執着がないと大喜びもないし、「うわあっ残念だった」ということもありません。
たんたんとしています。
喜び悲しみを、越えているのです。
山の頂上に登って下界の人々をみるような感じなのです。
執着がない人は、小さな子供が興奮して騒いでいるのを、
たんたんとみているような感じなのです。
子供と同じように、大喜びしたり落ち込んだりするわけではないのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
執着がないと大喜びもないし、「うわあっ残念だった」ということもありません。
たんたんとしています。
喜び悲しみを、越えているのです。
山の頂上に登って下界の人々をみるような感じなのです。
執着がない人は、小さな子供が興奮して騒いでいるのを、
たんたんとみているような感じなのです。
子供と同じように、大喜びしたり落ち込んだりするわけではないのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
先入観のない人は、「これは何だろう」と、
つねに探検するのです。
そうなると人生はおもしろいし、
理解能力が積み重なれていきます。
先入観のない人は、
やがてすべてのものごとのありさまを発見する可能性があります。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
何かをさがす目的で森に入る人は、
ほんとうの森の姿はみえません。
キノコさがしに森に入った人は、
木の下のキノコにしか興味がないので、森がみえなくなるのです。
そして、キノコが一本もみつけられなかったら、
「今日は無駄だった、残念」ということになります。
彼にはもりはみえません。
何の先入観もなく森で遊ぶ人には、
動物・植物、さまざまなものが目に入ります。森を知って帰るのです。
これが、先入観がある人とない人の差です。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
物事をありのままにみるならば、
真理はひとつであることが発見できるのです。
すべての生命は自分の見方を持っています。
だから、無数の知識があらわれてくるのです。
すべてが、「自分にはどのようにみえたか」
ということでしかないのです。
それでは、真理に達することはできません。
真に知るべきものは、ありのままの事実なのです。
ありのままの事実を知ることによって、
一切の争いが消えるのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
世の中で、問題がいつまでたっても解決できないのは、
一人ひとりが主観的だからです。
主観的に物事をみていたら、いくら考えても解決しません。
主観は自分勝手な好みですから。
自分の問題でも、他人の問題でも、
ものごとは主観を離れてしまえば、あるのはただ客観的な「問題」だけです。
そこには、自分も他人もないのです。
そのようにみることができれば、おのずと答えは出てきます。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
世の中は問題だらけでどうしようもないのです。
問題以外、何も存在しません。
しかし、私たちは、問題に関係なく、
「自分がいる」と錯覚しています。
「自分がいる」という錯覚が、現実に対して攻撃しても、
現実は変わりません。
「私」という幻覚を破るのが先決です。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
ひとつの問題が、別の問題に対して、
「それは問題だ」とは言えないのです。
そもそも私たちは、問題と言う海に浮かんでいるようなものです。
問題のあるなしとは関係なく、「自分がいる」ということが、
ほんとうの問題なのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
「世の中は問題ばかりだ・・・・」と言って困った顔をする人がいます。
しかし、この世で問題にならないものが、
何ひとつとしてあるでしょうか。
よくみてみると、私もあなたも、かなり問題です。
世の中のできごとも、すべて問題です。
息を吸っても埃やら細菌やらを吸ってしまうから、
一回の呼吸すら問題です。
一切の現象が問題だらけなのです。
すべてが問題ならば、それが問題だと悩めるでしょうか。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
何を学んでも人は歳をとって死ぬわけです。と言っても、
ただ楽しいだけの学びでは、結局、もったいない。
生きる支えにならないものは、学ぶ必要はありません。
人格が向上することを学べば、自分のものになるのです。
失われることはないし、
生きることの支えになり役に立つのです。
人格が向上することを学び続けていけば、だらしない人間として生まれたとしても、
死を迎えるときには、偉大な人格者となっていることでしょう。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
議論とは複数の意見を戦わすことです。
激しく議論をして、やっと結論に達したとします。
しかし、その結論もまた、「もうひとつの意見」に過ぎないのです。
古い考えが捨てられて、
頭の中に新たな考えがあらわれるだけのことです。
ブッダは、「議論で最終的な真理に達することは不可能」と説かれました。
それどころか、議論を起こす「意見の対立」は、
夫婦喧嘩から戦争まであらゆる争いの根源だと警告されたのです。
私たちは議論の限界と、
その高いリスクをよく理解しなければなりません。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ