狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

信じるだけで救われる 9

2021年02月06日 | 聖書
さて 私は、神の御子イエスキリストが、十字架で私の身代わりに私が受けるべきだった罪の罰を受けてくださり、三日目に甦られた私の救い主と信じました。 今から28年前のことです。
その結果、信じる前に犯した罪、その時点で犯していた罪、また、それ以後に死ぬまでに犯すであろう罪、すべてが許され天国に行ける者となりました。
その後、皆さんは、私が、「すべての罪が許されるのなら、これからますます罪を犯そう!」と、考えたと思われますか?
いいえ、そんな事は、思い浮かびもしませんでした。
私は、イエスキリストを信じた後に それまでに無い大きな平安を得、喜びに満たされました。 背中に背負っていた大きな重荷が取り除けられて、まるで、宙に浮くのではないかと思うほど、心が軽く、楽になったのをよく覚えています。
本当に神様に感謝しました。そして、神様に喜んでいただける生き方がしたいと心から思いました。
それから、まだ地獄に向かっている人たちも、早く救われて欲しいという願望が与えられ、家族や友人に伝道しました。

救われた後のクリスチャンの歩みは、人それぞれですから、皆が、私と同じとは言えませんが、「罪をますます犯そうと思った。」というクリスチャンには、今まで出会った事はありません。 もし、そんなクリスチャンがいたとしたら、その人が、本当に悔い改めて信じたのかどうか、甚だ疑問です。
なぜなら、人が、イエスキリストを救い主として受け入れると、新しいいのちが与えられます。 その神からの新しいいのちは、新しい性質を持っています。 それは、神を愛し、神に従い、また同じ信仰を持つ者を愛する性質だからです。
しかし、クリスチャンにも、相変わらず、罪は宿っています。 ですから、残念ながら、罪を犯さずに生きることはできません。 罪を犯しても救いが失われることはありませんが、神様との交わりが絶たれます。 そういう時は、悔い改めて、神様に祈りを通して罪を告白すると、交わりは回復されるのです。

“もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。
もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。“ (1ヨハネ 1: 8 ,9 )
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