山楽ぶらり探訪

国のまほろば大和の山野、寺社をぶらっと訪ね歩きます。
山川草木。日々是好日。

仏隆寺 ヒガンバナ01

2007-09-26 19:30:35 | Weblog
仏隆寺 ヒガンバナ01

 仏隆寺(ぶつりゅうじ)は奈良県宇陀市榛原区にある真言宗室生寺派の寺院である。室生寺の南門として極寺と末寺の関係にある。弘法大師(空海)が唐から持ち帰った最古のお茶を栽培したといわれ、大和茶発祥の地とされる。彼岸の頃には約200段もの石段の両側をヒガンバナの花が埋め尽くす。

 また、石段の右側には、サクラの巨樹(奈良県指定天然記念物)があり、春と秋には大勢の見物客が訪れます。

仏隆寺 ヒガンバナ02

2007-09-26 19:24:04 | Weblog
仏隆寺 ヒガンバナ02

 彼岸花は秋の彼岸の頃、突然地中から花茎を伸ばし花を咲かせることから彼岸花(ヒガンバナ)と呼ばれるようになった花ですが、日本では赤いヒガンバナは、墓地などに多く自生しており、シニビトバナ(死人花)、ジゴクバナ(地獄花)ユウレイバナ(幽霊花)キツネバナ(狐花)等と不吉な名前で忌み嫌われているます。葉っぱより先に茎が伸び急に花を咲かせるので幽霊花といったのでしょう。キツネノカミソリとも言われますが、これは葉っぱの形から呼ばれるようになったのでしょう。田んぼの土手や畔に多く自生していますが球根に毒があるため鼠に食べられろこともなく土手などがが崩れないからでしょう。
 マンジュシャゲ(曼珠沙華)は天上の花の意だそうだ。韓国では「相思花」と呼ぶそうです。花は葉のことを思い、葉っぱは花のことを思いやる、相思相愛の関係からのネーミングだそうです。
 
 画像は、ファインダーを覗いているとき偶然にモデルさんが石段を下りてきましたのでシャッターを押しました。

仏隆寺 ヒガンバナ03

2007-09-26 19:23:11 | Weblog
仏隆寺 ヒガンバナ03

 昔は赤いヒガンバナは不吉な花として嫌われていましたが、黄金色に色づいた棚田の畔に咲く彼岸花は秋の風物詩として風情があり、見物客が多くなりました。
 最近では白、クリーム色、薄ピンク、黄色、橙色(トップページ参照)など、ヒガンバナの園芸種が出回り人気があります。

 石段の両側一面に咲く燃えるようなヒガンバナを鑑賞して、仏隆寺の門をくぐり境内に入ると清楚な白花ヒガンバナが群植されていました。

飛鳥川 彼岸花 01

2007-09-24 18:30:51 | Weblog
飛鳥川 彼岸花 01

 勧請橋を渡り、稲渕の道を吉野方面に向っていくと、飛び石への案内板があります。以前は、このあたりまで来ると明日香川のイメージが膨らんだものですが道路や橋が整備され休日には多数の見物客で賑わい、万葉の風情が損なわれつつあります。
 川床に石を並べて渡れるようにした石橋は、その昔、若い男女が逢瀬を急ぐ道でもあったそうだ。その石橋の袂に犬養孝氏揮毫による万葉歌碑が建てられています。

    明日香川 明日も渡らむ 石橋の
        遠き心は 思ほえぬかもあ (作者不詳・巻11ー2701)

  [歌意]明日香川の石橋を渡って明日もお前に会いに行くよ。
      心が遠く離れた訳ではないんだよ。

飛鳥川 彼岸花 02

2007-09-24 18:10:48 | Weblog
飛鳥川 彼岸花 02

明日香村のほぼ中央を北へ斜めに蛇行しながら流れる飛鳥川は、多武峰の南、入谷付近から流れ出る川と、芋峠付近を源とする川が栢森で集まって明日香川となります。
 飛鳥川を詠んだ万葉歌は約百二十五首あるそうで、その歌の殆どは恋の歌で作者はわかりません。名もない庶民が日々農耕に汗を流し、ささやかな生活を営んでいたことでしょう。

  今日もかも 明日香の川の 夕さらず
    河蝦(かはづ)鳴く瀬の 清(さや)けかるらむ(巻3-356)
  [歌意]夕方になると、きまってかじかの鳴く明日香の川瀬。今日も、そのせ      せらぎは清々しいことだろう。
 
  拙宅の下を流れる秋野川でも2.30年前までは夕方になると河鹿(かじか) が鳴いていたものです。
  

葛城古道 彼岸花

2007-09-22 18:28:49 | Weblog
葛城古道 彼岸花

葛城山麓の御所市一帯は日本神話のふるさとともいわれ、神々が住まわれていた高天原は、その昔、葛城山と呼ばれていた金剛山の山麓にあったと伝えられています。このように神代の時代から数々の史実の舞台になった「葛城古道」は、そうした遺跡や社寺を訪れる全長13キロメートルの散策路です。

 葛城山麓の九品寺近くの高台からは、彼岸花の咲く向こうに奈良盆地中南部の三輪山、耳成山、畝傍山などの眺望が開けていました。

スケッチ 葛城古道

2007-09-22 17:56:58 | Weblog
スケッチ 葛城古道

 昨年、九品寺北側の野原には赤い絨毯を敷き詰めたように、彼岸花が一面に咲いていましたが、今年はどうしたことかまばらにしか咲いていませんでした。(スケッチは、昨年の画像を元にして描きました。)
 それでも葛城山麓に咲く彼岸花には風情が感じられました。黄金色に色づき始めた田んぼ道をハイカーたちが通り過ぎていきました。

 

葛城古道 九品寺

2007-09-22 17:55:29 | Weblog
葛城古道 九品寺

 九品寺は奈良時代、聖武天皇の勅により行基が開祖したと伝えられ、室町時代に兵火をまぬがれて、今に残ります。本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財)は藤原時代と見られ優しい円満な姿で気品が高く稀にみる優秀作であると言われています。
 本堂の裏側には千体仏があります。この千体仏は、南北朝時代、城主楢原氏が楠木正成公とともに南朝に味方し、北朝と戦ったとき家族や地元の人々が身代りに奉納したと伝えられ、そのため身代り石仏とも呼ばれています。

 千体仏を拝んで階段を下ってきたとき、朗々と般若心経を唱える声がしました。
金剛山頂にある役の行者を祀る金剛輪寺の司講の一行でした。今日は彼岸の入り。私も暫し黙想しました。

ホテイアオイ01

2007-09-20 17:36:16 | Weblog
ホテイアオイ01

 畝傍山の東、橿原市城殿町の特別史跡・本薬師寺跡周辺の休耕田でホテイアオイの花約1万4000株が見頃を迎えていました。薄紫色の可憐な花が一面に咲き誇っていました。
 このホテイアオイは約10年前から地元農家の人たちが地域活性化のために栽培されたもので、近年は評判が定着し、今朝も駐車場には他府県ナンバーの車が8台ほど留まっていました。

http://www4.kcn.ne.jp/~ktmr/index.html
又は、 [home ktmr]で検索
○花の寺 ・本薬師寺跡 布袋葵 も併せてご覧下さい。