イマコト

ありのまま きままに 日々の中での あれこれ

主観を破ったところに智慧がある

2012-08-11 23:47:59 | 今日の言の葉種(学び)

智慧とは、どんなときにあらわれるのでしょうか。
主観を破られたところに、智慧があるのです。

何かの見解、尺度、見方、立場などがなく、
心が解放された状態なのです。

空気をみてください。何の形もなく、
何の抵抗もなく自由にどこにでも入ります。

智慧も同じです。
生きるうえで起こるいかなる問題も解決してしまうのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


正解はたったひとつ

2012-08-10 11:37:16 | 今日の言の葉種(学び)

主観で、ものごとを解決しようと思っても、できません。
ひとつの問題について、一人ひとりが主観的な解決策をもっています。

けれども、ひとつの問題に無数の答えがあるはずはありません。
正解は、たったひとつです。

それを発見するために、
主観という自分だけに限ったカラを破らなくてはならないのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


自分も他人もいない

2012-08-09 21:47:02 | 今日の言の葉種(学び)

主観のない人だけが、
客観的・普遍的にものごとをみるのです。

自分がない人にとって、自分も他人もいません。

そこにあるのは、
自然法則の中に起こる「行為」の連続だけなのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


錯覚を破って自然体で生きる

2012-08-08 10:50:08 | 今日の言の葉種(学び)

自我というのは錯覚の産物です。

それを発見した人の心は、想像を絶するほど軽くなるのです。
ちょっと言葉では表現できないくらいです。

「無我」だとわかれば、ものごとに、
好きだ、嫌だ、苦しいのだ、大変だ、などと判断することはなくなります。

しかし、一日元気でいるのです。

無理をして体と心を痛めることも、
怠けて後で悩むはめになることもないのです。

自我はないと発見した人は、
自然体でだれよりも最高のはたらきをしてみせるのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


そのまま行為として感じる

2012-08-07 23:48:09 | 今日の言の葉種(学び)

歩く、喋る、寝る、考える、食べるなどの行為を、
そのまま行為として感じてみてください。

何の判断もせずに------。

そうすると、いままで起きてきた煩わしい人生の問題が、
いとも簡単に解けていきます。

生きるとは、笑ってしまうほどシンプルなことだと発見するでしょう。
そして、心は究極的に清らかになるのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


「行為」だけがある

2012-08-06 21:38:57 | 今日の言の葉種(学び)

自分を判断しようとしても、
ほんとうは判断の対象となる「自分」はいないのです。

そこにあるのは、「行為」だけです。

自分と呼んでいるものは、歩く、喋る、寝る、考える、食べるなど、
無数の行為の連続なのです。

どこにも、自分などいないのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


よくなろうとすると悪くなる

2012-08-05 11:00:26 | 今日の言の葉種(学び)

自分を価値判断しながら、よい人間になろうとすると、
うまくいきません。

自分の主観で自分を判断するのだから、
客観的ではありません。

まずまちがえます。
そして、自己嫌悪に陥ったり傲慢になったりします。

「よくなろう」とすることで、かえって逆効果で悪くなっていくことも、
たびたびあります。

よい人間になるためには、
まず自分を価値判断するのをやめることです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


正真正銘の負ける生き方とは

2012-08-04 22:04:34 | 今日の言の葉種(学び)

みんな主観でものごとをみています。
主観でみると、自分だけの世界が立ち上がってしまいます。

すると、世界に対立して生きていくことになります。
人は世界と対立はできません。

対立すれば、その人は、必ず負けるのです。

だから、主観で「私はこう考えるのだから、これこそ正しい」という生き方は、
正真正銘の負ける生方になるのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


解決できないことは何ひとつない

2012-08-03 11:59:59 | 今日の言の葉種(学び)

すべてのものごとは、起こるべくして起こるのです。

ところが自我は、ものごとを「起こさせよう」とか、
「止めさせよう」とします。

そこに問題が起きるのです。

自分という主観を消してみれば、
ものごとが客観的にみえてくるのです。

そこにあるのは、ただ行為だけですから、
何のこともなく整理整頓できます。

客観的になった人にとっては、
解決できないことは何ひとつないのです。

だから人は主観を捨てて、客観的になるべきです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


「私は正しい」が問題をつくる

2012-08-02 10:48:31 | 今日の言の葉種(学び)

「私は正しい」という心から、怒りも嫉妬も、
落ち込みも傲慢も、舞い上がりも、あらゆる感情が生まれてきます。

その心が、いろいろな問題をつくるのです。

「私は正しい」というのは、客観的に成り立たないのです。
それは、わがままな恐ろしい思考です。

しかもみんな、「私が正しい」病に感染しているのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ