチ 美山 茅葺きの里01

2006-12-04 19:04:17 | Weblog
スケッチ 美山 茅葺きの里01

 京都市内から北へ紅葉の名所、高雄・神護寺、栂尾・高山寺を経由して周山街道を約70分で日本の原風景、「美山・かやぶきの里」に着きました。朝靄に包まれ、しっとりと佇んでいました。
 周りの山野から四季、自然の恵みをいただいて囲炉裏を囲む。かつてはごく当たり前だったそのような暮らしを、いったんは失いかけて、いま再び、新しい形で取り戻しつつあります。

※ 12月8日 スケッチ 美山茅葺きの里に変更しました。

スケッチ 美山 茅葺きの里02

2006-12-04 18:58:43 | Weblog
スケッチ 美山 茅葺きの里02

 美山町は、地理的には昔の丹波の国に属し、京都と日本海の玄関口の若狭小浜との中間点に位置します。集落の南には由良川の源流が朝日を浴びてキラキラ流れていました。
 美山町北村のかやぶき家屋は寛政8年(1796)建築のものが最古で、19世紀中頃の建物が18戸と、江戸時代に建てられたものが多いそうです。この地区の伝統的技法による建築物群は、平成5年12月、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けました。