自分を判断しようとしても、
ほんとうは判断の対象となる「自分」はいないのです。
そこにあるのは、「行為」だけです。
自分と呼んでいるものは、歩く、喋る、寝る、考える、食べるなど、
無数の行為の連続なのです。
どこにも、自分などいないのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ
自分を判断しようとしても、
ほんとうは判断の対象となる「自分」はいないのです。
そこにあるのは、「行為」だけです。
自分と呼んでいるものは、歩く、喋る、寝る、考える、食べるなど、
無数の行為の連続なのです。
どこにも、自分などいないのです。
※ブッダの教え一日一和(今を生きる366の智慧)ヨリ