イマコト

ありのまま きままに 日々の中での あれこれ

喜び悲しみを越えている

2012-08-21 20:24:50 | 今日の言の葉種(学び)

執着がないと大喜びもないし、「うわあっ残念だった」ということもありません。
たんたんとしています。

喜び悲しみを、越えているのです。
山の頂上に登って下界の人々をみるような感じなのです。

執着がない人は、小さな子供が興奮して騒いでいるのを、
たんたんとみているような感じなのです。

子供と同じように、大喜びしたり落ち込んだりするわけではないのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


「これは何だろう」とつねに探検

2012-08-20 11:02:54 | 今日の言の葉種(学び)

先入観のない人は、「これは何だろう」と、
つねに探検するのです。

そうなると人生はおもしろいし、
理解能力が積み重なれていきます。

先入観のない人は、
やがてすべてのものごとのありさまを発見する可能性があります。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


ほんとうの森の姿を見る

2012-08-19 12:12:02 | 今日の言の葉種(学び)

何かをさがす目的で森に入る人は、
ほんとうの森の姿はみえません。

キノコさがしに森に入った人は、
木の下のキノコにしか興味がないので、森がみえなくなるのです。

そして、キノコが一本もみつけられなかったら、
「今日は無駄だった、残念」ということになります。

彼にはもりはみえません。

何の先入観もなく森で遊ぶ人には、
動物・植物、さまざまなものが目に入ります。森を知って帰るのです。

これが、先入観がある人とない人の差です。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


ありのままの事実で争いは消える

2012-08-18 23:01:29 | 今日の言の葉種(学び)

物事をありのままにみるならば、
真理はひとつであることが発見できるのです。

すべての生命は自分の見方を持っています。
だから、無数の知識があらわれてくるのです。

すべてが、「自分にはどのようにみえたか」
ということでしかないのです。

それでは、真理に達することはできません。
真に知るべきものは、ありのままの事実なのです。

ありのままの事実を知ることによって、
一切の争いが消えるのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


あるのは問題だけ

2012-08-17 22:02:20 | 今日の言の葉種(学び)

世の中で、問題がいつまでたっても解決できないのは、
一人ひとりが主観的だからです。

主観的に物事をみていたら、いくら考えても解決しません。
主観は自分勝手な好みですから。

自分の問題でも、他人の問題でも、
ものごとは主観を離れてしまえば、あるのはただ客観的な「問題」だけです。

そこには、自分も他人もないのです。
そのようにみることができれば、おのずと答えは出てきます。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


問題を生む「私」という幻覚

2012-08-16 10:15:48 | 今日の言の葉種(学び)

世の中は問題だらけでどうしようもないのです。
問題以外、何も存在しません。

しかし、私たちは、問題に関係なく、
「自分がいる」と錯覚しています。

「自分がいる」という錯覚が、現実に対して攻撃しても、
現実は変わりません。

「私」という幻覚を破るのが先決です。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


問題と言う海に浮かんでいる

2012-08-15 13:04:56 | 今日の言の葉種(学び)

ひとつの問題が、別の問題に対して、
「それは問題だ」とは言えないのです。

そもそも私たちは、問題と言う海に浮かんでいるようなものです。

問題のあるなしとは関係なく、「自分がいる」ということが、
ほんとうの問題なのです。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


世の中は問題ばかりと言う人

2012-08-14 21:23:33 | 今日の言の葉種(学び)

「世の中は問題ばかりだ・・・・」と言って困った顔をする人がいます。

しかし、この世で問題にならないものが、
何ひとつとしてあるでしょうか。

よくみてみると、私もあなたも、かなり問題です。
世の中のできごとも、すべて問題です。

息を吸っても埃やら細菌やらを吸ってしまうから、
一回の呼吸すら問題です。

一切の現象が問題だらけなのです。
すべてが問題ならば、それが問題だと悩めるでしょうか。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


最後は人格者として死ぬ

2012-08-13 00:05:02 | 今日の言の葉種(学び)

何を学んでも人は歳をとって死ぬわけです。と言っても、
ただ楽しいだけの学びでは、結局、もったいない。

生きる支えにならないものは、学ぶ必要はありません。
人格が向上することを学べば、自分のものになるのです。

失われることはないし、
生きることの支えになり役に立つのです。

人格が向上することを学び続けていけば、だらしない人間として生まれたとしても、
死を迎えるときには、偉大な人格者となっていることでしょう。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ

 


意見の対立は言い争いの根源

2012-08-12 22:04:46 | 今日の言の葉種(学び)

議論とは複数の意見を戦わすことです。

激しく議論をして、やっと結論に達したとします。
しかし、その結論もまた、「もうひとつの意見」に過ぎないのです。

古い考えが捨てられて、
頭の中に新たな考えがあらわれるだけのことです。

ブッダは、「議論で最終的な真理に達することは不可能」と説かれました。

それどころか、議論を起こす「意見の対立」は、
夫婦喧嘩から戦争まであらゆる争いの根源だと警告されたのです。

私たちは議論の限界と、
その高いリスクをよく理解しなければなりません。

 

※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ