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愛犬アムくんは、2016年8月16日に虹の橋を渡り空に行きました

真夏日(4/30)

2005-04-30 09:22:00 | 日記
昨日は各地で夏日、真夏日の気温で4月としての記録更新をしたというニュースを聞いてなるほどと実感。着る物は半そでで十分な感じでした。今日からは例年並に戻るということなので、気温の変化にちゃんと対応しないとまた風邪を引いちゃうことにもなりかねません。皆さんも気をつけてくださいよ。

先日娘の近況報告をしたので今日は息子のことを・・・
息子は大学を卒業して、社会人5年目を迎えています。「コンピュータでは今からは飯は食えないよ」と父である私の言うことも聞かず、コンピュータメーカのSEとしてがんばっています。(大学は違うのですが専攻が私と同じなので仕方ないことではあります。)
ということで、娘と同様こちらも不規則な勤務も当然あります。今年の正月も仕事で元日の一日だけ休み。娘は元日から仕事だったので我が家の今年の正月は全員がそろうことがなかった。私も以前システム屋だったこともあり、当然のように不規則勤務が当たり前。近所の人曰く「家族みんなどうしてそういうところに就職するのかね」と不思議がられていますが、これはどうしようもないことであります。息子も大学入学のときに借りたアパートでいまだに生活をしています。大学に行っていたときと同じ駅(アストラムライン大塚駅)で降りて通勤(左側に行けば大学、右に行けば会社)しているので、アパートの場所としては最適だったのでしょう。もっと社会人らしく広いところに移るように進めても、「寝るだけだから大丈夫」と言って居心地がよいのか動く気配なし。休みはバレーボールの試合(自分が出場したり審判に借り出されたり)で忙しい。月一回散髪のために我が家に帰ってきます。元気で楽しく一人暮らしを満喫しているようで、親としては少しは安心しています。

ちなみに我が家の傾向は、私と妻と息子が数学、娘が化学という具合に理系家族です。娘が大学時代に家庭教師をしていたのですが、数学を担当していました。

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行楽シーズン(4/29)

2005-04-29 04:28:00 | 日記
世間一般ではゴールデンウィークの始まりです。私は3連休ですが、うれしくて早く目がさめたので久々に早朝からパソコンに向かっています。

私は”人”は好きなのですが、”人ごみ”は苦手なのでのんびりアムくんと過ごします。なんともったいない時間の過ごし方なのか、贅沢な過ごし方かはわかりません。しかし、アムくんにとっては、うれしくてそして疲れる?日々となることでしょう。
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いろいろあった4月(4/28)

2005-04-28 05:11:00 | 日記
2日間の営業所勤務終了。今日からまた出張所への修行の旅の開始です。今日働けば3連休です。それだけを思いながらがんばります。

このたびの電車事故はすざまじいものがあります。大勢の方がなくなられ、心よりご冥福をお祈りします。公共の交通機関の事故はいただけません。自分で運転する分はある程度のリスクを負っているのですが、陸上の交通機関はほぼ百パーセント安心して乗り込みます。それをいろいろな偶然(人為的)が重なり大惨事となったわけである。JRも根本から見直す必要がありますね。過密ダイヤや人材育成など多くの課題をこのたびもらいました。これで少しでもよい方向に変わればよいのですが・・・

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緊急(4/27)

2005-04-27 05:51:00 | 日記
昨日はいきなり営業所の方に戻るようSOSの依頼があった。昨日と今日が助っ人として戻ることになったのだ。月末前なのでいろいろ忙しいので、研修中の自由な身である私に白羽の矢がたったのだろう。
二週間しか離れていないのに、なぜか「久しぶりです」の挨拶から始まる。それに先週の木曜日に決起大会兼歓迎会で会っているのに不思議なものである。やはり、研修生という正式な配属でない身のつらさである。
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私は親不孝(4/26)

2005-04-26 05:59:00 | 日記
つくづく親不孝だと痛感しました。というのも、昨日相方のO次長が午後から病院に行かせてほしいと部長に許可を取っていた。先週土曜日の夜、O次長のお母さんが病院で緊急手術をうけたという。(O次長のお母さんは目が不自由で、かすかに明るさがわかる程度。土曜日の夜に扉の角に目をぶつけたので病院に連れて行き急遽手術となったという。)そして昨日午後から病院に行き、いろいろ身の回りのことをしてきたらしい。

私の両親はすでにどちらもいないが、両親とも最後は癌の闘病生活をおくっていたが、私はほとんど病院に顔をだすことがなかった。(両親とも頑固で気丈であったので、子どもにつらい顔を見せたくないし迷惑をかけたくないとおもっていたのだろう。たまに私が病院に行くと、「お前は会社に必要とされていないのか。ここに来る暇があったら仕事をしていろ」と叱られたものである。病院から血圧が下がったと緊急な呼び出しを受けて飛んで行ってもこうであった。)今になって思うと、もっとそばで看病してやりたかったと思う。
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