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人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

命をつくる

2019-09-09 05:48:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ



ぼくは、男。

なのに、小さい頃、実母散をよく飲んだ。母親が、毎晩飲んでいたのを欲しがって。

ぼくは、子ども。

なのに、赤玉ポートワインをよく飲んだ。母親が、毎晩飲んでいたのを欲しがって。

母親は、自分の体にずいぶんと注意を払っていた人なのに、すごく長生きはできなかった。

癌だった。

明日、おふくろの命日だからいろんなことを思い出した。

人間の命の長さや大きさは、どんなふうにして決まるんだろうか。

健康に留意していたから長生きして、反対に健康に無関心だったから短命で、とうことは一概には言えない。

境遇も、小さい頃の食生活も、現在の暮らしぶりも、人々に対する関心も、親からの遺伝も、住んでいる場所や時代も、みんなみんな決定要因になっているんだろう。

だから、一つのことだけをやっても命は延びていかない。

そう思うことも間違いではない。

が、正しくもない。

命が延びるということは、生きがいのなかで生きるということだ。

やりたいことがあるから、そのためにからだを強くして、心もしなやかにして、毎日毎日を新しく生き抜くことをいうのだ。

だからぼくらは、自分の心とからだに結構なエネルギーを注ぐのだ。

富士山が爆発してこの辺の人はみんな死んじゃうんだから、からだなんて鍛えなくてもいい。

努力をしようがしまいが、どうせ寿命は尽きるのだから、苦しい鍛錬なんてしなくてもいい。

そうじゃないんだ。

生きがいのなかで生きるために、

やり残しを少なくして死んでいくために、

今の精神を快活にし、苦しみから逃れるために、

人間としての幸せに包まれるために、

からだと心に関心を持ち、

明日の精神と肉体を考え、

命をつくり上げていくんだ。 よ。 ね。
(くろほとき)









親の思い 子の願い

2019-09-08 06:23:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ


親の思い 子の願い。

先日、「渡部あい」という初老の女性と話をする機会があった。

その人との会話の中で、自分の名前の由来を聞く場面があった。

「私の名前は、わたべあいです。」

「下の名前の漢字を教えてください。」

「あいは、ひらがなです。」

「あのね、私は3月24日生まれ、つまり早生まれなんです。それに、生まれた時は未熟児でした。」

「早生まれだから、学校の出席番号は最後。名字は、渡部でアイウエオ順の最後。それに、未熟児だから、体もきっと一番小さい。」

「そんなことを心配して、私の親は、せめて名前だけでも、一番の名前をつけてあげたいって考えたの。だから、あい。ア行の『あ』と『い』。アイウエオ順で一番の(あい)。」

そんな話をしてくれた。

いい話だと思った。子どもに対する親の素朴な思いに感銘を受けた。

私たち人間の身の周りには、さまざまな思いが込められた「もの」や「こと」がたくさんある。

地名であっても、村や町の名前であっても、道具や部品の名前であっても、小動物の名前であっても・・・だ。  

その中でも人の名前は、最上級の親の思いが込められている。

このブログを読んでいる貴方の名前も、きっとご両親の特別な思いが込められているに違いない。

お子さんをお持ちの方は、強い願いをこめて自分の子どもの名前を付けられただろうと想像する。

親の思いや願いというのは、目に見えないけれど、成長していくいろんな場面で、子どもに愛を降り注ぐのだ。

ほんの短い会話のなかに、まだ見ぬ渡部さんのご両親の細やかな心を想像してしまった。

ちなみに、渡部あいさんのお子様の名前は、漢字だそうである。

あいさんが、小学校に入ってから、ことあるごとに、「名前は、漢字できちんと書くんだよ。」と言われ続けてきたそうである。

もちろん、先生方は、渡部あいさんに向けて言ったのではなく、目の前の子どもたち全部に向けて言ったんだろうけれど、「名前は、漢字できちんと書くんだよ。」いう指示を聞くのはつらかったんだろう。

「私の名前はひらがなだもん。漢字なんかないんだもん。」って思ってほほをふくらませていたあいさんの顔が浮かんでくる。


あいさんは、ずっと思っていたそうだ。

「自分の子どもの名前は、絶対に漢字にする」って。

形は違うけれど、あいさんのご両親の思いは、あいさんの心のなかにずっと住み続けてきたんだと思って、素直に感動してしまった。
(くろほとき)









愚かなシニア 立派なシニア

2019-09-07 06:38:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ


年老いて、なお学び続ける人は、立派です。

年老いても、なお志高き人は、尊敬に値します。

しかし、年老いて、なお、

現役時代の自分の役職や肩書きを、シニアの学びの中に持ち込む人は、

愚かです。





「大賢は愚なるがごとし」という言葉があります。

また、「深い川は、静かに流れる」という言葉もあります。

次のような意味です。

前者は、本当に賢い人は、知恵や知識をひけらかさないから、一見したところでは愚かな人に見える。

後者は、分別のある人や思慮深い人は、ゆったりとしていてやたらに騒がない。


中身がある人は悠然としているが、出来ていない人ほど騒々しいものだ。

どちらも、言おうとしていることは同じです。





勘違いするシニアが多すぎるのです。

上から目線の人が多すぎるのです。

現役時代、いかに仕事ができ、いかに上位の役職についていても、

「現役でない今」では、社会に通用しません。

技術を伸ばし、知識を増やすことも大切ですが、

人間性を磨いたり、社会性を培うことも、より重要なのです。


人は、昔の手柄だけでは生きられません。


気持ちを切り替える、考え方を切り替える、これは、とても大変な自己改革です。 


もう一度言います。

人は、昔の手柄だけでは生きられません。









まがらない ちぢまない

2019-09-06 04:41:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

「年をとっても ちぢまない まがらない」という本がある。

このタイトルを見て、一瞬『うっ、からだのこと? 自分のからだ?』って思う人は、鋭敏な人。老性自覚の強い人。

何気なく通り過ぎ人は、老いの自覚が薄い人。




この本の目的は、まず「ちぢまない まがらない」からだづくり。

「ちぢむ まがる」を防ぐのは、日々の筋トレ。

日本中に、背が縮み、腰が曲がってしまったお年寄りが溢れている。

彼らには、残念ながら「筋トレ」の知識、つまり〝智慧〟がなかったのだ。

年をとったら筋トレをしなさい。アイソメトリックス(静的筋トレ)をしなさい。

いつでも、どこでも、だれでも、できます。あまりに、かんたんすぎて、おかしくなるでしょう。

さらに、「長息」「笑い」「少食」「菜食」も実践すると、まわりのひとが驚くほどの若さを実現できますよ。

この本には、そう書いてある。

私も、1日に何度か静的筋トレを始めている。





二度咲きしたバラの隣で

小さな花々も踏ん張って秋を飲み込もうとしている

もうすぐ冷たい空気を引き連れた秋が来るけど

この子たちは納得がいくまで咲き続けようとしている

ああ、私だって負けないよ

今朝は夏じまいの風が、こんなに冷たい
(くろほとき)






わ 楽しく生きる

2019-09-05 06:27:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

◯昔覚えたことや経験してきたことだけでは

脳の衰えをカバーすることはできません。 

 

◯年をとって実際に新たなことを始めることは

大変ですが、脳の衰えをカバーするためには、

年をとっても、今まで経験をしたことがない、

新たなことに挑戦して、新しいことを覚えてい

くことが必要です。 


◯もう年だからと言って、いろいろなことへの

味を失っていくのがもっともまずいことで

す。


昨日読んだ本に、そう書いてありました。

しかし、それはそれで、もっともなことです

が、なかなかその趣旨にあった生活をするの

は、楽ではありません。

どうすればいいのでしょうか。




答えは沢山あるでしょうが、

すぐできる一つの答えは

《シニアの学びの会》に入ることです。

自分のやりたいこと、文学・歴史・伝統体操

・ものづくり・合唱・インターネットに関連し

た活動・現代社会の見方考え方等々にふれる機

会をどんどん広げていくことです。

私の所属する学びの会では、

「興味津々」

「日々是好日」

「肯定的な言語環境」の中で

すがすがしい空気を醸し出しています。





今朝は、この曲を聴いて
                    元気を出して↓↓

↑↑  ほんと、元気になろうよ。