人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

若い力 人の力

2020-01-08 07:02:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ


父と母が亡くなってからずっと人が住んでいなかった家に、長野から来る若い人たちが住むことになった。


学校を卒てから東京に就職し、長野支社に行った人が故郷に戻ってくるのだと言う。


住む家がないので貸してほしいというのだ。




最愛の父母が亡くなってからずっと人が住んでいなかった家。


当時使っていた家具も食器もそのままで塵と埃の中で静かに時が流れていった家。


壁のいたずら描きは私のもの。敷居にかけてある神社の絵は兄のもの。


本箱を探れば高校時代の日記があったり、父親が使っていた漢詩の辞典があったりして、思い出だけが住んでいた家。


誰も住んでいなくて物騒だからという理由で行政調査にも引っかかっていた家。


その家に住みたいという人が現れたのだ。


急の要請に、何日もかけて慌てて片づけた。


まだ使える物は知り合いに使ってもらったり、不要物は古物屋に処分してもらったり、壊れた箇所を直したりしてやっと人が住めるようになった古い家。


その家に若い人たちの荷物が届いた。


とりあえず荷物だけを先に置かしてほしいと言う。


向こう(長野)の仕事が済んだら本格的にこちらに越して来るから。


まだ人を迎える準備が完全に出来ている訳ではないが、とりあえずOKを出したら荷物だけが届いた。


その日、私は仕事の都合で運び入れに立ち会えなかったが、その後、残りの修繕のために家に入ると、若い人たちの荷物が山ほど積まれていた。


山ほど積まれていた荷物を見ながら、私は、胸の底からこみ上げてくる新鮮な感情に体が震えてしょうがなかった。


「この家に人が住む。」


「思い出だけが住んでいたこの家が、若い人たちの笑い声や生活の活気でいっぱいになる。」


小さい頃からずっとこの家で育ち、この家で青春の思考を巡らし、この家で父と母を送った、メモリアルとしての家。


その家が、今、生き返るのだ。
(くろほとき)