KOUUNGO60 WEBSITE

愛犬アムくんは、2016年8月16日に虹の橋を渡り空に行きました

親孝行

2019-03-17 05:05:02 | 日記
私は、両親が生きている間に親孝行ができませんでした。

年に4回のお墓参り(春秋の彼岸・盆・正月)と、法要が私のささやかな親孝行だと思っています。

以前は月命日にもお墓参りをしていたのですが、80段の階段を上るのもしんどくなったので4回でごめんなさいということにしました。

墓地は一番高いところが良い場所とされていて若い時ならいいのですが、年をとるとしんどくなります。

車で横づけできる新しい墓地に変わったり、永代供養のあるお寺に変わったりする人も増えています。

ペット霊園と横並びに墓地を作っているところもあります。

アムくんを火葬してもらったところは、並んで墓地が作られていましたよ。

私たち夫婦は、まだ元気に上れるので墓の移転は考えていません。

私の父の祖父が建てたものですから、私も元気なうちは墓守します。

私の父が1歳の時に父のお父さんは亡くなられました。

父は、自分の父親の顔は覚えていませんでした。

父を生んだ人は、まだ20歳になっていなかったのでよそに嫁ぎました。

父は、祖父母に育てられたのです。

父は戦地から帰ってきたら祖父母は亡くなっていたので、独りぼっちになりました。

その父が大切に守ったお墓ですから、簡単に移せないんですよ。

父は戦地でマラリアを患い、私が小学校に入学したころからマラリアからくる肝硬変で闘病生活に入りました。

お酒で肝硬変になったのとは違って、マラリアからくる肝硬変になったのは完治すると医師に言われたので闘病生活を頑張りました。

だから、私は小学生の時から墓守の代役をまかされていました。

肝硬変は完治したのですが、それ以降も時々父は倒れていました。

父が65歳の時に不整脈だとわかり、ペースメーカを心臓に取り付けました。

心臓が不整脈でとまりかけると、ペースメーカから心臓に信号が送られて心臓が動くという仕掛けです。(簡単な説明です)

父は、ペースメーカに頼る確率が高いのでその後の10年間で三回取り替えました。

左の鎖骨の下にペースルーカの機械を埋め込んで、静脈を経由して心臓に線が取り付けられるのです。

体の中に埋め込むので、ペースメカはプラチナで作られています。

母は、父が死んだらペースメーカで母と姉と妹と妻の四人分の指輪を作るといつも言っていました。

それは冗談で、父が亡くなった後に取り出されてペースメーカはお守りとしていました。

母は、結婚してほとんど父の病気の介護に明け暮れていました。

父の死後、母には少しは人生を楽しんでもらいたかったのですが・・・・

父の死後一年後には乳がんの手術をうけ、それからしばらくして肺がんの手術をうけました。

最後は脊髄にまで癌が転移し、起きられなくなりました。

余命三カ月と宣告され、4カ月頑張りましたがダメでした。

こんな両親だったので、親孝行をする間がなかったと私は自分で自分に言い訳をしていました。

今になって思うと、いろいろなことがしてあげられたのにと後悔しています。

だから、お墓参りと法要がせめての親孝行なのです。

変な話になり、申し訳ありません。

みなさんも、今日も素敵な一日をお過ごしください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする