koshinmilkのひとりごと

千葉県から2007年に新潟へ移住したkoshinmilkの、近況報告・自己満足のための日記。2005/03/13~

ボクの天命

2015-04-04 20:41:55 | 仕事

貼り出された〈異動のお知らせ〉がこちら。

正と副が「交替」ということになりました。

 

「なんで『運転士辞める』なの?」とお思いになる方も多かったかも知れませんね。
副は現場なんですが、正は内勤なんです。
16日から事務所勤めなんですよ。
だから『運転士辞める』なんです。

細かく言えば「事務所勤めの運転士」ってことになるのですが、
なにかない限りは現場に出ることは無いでしょうから
『運転士辞める』という表現にしてみました。

 

「人には『天命』ってのがあってね」

印旛村のタクシー会社の社長に言われた一言。
バス運転士ってのは、まさにボクの天命だったのかもしれません。
12年間続けましたからね。
京成バスさんのように新卒のバス運転士を募集するような時代になりましたが、
就職セミナーでも新卒の就職活動でも出会えないような職業に
ボクの適職にありつけたと思います。
だからって当時の就職活動はムダだったのか?っていうと
それは間違いなく違うと思います。
あの1年間のサラリーマン生活が無ければ、あの時の出会いが無ければ…
サラリーマンやってタクシー屋さんに手紙書いて
グリーンさんに入って今の会社に入って。。。
ちょっと遠回りしただけで、いや、通るべき道を通って
今の自分があるわけなんだから。

 

ボクにとってバスの運転士はホント適職だと思っています。
16日からはその適職を捨てることになるわけです。
大学生の時「それなりの就職活動をした」と申し上げました。
その時は1社だけ、作業服作業用品の大型専門店から内定をもらい
その会社に就職したわけです。
ほかに受けた会社。配送会社の事務職受けたほかはほとんどが
バス会社、バスをやってる私鉄とかを受けたんです。
ことごとくあっという間に落ちました。
唯一、最後の面接まで行った会社がありました。
恥ずかしながら当社の親会社。
最終面接当日、合格の場合は早い時間に電話で連絡するということになってました。
新幹線に乗っても、東京駅に着いても、八千代中央駅に着いても、
そして家に着いても連絡は来ませんでした。
適職を捨て、子会社とはいえ一度「要らない」と言われた会社の事務所に入るんです。
今になって「そういえば一度落ちてるんだよな。要らないって言われてんだよな。」って
当時のことを思い出してふと考えると
なんだか微妙な気持ちになるんですよね・・・

でも、でも、親は親、子は子。
どーゆー意図かわからないけど所長に「残って欲しい」って言われたわけだし、
子にしかできないことが、子だからできる自由さもあるわけだから、
いろんな人に「とてもじゃないけど市内は遠くてムリ」って言ってきたけど、
だからボクは親会社に移籍せず子会社に・潟東に残ることにしたんですから・・・

まぁ、いろいろ熱く語ってもしょうがありませんね。。。

 

とりあえず、とりあえずは休みを除いたあと8日となった残りの運転士人生を
しっかり噛みしめて仕事をしようと思います。

 

 

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