ぶらぶら日記

ぶらぶらしてます。

音楽の話 (28)

2020-02-29 13:49:10 | 思い出
 小室等・吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげるの4人がフォーライフレコードを立ち上げる。人とは大きくなれば仕事について会社に対し不満を持つものだ。アーティストになればなおさら。

 私は中学から高校生の時期なので詳しいことはわからないが、今考えるとレコーディングやプロデューサーの立ち位置、販売方法など…不満がたまっていたのかもしれない。ならいっそのこと自分たちで、と思ったのも不思議ではない。

 小室等と言えば六文銭、六文銭といえば及川恒平と四角佳子である。しかし彼らを一番有名にしたのは上條恒彦と一緒に歌った「出発の歌」だろう。私の好みは、「面影橋」「雨が空から降れば」である。

 泉谷しげるは、今では俳優として有名。本人は青森出身と言っていた時代があったが、それは両親で本当は東京であると聞いたことがある。エレックレコードでデビュー。「春夏秋冬」「眠れない夜」が有名だが、マイナーな曲に「東西南北」という曲がある。
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音楽の話 (27)

2020-02-29 09:43:02 | 思い出
 吉田拓郎と対比するフォークアーチストといえばやはり井上陽水である。

 陽水は、福岡県田川で育ち、歯医者を目指すも数度受験に失敗、上京した。私は10歳前後だったのでアンドレ・カンドレ時代は詳しくない。最初に彼の歌を知ったのは「傘がない」だった。小学生の私は、高音で良く伸びるボーカルが好きだった。バックの楽器の音も澄み切っていて何となくカッコいいぐらいの印象。今聞くと「田舎から出てきた若者が都会の中で染まり切れず、周りで起こるすべてのことに対して無関心、自分の目の前のことが大切なんだという空虚感、ニヒリズム」を感じてしまう。

 「夢の中へ」は、「目の前にいる人に対しても、探しているものや悩みなんて苦しいことは考えずに、僕と踊ろう」という一種の開放的無責任さと感じる。小学生の私は、純粋だったので「へーそんなことでいいの?大人っていいなあ」という感じある種の軽蔑。

 「心もよう」は、「寂しさから手紙を書いたけど、自分の心は文字では伝わらない。会って話せば、時間を止められるが長距離恋愛はむつかしい」という感じか。

 シングルレコードでも100万枚売るのは大変な時、LPの「氷の世界」は100万枚売れた。続く「二色の独楽」、「招待状のないショー」と立て続けて1位になった。

 拓郎といい陽水といい、フォークは金になる時代の到来だった。
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音楽の話 (26)

2020-02-28 18:29:52 | 思い出
 「結婚しようよ」がヒットした吉田拓郎は、「元気です。」というアルバムを発表する。なんといってもこのアルバムは石川鷹彦がバック・ギタリストとして参加したことが大きかった。

 かぐや姫のところで書き落としたが、石川鷹彦は風の「22歳の別れ」は、ナッシュビルチューニングというギターのチューニングでひいている。そのためにこの曲はキラキラしたギターサウンドになっている。

 「元気です。」に話を戻すが、石川鷹彦が参加しなければ「リンゴ」という曲は生まれなかったとさえ思う。2分足らずの曲だが、あのギブソンJ-45 というギターがすごいのか?石川がすごいのか?J-45は加藤からもらったと拓郎が語っている。

 拓郎は、たくさんの曲をアーチストに提供している。「襟裳岬」を森に提供し、この前亡くなった梓みちよに「メランコリー」、石野真子に「狼なんて怖くない」、太田裕美に「失恋魔術師」、かまやつひろしに「わがよき友よ」「水無川」、中村雅俊に「いつか街で会ったなら」、由紀さおりに「ルーム・ライト」「両国橋」などが有名だ。特にキャンディーズは解散前もあり驚異的にもりあがった。「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」「銀河系まで飛んでいけ!」を思い出す。
 
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音楽の話 (25)

2020-02-28 15:05:09 | 思い出
 音楽の話 (23)で軽く吉田拓郎(当時はよしだたくろう名義)について…

 一番最初に彼の曲を知ったのは、やはり「結婚しようよ」だった。聞いてもらえばわかるが、小学生の私に、なんとなく明るく楽しい曲という印象を与えた。今聞いてみるとわかるのだが、スライドギターを多用している、結婚の時期が髪が伸びた時という趣旨の歌詞や(間違っているかもしれないが)リズム楽器にカフォンと使っているなどがのんびりな中にも華やかさを小学生の私に感じさせた。編曲者の今は亡き加藤和彦の功績だろう。

 ラジオで「欽ちゃんのドンといってみよう!」という番組があった。よくたくろうの曲がかかっていた。その時聞いたのが、「おきざりにした悲しみは」だったと記憶している。この曲が一番印象に残っている。

 中学になってしばらくすると拓郎作曲の「襟裳岬」が演歌歌手である森進一に提供された。拓郎はフォーク界のスターであったが、ついにフォークソングもここまで来たかと思った。この曲は彼の「今はまだ人生を語らず」に収録されているので、LPを持っている。
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音楽の話 (24)

2020-02-28 09:04:41 | 思い出
 かぐや姫が流行っていた時、「四畳半フォーク」というジャンルができた。

 後年、私も納得できたのであるが、それまでは岡林や高田、加川、中川などの社会派フォークというものがあった。それに対して生活派フォークができてきた。その中でも恋人、貧しいながらも幸せなどという歌詞に載せたフォークだったと思っている。神田川が流行る前に赤色エレジーという曲も思い出す。

 それに対抗するのが荒井由実だった。「海を見ていた午後」の一節「ソーダ水の中を貨物船が通る」という歌詞は四畳半フォークと対比するものだと思っている。

 「こんな曲が流行るとなると私たちの曲は否定されると思った」と後年武田鉄矢は語っている。
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