眠気を感じたらリレミトを唱えて会場を脱出すればいい・・・
愛弟子シーレ(ニコライ・キンスキー)が病床にあったクリムト(マルコヴィッチ)を見舞うシーンから始まるこの作品。シーレのおでこのテカり具合が東国原氏を想起させ、すでに夢心地にさせてくれる。病院内もなにやら異常な世界。これはもしやクリムトの幻想によって創り出された世界の残骸なのかと思わせるほどで、第一次大戦の終焉がそのまま絵画における美と栄光の終わりであるかのようだった。
ウイーンとパリの文化の違い。詳細には描かれてなかったのですが、『マリー・アントワネット』でもそうであったように、封建的で厳粛なイメージのオーストリアと自由の国フランスの違いがそのまま残されていたのだろうか。パリではメリエスによる映画上映などもあったりして、映画ファンとしては興味深いところでしたが、そのフィルムにはクリムトのそっくりさんとレア(サフロン・バロウズ)が登場する。映画ではそのレアに心を奪われてしまったクリムトが中心となるのです。
美と醜悪の違いを論じ合う批評家たち。そして本物と偽物の違いに悩まされるクリムト。その違いは鏡やマジックミラーという道具によって入れ替わり、あくまでも本物を追求したいという彼の心が揺れるのです。しかし、絵を描くこと自体が偽物を作り出すことに他ならないので、描き続けることなんかじゃ満足できないはず。そう考えると、彼の作品には“死の香り”がするという批評も間違ってはいないように思われるのです。映画はクリムトの伝記としての流れよりも、こうした彼の心象描写が前面に出ていたような気がします。
梅毒に冒されていたクリムト。顕微鏡で梅毒菌を見て「美しい」とまで言ったクリムト。もはや現実と虚構の世界の区別がつかなくなっていたのだろう。何度も登場する書記官は最初から幻影だったのかもしれないし、レアという女性も最初から存在しなかったのかもしれない。と考えると、クリムトは最初から偽物を追いかけ、鏡に映る虚構の女性を描き続けていたのかもしれない。
★★★・・
愛弟子シーレ(ニコライ・キンスキー)が病床にあったクリムト(マルコヴィッチ)を見舞うシーンから始まるこの作品。シーレのおでこのテカり具合が東国原氏を想起させ、すでに夢心地にさせてくれる。病院内もなにやら異常な世界。これはもしやクリムトの幻想によって創り出された世界の残骸なのかと思わせるほどで、第一次大戦の終焉がそのまま絵画における美と栄光の終わりであるかのようだった。
ウイーンとパリの文化の違い。詳細には描かれてなかったのですが、『マリー・アントワネット』でもそうであったように、封建的で厳粛なイメージのオーストリアと自由の国フランスの違いがそのまま残されていたのだろうか。パリではメリエスによる映画上映などもあったりして、映画ファンとしては興味深いところでしたが、そのフィルムにはクリムトのそっくりさんとレア(サフロン・バロウズ)が登場する。映画ではそのレアに心を奪われてしまったクリムトが中心となるのです。
美と醜悪の違いを論じ合う批評家たち。そして本物と偽物の違いに悩まされるクリムト。その違いは鏡やマジックミラーという道具によって入れ替わり、あくまでも本物を追求したいという彼の心が揺れるのです。しかし、絵を描くこと自体が偽物を作り出すことに他ならないので、描き続けることなんかじゃ満足できないはず。そう考えると、彼の作品には“死の香り”がするという批評も間違ってはいないように思われるのです。映画はクリムトの伝記としての流れよりも、こうした彼の心象描写が前面に出ていたような気がします。
梅毒に冒されていたクリムト。顕微鏡で梅毒菌を見て「美しい」とまで言ったクリムト。もはや現実と虚構の世界の区別がつかなくなっていたのだろう。何度も登場する書記官は最初から幻影だったのかもしれないし、レアという女性も最初から存在しなかったのかもしれない。と考えると、クリムトは最初から偽物を追いかけ、鏡に映る虚構の女性を描き続けていたのかもしれない。
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なぜ?なぜ?“ト”が同じ文字で、かつ4文字である、というだけなのに。
kossyさんはこうしたことを、一体どこから思いつかれるんでしょうか?いつも素朴に疑問であります
現実と虚構の境目をふらついたクリムト目線のこの映画。
ああ、絵画界に咲いた毒花のようなクリムトでしたよね・・・
ポスターの文字、「ク」が「リ」に見えてしまって、「リリムト」と読んでしまったのが原因です(汗)
登場人物に「ラリホー」などという人がいれば最高だったんですけど、それはなかった・・・残念。
などと考えつつも「クリムト、リレミト」と検索すると、いっぱいヒットしてしまい、ドラクエ4にクリムトがいたことも思い出されました。
最初から鏡がクローズアップされてたし、観客も虚構の世界に入り込んでしまいそうな映画。毒花とは、なるほど上手い!
絵のモデルさんたちが裸で平然と行き来するのを見ると、エロティックとはかけ離れた物を感じますね~。
あーいう人に囲まれていたら感覚が麻痺してしまいそう。
というか、そうでなければ作品など生まれないだろうし、
ましてや映画や物語の題材になるはずがありません。
マルコちゃん(笑)もさまざまな演技をみせ付ける事で有名ですが、彼もまた精神科医にお世話になった事もあると思うと、
自分は凡人で良かったのかなぁ~
と思うこともあります。
あの書記官は幻覚ではなく、映画として彼の精神状態を具現化したものなのでしょうね。
「シーレのおでこのテカり具合が東国原氏を想起させ・・」に笑ってしまいました。本当にそうでしたね。しかし、上手に思いつきますねぇ。たまりません。
ジョン・マルコビッチはいつ見ても怪優?名優?ですが、わたしはサフロン・バロウズに驚きました。彼女は「ここぞ」という美女の役をよくやってる割には、地味な印象の人だな、と思っていました。
で、「そんなに美人かしら」なんて思っていたのですが、この映画ではきれいでしたね~~。今までの彼女の映画の中で、いちばんきれいだったと思います。
書記官は、「ビューティフル・マインド」のポール・ベタニーみたいなもんだろうと、私は思っていました。
不思議なんだけれど見入ってしまう、そんな映画でした。
ちなみに、どうでもいいことだけれど、入場プレゼントで「金箔入り・クリムトあぶらとり紙」をもらいました。
やはり芸術作品のモデルですから・・・俺的には「これは絵なんだ」という目で見てました。
それにしても、どこからどこまでが現実だったのかもわからなくなりそうです。書記官とレア、そしてレアに関る人が全て幻なのかなぁ・・・
>八ちゃん様
芸術家の心までは推し量るのが難しい。
実際のモデル以外の心象風景なんてのは全て芸術家の頭の中なんでしょうし、そのあたりが見えればよかったんですけどねぇ・・・
マルコちゃんは精神科のお世話になってたんですか!知りませんでした。いつも彼のうつろな目もいい雰囲気出してますけど、演技してるときでもアチラの世界に行ってるのかもしれませんね・・・
>kisen様
こう毎日毎日そのまんま映像を見せられるとねぇ~(笑)
生え際はちょっと違うんですけど、テカリ具合は一緒!すぐに想像してしまいましたよ~
サフロン・バロウズの出演作を確認しましたけど、やっぱり印象に残ってないです。今後注意して見たいと思います。元モデルさんだけあって、こういう役はピッタリでした。
やはり皆さん「ビューティフル・マインド」を思い出されるようで・・・すると、彼はクリムトの善き心なのか、冷静な目で自分を見つめなおしたかったのか。とにかく自身でもぶっ飛んでしまってることを自覚してたのかもしれませんね。
あぶらとり紙!!
東国原さんにもプレゼント~