ぶらぶら日記

ぶらぶらしてます。

ネットという虚構の世界(改)

2022-12-23 07:52:08 | 幸福
インターネットの中は虚構の世界である。ブログについてはいいことしか書かない人が多い、と私は思っている。「今日ヨーロッパ旅行に行く」「今ワイキキビーチで子供が遊んでいる」などと幸せそうな様子があふれている。これらは嘘とは言わない。事実なのだろう。

 真実と事実は違う。いいことも悪いことも合わせたものが真実とするならいいことだけブログてつづっても事実として成り立つ。私もそうだがブログには悪いことは書かない。ギャンブルをやっている人は、あえて負けた話をしないものだ。

 ただブログの読み手はどうだろう。私は旅行や鉄道関係のブログをよく見て勉強させてもらう。もし不幸な人や悩みを持った人がそういう幸せなブログやSNSに読んだらどう思うだろうか。ブログやSNSの読み手はこれらはあくまで虚構の世界(書いてる人の一面にすぎない)を思った方が良い。幸せだけの人はそもそもいない。脳の認知機能はそういうふうにはできていない。
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幸せが当たり前になっている。配偶者や家族を大事にしないといけない。

2022-02-02 10:54:09 | 幸福
 今日体重と計ったら2キロ増えていた。理由は簡単、歩かないから。まったく歩かないわけでがなく時々1時間程度歩いている。日帰り旅行を頻繁にしていた時は4時間ぐらい歩いていたのでそれに比べたら歩いていない。オミクロンがこれだけ流行していたら不要不急の外出はしたくないと思っている。

 1月31日前歯に詰め物をしていたがそれが外れてしまった。慌てて歯医者に電話して予約して昨日詰めなおしてもらった。私はビビりなので、「もうこれはできませんね」と言われるのではないかと思いどうしようとずーっと心配していたが特に問題なく治療してくれた。ホッとするということは安心や幸福感が増す。

 ところが人とはすぐそれに慣れてしまう。それが当たり前と思ってしまうのである。不幸も同じで何か重大な問題が発生しても、しばらくすると「命が助かったのだからよかった」と思うようである。(もちろん不幸にはなりたくないのだが)こう楽観的に思はないと人はやっていけない、そう脳にプログラムされているのだろう。そうプログラムされている人(遺伝子)が生き残ったのだろう。(進化論?)

 夫婦でも同じである。横に配偶者がいるのが当たり前、そう思っていないか。ついつい冷たいことを言ったりしてしまう。しかし、いないとこれだけ寂しいことはない。配偶者や家族を大事にしないといけない。
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サステナブルを考える。

2022-01-03 10:18:11 | 幸福
 日本語では『持続可能な』という意味である。「成長の限界」をローマクラブが発表したのが1972年だから結構前から地球環境のことが論議されたことになる。「人口増加と工業投資がこのまま続けば、地球上の資源は枯渇し、環境汚染は自然が許容できない範囲まで進行し、100年以内に人類を含む地球上の成長は限界に達する」と報告書の中で訴えているがそれから50年たった現在それが正しいことが証明されつつある。

 極端なサステナブルは、物を買わない、消費しないだろうが、それでは経済活動は成り立たない。だから「実質0」という言い方になる。簡単に説明すると例えばCO2、排出する量をできるだけ削減するがそれでも排出され、その分は回収する。回収する方法は森林で吸収する、地下貯蔵?とかが考えられている。

 服や食べ物はとにかく作りすぎである。買ってくれることを見越して大量に製造、余れば廃棄することを基本としている。原材料はほぼ農業(牧畜をふくむ)で農業従事者も買ってくれることを前提で生産している。

 原料づくり→製造→購買    この流れを少しずつスピードを遅くしていくしかない。
        ↓  ↓使用後
       余る→廃棄 

 
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世界はどんどん便利になっていく

2021-09-14 07:42:48 | 幸福
 スマホに写真共有アプリをいれたので孫の写真が見られる。とてもかわいい。爺馬鹿である。

 この前、孫の服を数枚買って送った。私の長男や長女が使っていた帽子やベストを送ってあげた。つまりおさがり。それらをかぶせたり、孫の体の上に置いてこんな感じだと写真共有アプリで見せてくれた。

 ちょっと大きめなのでこの服が似合う頃にはお座りや伝い歩きができるようになっているだろう。
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ウィズコロナ

2021-09-07 12:16:20 | 幸福
 新型コロナウイルスと“共に生きる”ことをウィズコロナという。この言葉は1年以上前から言われてきた言葉である。ワクチン接種がある程度進めば集団免疫ができ、スペイン風邪のように収まるといわれてきたがそういうわけではなさそうだ。

 消費生活も「モノ」消費から「コト」消費へと言われてきたがどうもそうではなさそうである。

 「コト」消費の代表的なものは旅行、習い事であるがこれらの多くは人と接触する。それではコロナ感染の可能性が高まる。新聞では、「お金を旅行に使えないので高級車を買ったらしい」という記事が載っていた。金持ちの考えはどうも私たちとは違う。

 無理してお金を使う必要はないと思うのだが、お金を使うことがストレス発散になるのかもしれないし、子供たちの残すつもりもないのかもしれない。
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