山楽ぶらり探訪

国のまほろば大和の山野、寺社をぶらっと訪ね歩きます。
山川草木。日々是好日。

永源寺山門

2007-11-28 18:50:00 | Weblog
永源寺山門

 所在地:滋賀県東近江市永源寺高野町41

 湖東三山とともに近江の紅葉を代表する永源寺は、愛知川が鈴鹿の山並みから近江盆地にまさに流れ出ようとするところにあります。周囲は急峻な山に取り囲まれており、参道も愛知川に沿った狭い山腹を登っていきます。途中の石でできた羅漢像なども見物です。やがて小さな門が現れますが、まずその開口から中庭の紅葉が素晴らしい光を漏らしてくれます。中にはいると山門との間の空間が一つの見せ場となります
 

永源寺境内

2007-11-28 18:41:00 | Weblog
永源寺境内

 山門をくぐると境内には鐘楼、本堂、禅堂、経堂など禅寺らしく落ち着いた建物が建ち並び、再び紅葉のポイントが現れます。斜めに上がる回廊の後手の紅葉は素晴らしいの一語です。

百済寺 01

2007-11-26 20:25:21 | Weblog
百済寺 01

 滋賀県東部には鈴鹿山脈の西側に沿って,永源寺や,いわゆる湖東三山とよばれる百済寺(ひゃくさいじ),金剛輪寺(こんごうりんじ),西明寺(さいみょうじ)があります。これらは,紅葉がきれいなので,例年たくさんの人々が訪れます。

 天台宗・(釈迦山しゃかざん)百済寺は近江最古の寺院の一つで,推古天皇の時代(590年)に,聖徳太子により創建されました。
 当時のご本尊は,太子御自作の「植木の観音」で,本堂は朝鮮・百済の「龍雲寺」を模して建てられ,僧も百済から呼んでいたようです。

 写真は、喜見院の庭園



百済寺 02

2007-11-26 20:15:27 | Weblog
百済寺 02

 百済寺について02
 平安京に遷都され,比叡山に天台宗が開かれると,この寺院も天台宗の寺院として名称も現在の「ひゃくさいじ」となり,その後鎌倉時代から室町時代にかけては規模も拡大され,「湖東の小叡山」などと称されたようです。

 百済寺は,信長の「百済寺焼き討ち」にもあい,明応7年(1498年)の本堂の一部焼失も含めて,たびたびの出火と再建を繰り返しています。本格的な修復は江戸時代になってからのことです。

 写真は山門前の大わらじ(両側に仁王像あり)



百済寺 03

2007-11-26 20:07:53 | Weblog
百済寺 03

 弥勒菩薩像半跏思惟石像

 当山に伝わる金銅製「弥勒菩薩半跏思惟像」(白鳳時代、約24cm)は全身に火災を受けて痛々しいお姿ながら創建以来の1400年の歴史を見つめて来られました。
 (石像建立の趣旨~中略~)
 弥勒さまの半跏思惟のお姿には、三つの大切な珠玉が散りばめられています。
 ●「生きとし生けるものに幸せあれ!」と願う、慈悲の眼差し。
 ●「漏れなく衆生を救うには?」という知恵と創造へ向けて巡らす思索。
 ●「今だ!」と満を持していつでも行動に移れる半跏の態勢。
 これらのお姿から困難な時代を乗り切るための「慈悲と知恵と実践」に向けた指針と活力を得ていただければ幸いです。(石像建立委員会)

観音峰よりバリゴヤノ頭

2007-11-24 19:16:53 | Weblog
観音峰よりバリゴヤノ頭

 バリゴヤノ頭の東側(向こう側)には行者還岳が、その南には弥山・八経ヶ岳が連なっています。

 HP home ktmr ○山歩き 観音峰・天川南朝物語も
 併せてご覧いただければ幸いです。