交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

無知の恐ろしさ

2005-06-13 10:50:04 | 交通事故と闘う
久しぶりに、父の見舞いにゆっくり行ってきました。事故から1年少々、父の様子も随分変わってしまったことに、驚いて帰ってきました。

かつては自ら立ち上がろうとする素振りを見せ、私たち家族が手を貸すことも頻繁でした。
その後入院中に、(高次脳機能障害のため正しい認識が出来ず、無理な動きをして)骨折。立ち上がることはほぼ困難になり、ベッドと車いすの移動での「つかまり立ち」がやっとになりました。
現在は、福祉施設を経て病院に入院中ですが、自分から食事に箸を付けることもなくなり、手を貸さずに放っておけば、1日2日で死ぬような状態です。

こういう状態の変化は、実際に寄り添ってみないと伝わりにくいものがあります。
事故後1ヶ月ほどのことですが、車いすに座っている父を見た加害者が、「随分回復されたようで安心しました」と言いました。にこやかに座ってはいますが、全く会話の通じない父。トイレも食事も人の手を借りずにはできない「人間」を見て、「回復してよかった」などと言える無神経さに、「知らない」ということの恐ろしさを感じました。

加害者は一方的に弁護士を立て、後は知らぬ存ぜぬを決め込んでいます。「月に1度、父の生活の様子を見にくる」と約束したものの、去年の秋以来、1度も来たことはありません。
そんな加害者には損保とお抱え弁護士が付き、被害者は独力で弁護士を探さなければならない、それが現実です。しかし、自分がその境遇に置かれなければ、きっと誰も、事故被害者の不遇を知ることはなく、「保険に入っているから」という漠然とした安心感の中、日々車を運転しているのでしょう。

そう考えると、「知らないこと」の恐ろしさを実感すると共に、思いを巡らせずに済む「幸せさ」を、羨ましくも思います....。


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