交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

冷酷無比の極み、最高裁・金谷利広裁判長の「常識」を疑う

2005-06-14 16:57:34 | 交通事故と闘う
読売新聞のウェブで、驚くべき判決が出たことを知りました。
ニュースを見て、これほど本気で腹が立ったのは久しぶりです。是非読んで頂きたいと思います。
(記事本文は、下記リンク先でご覧下さい。)

交通事故逸失利益、利息控除は「5%が妥当」…最高裁


交通事故の被害者に賠償金が支払われる際、「将来得たであろう給与(逸失利益)」が支払われます。
しかし、一括して賠償金を受け取ると「運用することで利子が付く」ということから、利息分を差し引いた額を支払うことになっています。その利率の算定材料として、民法で定められた「法定利息5%」があるのですが、この超低金利時代ですから、当然5%も利子が付くはずありません。時代に合わないとの批判が数多く出ています。

しかし今日の判決で、最高裁の金谷利広裁判長は「利息分として5%は差し引くべき」との判決を下しました。その理由に、呆れてモノが言えません。

> 5%より引き下げるべきという主張は理解できるが、賠償額の算定に当たっては、
> 裁判官ごとに判断が分かれることを防ぎ、被害者間の公平を確保する必要がある
> から、中間利息は民法が法定利息としている5%を採用しなければならない

(°Д°)ハァ?

私のような俗人と違い、頭が良すぎるのでしょうか?
そもそも「金利1%にも満たない超低金利時代=5%で計算するのは時代にそぐわない」ということは、このご時世、国民の誰もが実感しているでしょう。現在の日本に、元本保証で金利5%の銀行があったら、みんな預金に殺到します。しかも「被害者間の公平を確保する」と言っていますが、そもそも5%で計算されることが、被害者に不利益を強いているのではないでしょうか?
だとすれば、時代にそぐわない法律を改めるべきであり、そのための布石となるような判決こそが、社会正義のために必要なのではないのでしょうか?

今やドライバーの多くが任意保険に加入していますから、実質的に支払うのは、多くの場合「損保」という企業です。逆に支払を受けるのは、今回のように大切な我が子の命を奪われた親や、重篤な後遺症を負わされた被害者、すなわち「個人」です。
今回の判決で「2審・札幌高裁判決を破棄し、賠償額を算定し直し」ということになりましたから、中間利息の引き上げで約2200万円が減額される見通しですが、企業が2200万円「損」をすることと、被害にあった個人が受け取る賠償金が2200万円減額されることは同じでしょうか?

仮に、一家の大黒柱である働き盛りの父親が被害にあったとして、数千万円単位で賠償額が変わるということは、その後の一家の生活を一変させるでしょう。
例えば、子どもは大学進学を諦めるかもしれません。妻はこの不況の時代に、パートより実入りのいい商売を探さねばならなくなるかもしれません。昼間に普通に働ける仕事ではないかもしれません。我が子に先立たれた親の「苦しみ」や「悲しみ」は、誰も贖(あがな)ってはくれません。

そういった苦しみや悲しみに思いを馳せ、被害者の無念を思いながらこの判決を下したのだとすれば、金谷利広裁判長はさぞや冷酷無比を絵に描いたような人物なのだと思います。人間は感情の動物です。理屈や理論は大切ですが、相手の心を推し量れるのが人間の人間たる所以だと私は考えています。金谷利広裁判長のご家族が交通事故に遭われた際には、是非とも今と同じ気持ちで「法定利息5%」を主張し、相手方損保を喜ばせてあげて頂きたいと思います。

金谷利広裁判長に問えるものなら問うてみたい。

あなたの奥さんが車に轢き殺されても、「年間1万人の死者の1人、大したことではない」と思えますか?
朝送り出した子どもが、ただの肉片に変わり果てても、「交通事故なら仕方ない」と納得できますか?
家族を奪われた痛みに耐えながら、損保や顧問弁護士と対峙する気力がありますか?


きっと、こういう人が退職すると、守銭奴的な損保から顧問弁護士として厚遇で迎えられるのでしょうね。
次の参議院選挙の際、金谷利広裁判長に「罷免」の×印を着けるのが楽しみです。

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