■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

* * * *  *  * * * *
東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 32号

2008-03-29 | 創刊~100号

       32号 90.12.1発行

表紙 三毳山定点アップ

………………………
2p…看板娘
3p-4p…天神町/若松町
5p…結婚しました
6p…としこの童謡詩
6p…カラムコラム
7-14p…古墳
15p~20p…年末年始情報
21-22p…トピックス
23p…モーター
24p…アウトドアー
25p…コーヒータイム/本ベスト10
26p…美容と健康/街角の肖像
27-29情報
30p…本/絵本紹
31-32p…協賛店名
33p…子育て編集日記


【本文抜粋記事】

町案内

天神町/若松町

 佐野市の最もさのらしい所はどこだろうか、やはり中心街の若松町であろうか。駅前通りを紹介したい所だが駅南の改良中。そこで、天神町と若松町を分ける、殿町通りから県道までのJRと東武線の二つの踏み切りに挟まれた区間にスポットをあててみよう。
 今回は不思議な発見を紹介しょう。昔懐かしい看板がある。今は『三丁目の夕日』というアニメがTV放映されたりして、50年代ブームだがこの短い区間を通るだけで何とも懐かしさや楽しさを与えてくれる看板が多数出現してくれる。それはまるで1950年代のような、(あるいは私が生れた時そのままのような)錯覚に陥らせるのだ。車で通ってしまえば一分もかからない。でもそれではなにも見るものはない。
 JRの踏み切りには、創業百年何年というお寿司屋さんがあって、その前にはかつて写真のような建物が存在していた。だが惜しまれつつも壊された。しかし現在も昔そのままに水飴屋さんがあったりして安心させられたりする。これも知る人ぞ知るで、店内の一角には、マニアに取ってはよだれの出るようなものが所せましと並んでいたりして、どうしても売って欲しいと市外からやってくる人もいるとか。とにかく短い区間、歩ってもすぐ通りぬけてしまう。だがきっと新しい発見が待っている。なにもないと思っても一つでも見つかればあなたの明日からの生活を変えるに違いない。
 佐野市の最もさのらしい所はどこだろうか、やはり中心街の若松町であろうか。駅前通りを紹介したい所だが駅南の改良中。そこで、天神町と若松町を分ける、殿町通りから県道までのJRと東武線の二つの踏み切りに挾まれた区間にスポットをあててみよう。
 今回は不思議な発見を紹介しう。昔懐かしい看板がある。今は『三丁目の夕日』というアニメがTV放映されたりして、50年代ブームだがこの短い区間を通るだけで何とも懐かしさや楽しさを与えてくれる看板が多数出現してくれる。それはまるで1950年代のような、(あるいは私が生れた時そのままのような)錯覚に陥らせ
も見るものはない。
 JRの踏み切りには、創業百年何年というお寿司屋さんがあって、その前にはかつて写真のような建物が存在していた。だが惜しまれつつも壊された。しかし現在も昔そのままに水飴屋さんがあったりして安心させられたりする。これも知る人ぞ知るで、店内の一角には、マニアに取ってはよだれの出るようなものが所せましと並んでいたりして、どうしても売って欲しいと市外からやってくる人もいるとか。とにかく短い区間、歩ってもすぐ通りぬけてしまう。だがきっと新しい発見が待っている。なにもないと思っても一つでも見つかればあなたの明日からの生活を変えるに違いない。


こならの森 31号

2008-03-29 | 創刊~100号

       31号 1990.11.1発行

表紙「恵比寿講」夜景

………………………
2p…看板娘
3p…としこの童謡詩
4p…結婚しました
5p~8p…町案内【大橋町】
9p-18p…MTB=秋山を行く
19p…トピックス
22p…カラムコラム
23p…モーター
24p…パラグライダー
25p…本/絵本紹
26p…コーヒータイム/ベスト10
27p…美容と健康/街角
33p…■子育て編集日記


【本文抜粋記事】

サイクリング&MTBツーリング

 普段走り慣れている道でも、自転車で走ってみるとまた違った趣があるもの。今回のサイクリング&マウンテンバイク(以下MTBと訳す)ツーリングは大通りをできるだけ避け歴史ある裏道を行く事にした。そのためか秋晴の中、十分に楽しめるものになったと思う。クレージーサイクリングクラブでは、春先にまたこうした企画を考えているそうだ。
コースを簡単に説明すると、東産業道路から秋山川サイクリングロードを抜け、唐沢橋近くの緑地、で小休止、そこからサイクリング派とMTB派に別れる。サイクリング派はそのまま、サイクリングロードをぬけ裏道を通って、葛生駅から仙波、五丈の滝というコース。MTB派は、一路唐沢山にある、農工大の演習林を使って、ヒルクライムレースを行ない。関東ふれあいの道を抜けて、京路戸峠から多田方面に下り葛生駅へ。後はサイクリング派と同じコース。
午前八時、吉沢輪業前に集合する。ウォームアップ、コースの説明と出発前の整備点検の後、いざ出発。参加者十三名余りが一斉に市内を駆けぬけた。足慣らしに秋山川のサイクリングロードを行く。天気も最高で、雲一つない。また寒くも、暑くもなくて風も心地よく絶好のサイクリング日和となった。目一杯ペダルをこいでも汗が吹きだすという事がないのだ。あっという間に、秋山川の緑地へ。小休止の後、コースの再確認と、諸説明。特にMTBは、道のあちこちに倒木が立ちはだかったり、丸太の階段が出現したり、数日前の雨で道がぬかるんでいたりで、初心者にはきついコースとなる。また、急な下りが何か所かあり、しかも道の右側が崖になっていて一歩間違うと転落の危険性もあったりで、十分な注意が必要だ。サイクリング派はのんびりとぺダリングを楽しんだようだが、 MTB派は、すぐに唐沢山を登ることになる。演習林のなだらかなアップダウンの道を流していくとヒルクライムのスタート地点にでた。ここで、先にゴール地点まで一人が向かい。一分毎に、一人づつスターとしていく方式を取る。ヒルクライムレースはMTBレースの中でもキツイ競技。ダウンヒルのような豪快さや、スリルもなく、ただひたすら登るという過酷なレース。距離にして二キロ余りだが、なかなかゴールは見えてこない。ちなみにトップの人のタイムは十一秒代だった。トライしたのは全員で八名。最後の選手が、ゴールに入って来る。みんなくたくたった。小休止の後、関東ふれあいの道に入り松並木を抜けてい く。今までの登りの疲れをいやす には絶好の道だ。しかし、少し行 くと、丸太道になっていて自転車に乗っていては登れなくなり、下りて歩く事になる。しかも登りだ。また、少々行くと、今度は下りの丸太道となる。また自転車下りて下るかと思いきや乗ったまま下っていく人も現われた。テクニックの差を痛感してしまう。やがて、急な下り道、右側が崖というやつだ。しかも、数日前に降った雨の影響でスリップしやすくなっている。途中でブレーキングしたら、どうなるか分からない。 一気にいってしまうのがいい、というアドバイスに、コワゴワ行ってみると難なくクリアー。ジェットコースターのごときスリルだった。何度かこうした急勾配が続き、やっと京路戸峠にたどり着く。これからは下りだ。サドルの位置を低くして、一気に下りへと思いきや、早速に倒木とでくあしおりて越えなければいけない羽目に。これでは気もそがれようというものだが仕方ない。ずーと下までなだらかに下って行けたらいう事はないと思いながらも、途中途中にある倒木にがっかりする。それでも他の人は、初めての道にもかかわらず、適格なブレーキングやハンドリングで下って行った。あたりまえだが登りに時間がかかるのとは対照的に下りというのはあっという間だ。下りが終り、やっと平坦な道に来たかと思うと雨の影響で道がぬかっている。滑って足をついたり、転んでしまったら泥 だらけという状況で、さすがのオフロードタイヤも負けそうな路面状態だ。やっとの思いで越え田沼町にある京路戸公園へ出てこれた。後は、平坦道。やれやれと思うが、予定コースとしてはまだ三分の一、先は長い。
 ここで全員が下山して来るのを待ち集まったところで、再スタート。しかし、出発してみると、のんびりどころが、最初からぺースが早い、やっと山道が終ったというのに、また歯を食いしばらなくなるとは…。工業団地を抜け、新しく出来た産業道路を通って、稲刈りの盛んな田園地帯の小道を川に沿って葛生駅方面へと向かう。
 この辺は、まだ稲刈り後の稲を天日干しにしている。のどかな風景だ。見とれる余裕はあまりないが…。そうこうするうちに、葛生駅へ。そして、町中を通って、葛生原人出土跡の脇を抜けて、田んぼ道に入って行く。山裾の田んぼに囲まれたところにあろうことか、公園がある。回りには人家がないのに一体誰が遊びに来るのだろう不思議な公園だ。
 やがて秋山川の脇に出る。葛生と田沼を結ぶ、古越路峠のある道を渡り、また秋山川沿いにゆっくり走る。もうここまで来ると、半分力尽きていて先頭集団について行けなくなっていた。常盤中のところから、また小道を行く。小集落を抜けて行く。いくつもの倉や歴史ある作りの家々が見える。この辺りはゆるやかな登りになっているのだろう、はっきりと感じられるほどではないが、ペダルが重い。
しかし、両側に広がる山の緑は、目に優しく疲れをいやしてくれる。先頭集団がペースを落としてくれた。残りは少ないはずだが、なかなかたどり着かない。やっとのことで、バーベキューをする秋山川の川原に到着。ちょうどお昼時だ。時間があれば五丈の滝に行く予定だったが時間的に無理があり断念。
 バーベキューの準備に取りかかろうとするところへ、ちょうどサイクリング派のメンバーが五丈の滝から戻ってきた。ワイワイガヤガヤ準備にとりかかる。どっと疲れも吹きだしてきたが、食欲だけはみなさん旺盛であっという間に肉も終り、焼きそば作りに取りかかる。食後には、MTBによる川渡り、ウィリー(片輪走行)といった模範走行を余興に楽しんだ。
そうこうしているうちに午後二時となっていた。早々かたずをして、戻ることにする。帰りは、今度こそのんびりとサイクリングを楽しみ傾きかける日差をバックに戻ってきたのだった。
秋山緑地までがとても、長く感じられた。小休止していると眠くなってくる。もう全身がだるく、硬直して動かない。
秋山川サイクリングロードを抜ける。もう日が傾いて、太陽が赤く見える。日暮はもうすぐだ。四時近くに、やっと出発地点に戻ってこれた。脱落者のためにキャリアと車を用意していたが、一人もなく、無事全員戻ってこれた。★



こならの森 30号

2008-03-29 | 創刊~100号

     30号 1990.10.1発行

表紙「広角で撮った野アザミ」三毳山にて

………………………
2p…■看板娘
3p…としこの童謡詩
4p-14p…特集ボランティアってなに?
15-20p…巨大迷路出現
21p~22p…トピックス/からむコラム
23p…モーター
24p…パラグライダー
25p…本/絵本紹
26p…コーヒータイム/ベスト10
27p…美容と健康/街角
33p…■子育て編集日記


【本文抜粋記事】

特集
ボランティアってなに?

 十月一日からは、恒例になっている赤い羽共同募金が行なわれるが、日本人はどうもこういった活動というものに不慣れのようだ。そして、それ以外に福祉や社会奉仕といったものに直接ふれられる機会が余りないように思う。そのためだろうか、募金をしてしまうと、その問題が全て解決したかのような錯覚に陥ってしまう。その際たるものがODAであろう。「日本の福祉は遅れている」こういうあいさつから、みんなの会十周年記念式典は始まったそうだが、その問題はしっかり見つめる必要がある。

 アメリカでは、ノーマライゼーションという言葉が叫ばれ、やっと日本でもその言葉を聞くようになった。(直訳すると、ノーマルにする。平常化、平均化を計るということ)しかし、ボランティアという言葉もまだこれといった定着した訳がない?のと同じで、聞き慣れない言葉だ。障害者を社会から隔離することなく、普通にあつかう。そう言うアメリカでさえ、まだまだ障害者である事と、黒人であるという事は足し算でなく、掛け算となる差別を受けるということだ。日本でも、差別されている人間は同じ扱いをうける。もちろんこの事は安佐という狭い地域に限った問題ではない。日本全体がかかえている差別意識や偏見といった事が深く関連してくることだ。
 そこで、こならの森では、混乱するボランティアと福祉の状況を、それにたづさわる人々や障害者の生の声を伝える事で、明らかにしていきたい。


この座談会は、みんなの会創立10周年記念式典にさいして行なわれたものを、収録編集したものです。出席者は、みんなの会のメンバー他、式典に参加した人も加わっています。


★司会 今日の反省も込めて何かありましたら、お願い致します。
■金子 まず、みんなの会そのものを知らない人もいると思うので、とりあえず十年の歩みとこれから十年の展望などを語って欲しいんです。
■三田 それでは、なれそめを簡単に話しますと、栃木県では小山が最初にわたぼうしコンサートをやったんです。その直前くらいにぜひ佐野でもやりたいという事でトッコ(小曽根俊子)なんかと一緒に実行委員会を作って動きはじめました。そのうちに単発で、わたぼうしをやるだけで終らすのは良くない。『みんな同じ空の下に生きている』というテーマでこれからも活動して行ったらいい。そうして、みんなの会が発足したわけです。
■井腰 わたぼうしコンサートですと佐野は三年間隔で行なってきたました。第二回からは手話サークル「わたらせ」の方々のご協力で、歌唱に合わせて手話で内容を表現してくれました。第三回の頃になると、今度は若年化してきます。古株の人も参加していましたが、本当の意味で原動力というのは二百三十人にも及ぶ当日ボランティアの人たちと実行委員の高校生の人たちだと思っています。わたぼうしコンサートが見たり聞いたりするコンサートから参加するものに変わったという事で大きなことだったんです。しかしすでに出されていた命題ですがコンサートをするだけが、みんなの会の活動ではない。わたぼうしはもうやめようじゃないか。それよりも他に、ボランティア活動を佐野に根ざさせるよい方法があるのではないだろうか、という疑問が再燃しながらもそのまま行なってしまった第三回でした。それから二年半くらいして『ラブ・マイタウンコンサート』というのを行ないました。これは一番最初にわたぼうし大賞を取った時の作曲者である無田雄二さんを佐野に呼んで、小曽根さん詩による歌のコンサートを開いたんです。その時の実行委員長が谷真由美さんでした。また、コンサートばかりでなくすごく地味な行事だったんですが、車椅子で空き缶拾いをした事があるんです。疑問を投げかけると言う点では非常に大きな事だと思っています。
★司会 ここで、アンケートの中からいくつか紹介てもらいましょう。
■青木 映画を見た感想として多かったのは「命の尊さを感じた。」というもので、ほかには「出演者の人達がハンディを持っているにもかかわらず明るくて生き生きとしていた様子に感動した。」というものです。「つまらなかった」というのはないですね(笑)。
★司会 俊子さんなにかありますか。
■小曽根 このサークルをモデルにして、ハンディを持った人達と一緒に活動出来るサークルが成長して行かなければ、ウソだなーと思う。
★司会 ということは…
■小曽根 みんなの会に参加した時だけじゃなくて、ほかの場面でも活動していけるといいなと思う。これからもハンディを持つ若いメンバーが待機していますから…。例えば絵画や俳句や音楽や、手芸などといった活動の分野があればいいなと思うのです。
■金子 ではどうしたらいいと思う。
■小曽根 今までみたいに見たり聞いたり経験したりして発見していくしかないんだけれど、そういう考えを胸にもって歩んでいく事が発展につながる事だと思う。
■金子 その事なんだけれど、確かにトッコの言う事は分かるでもその方法というのがなかなか見つからないんだよ。確かに会に来る事が一つの活動になるけれど、ひとり一人の『成長』という事を考えると、何かが足りない。さっき誰かが言った、もっと遊んでいいと言うのは、みんなの会でなくてもいいと思うんだ。メンバーである小手森君とか、井腰君はこの会の他にも、人形劇という遊びをもっている。ほかのメンバーのひとり一人が自分の遊びを創造して、いろんな分野の人が集まった時にトッコや小林君をその活動の中に誘っていく。そういう事なのかな。
■小曽根 そういう事です。
■井腰 それは個性を磨く事にもつながると思うんです。例えば人形劇の事を言えば、正直手が使えないなら人形を扱うのは無理かも知れない。けれど、例えば台本が書ける、人形のデザインが出来る、というところで大丈夫だと思います。ただ、みんなの会とは別のサークルになるわけだから主体が共にやるということよりも、それ自体をやる事になる。ですから、今度はハンディを持っていること自体が存在価値ではなくなって来るんです。同じような事をみんなの会の中で出来ればけっこうすごい事だなと思う。ハンディを持っているからこそ、逆に光っているものがあるんじゃないかなと期待をするし、そういった点で個性を磨いていって欲しいなと思うんです。
 そんなような事かな、俊子さんが言っているのは…。
■金子 井腰君がいま言った『個性』という言葉を誤解しないで欲しい。彼はそういう意味で言ったんじゃないからね。吉村敬子の書いた絵本で『わたしいややねん』というのがあるんです。作者は肢体不自由児なのね。内容は、みんなが頑張れ頑張れって応援してくれるんだけれど、なかなかみんなの期待通りになれないんだって。最後に彼女は何を言うかというと「なぜ私だけが頑張らなければいけないの、わたしいややねん。私かて黄色いウンチするわ…」。
 これはちょっと難しい事なんだけれど、肢体が不自由であるというのはハンディを持っているという誤解だけであってそれをハンディだと思う時に、差別意識が生れるんだからね。
 何年か前に障害者と一緒に喫茶店に入ったんだけれど、その中に随分オウヘイな人かいたのね。それで『お前みたいな障害者がいるから、障害者が誤解されるんだ、馬鹿者出て行け』って文句いったんだ。みんなの会の障害者はそんな事ないけれど中には悪いのがいる。酒飲むと癖が悪いのもいれば、陽気になるやつもいる。それは普通なんだよ。ただ普通の範囲がただ広いだけの話。そういうふうに、理屈じゃなくって体験で会得していってほしい。
 昔、車椅子の警部を主人公にしたアメリカのテレビ番組があったのね。だけど、車椅子に乗っていたから事件が解決出来たとか、車椅子だったからよかったというテーマは一つもない。それを見た時アメリカのすごさを感じたね。日本でハンデキャパーが登場すればその事がドラマの中の筋書きとなり、一つのテーマになってしまう。それではだめなのね。だから、みんなの会も障害者がテーマにならないように一緒に遊んで欲しい。
★司会 吉沢さんは今日が最初の行事ではないんですか。
■吉沢 そうです。若い人達でこれだけ出来たので素晴らしいと思います。
■小竹 健康に生れて良かったなと痛切に感じた事と自分も一生懸命に生きなければいけないと思いました。
★司会 小手森さんはどうですか。
■小手森 京子今日の映画に出ていた砂丘登りがしたい、と思ってみていました。楽しそうだったので羨ましいと思いました。
■金子 みんなの会が発足してからずっと思っていたことは、みんなの会というのは、健常者と障害者が作ったグループなんですね。毎回みんなの会は何をやったらいいかという疑問が出て来るそうですが実は何をやってもいいんです。大切なのはグループの中に障害者がいて一緒にやるという事なんです。それだけがみんなの会の柱だと思う。
■川村 しかし、わたぼうしコンサートは障害者が参加するにはちょっと無理があるね。準備なんかの時にのばにされる事もある。見ていてそう思うね。集まりでも障害者は、小曽根さんか小林くんだけでしょう。どうして四人も五人もいないのかというと、迎えにいったり送っていったりする時間がないからなんだ。コンサートだコンサートだっていって騒いで、その日だけで後はおっぱなしたらその障害者たちは混乱するよ。
 デッカイところ(会場)でやると、健常者だけの集りになってしまう。忙しいからね。みんな仕事もっているから…。だから、みんなでこっちから行ってみるというのもいいと思う。
■金子 今の彼の指摘はものすごく鋭い。佐野市ボランティア連絡協議会の中で障害者と健常者が共にサークルを作っているのは、たぶん二つしかない。『手話サークルわたらせ』とみんなの会だけでしょう。後は、彼が指摘したように健常者が障害者のためになにかをしてあげる団体に過ぎない。忙しいということは、健常者の時間帯なわけですよ。
■川村 コンサートも確かに大事だけれど、七夕祭などにみんなで行ってもいいと思う。車椅子に乗っけてね。これだけのメンバーがいれば、三百六十五日の一日、その内の二時間ぐらい取れると思う。障害者の人は家から出られないんですよ、誰かの手がなくちゃね。なにも特別、行事を作らなくてもいいんですよ。
■金子 そういう意味では小曽根さんと小林君は貴重な存在だね。みんなの会は、二人がいるからみんなの会という存在がある。二人がいなかったら存在価値はなくなるからね。二人がいなければ、ただの健常者だけのボランティアサークルや奉仕団体になってしまうんだからね。だから小林君なんか支えているようなものだからもっとみんなの会に対して我がまま言っていい。その事で一番大事なことは例えば私と俊子さんとの人間関係を作ってしまう事ね。ただ、愛情を感じるには俊子さんは少し年上すぎるから…。(笑)。
■小曽根 ごもっともです。(笑)。
■金子 というのは、そういう『愚痴』を俊子さんから聞くのね。十年前は、彼女は十才若かったから、みんなの会のメンバーも彼女と同じくらいの年令だった。だから、トッコ、トッコとか言いながら、お互いに我がまま言い合って本当に好き勝手な事をやれた。だけれど現在はなにか発言すると年上のおばさんが話しをするということになってしまって、いま私が話しているような雰囲気になってしまう。(笑)。
 友情でやっているのか、それともお姉さんと妹という関係でやっているのか分からない部分が出て来て、そういう意味では淋しい、という事を聞いた事があるんですよ。年令の差もあるけれどやはり友情というのは、作くりあげて行くものが本物だと思うからそのためにはお互いに我がままにならなくては…。
■小林 僕から見ると、障害者は受け身になりすぎているかなという気がするんですね。
■金子 それは受け身になる事に慣れているからですかね。だとすると、慣れさせない方がいいな。だから、自分で意思表示するまでなにもしてあげない。
★司会 OB諸氏からけっこう耳に痛い言葉が来ていますけれどもどうですか。
■片柳 私は第三回のわたぼうしコンサートの時に、当日ボランティアというのを谷さんからやらないかと誘われて、その時はわたぼうしとかは知らなかったんです。でも、やってもいいんじゃないかという気持ちで始めたんです。それからラブマイタウン・コンサートのボランティア募集という事で、また誘われて、それがきっかけでみんなの会に入ったんです。やっぱり最初はなにも知らなくて、いろいろと先輩方に教えてもらったのですが、今では小曽根さんや小林くんと一緒につきあったり話したりするようになれて、初めて自分としては進歩したかなって思っています。
★司会 私は今年でまだ五年目で。まだ五年目と言っても、みんなの会の歴史で言えば半分なんですね。私にしてみるとこの五年というのは、それほど長く感じない。まだ一年か二年しかいないという感じ。というのは最近やっと小曽根さんや小林くんと普通に話せるようになったくらいですから。
 これから十年という事はけして難しい事ではないかも知れない、と思う反面とても難しいと思っうのは、小曽根さんとかと歩んで来たというよりも勝手にひとりで来ちゃった五年間ですから…。これから小林くんとかその他、わたらせの人とかと交流していくとしても、やっていけないことはないと思う。
 みんなの会がどういうものかを多くの人に知ってもらうために、自分自身でいろいろと考えて、OBの人達に顔向けが出来ない事がないようにみんなの会の活動を続けていきたいと考えています。その点、いかがですか現役会長は。
■篠崎 私は今年の九月二十八日で五年目に入るんです。みんなの会に入ってすぐ書記をまかせられて三年間やりました。去年副会長をやって今年は会長という事です。来年まで、まだ会長の任期が残っているので、この先どうしたらいいか分からないんです。今でも小林くん、小曽根さんと話していてえっと思う事があります。自分では(健常者では)分からない事がいっぱいあって、それは彼等が私たちに教えている事で、後から「ああそうだったんだ」と、考え直す事がたくさんあるんです。これからはそういう事がないよう、一生懸命頑張っていきたいと思います。
★司会 みんなの会の世代というのは、遠藤さんと、相良さんの下はずーと開いちゃって、しばらくいない。そんな中で入って来てくれた一番若い期待の男性吉沢君はどうお考えですか。
■吉沢 今年の七月から入会しました。さっきOBの人が、みんなの会では小林君と小曽根さんが貴重な存在だといわれていたんですが、僕は別にそうは思いません。青木さんや、谷さんもみんなの会にとっては同じように貴重な存在であると思いたいんです。特別に考えないで、遊ぶ事が好きな集まり=みんなの会。そういう感じでこれかも一緒に遊んでいきたいなと思っています。
★司会確かに、屁理屈こねたって最終的には、ただ遊んでいるだけだよね。
■井腰 遊びというのは非常に難しい。楽しくなかったら遊びではないからね。やっている本人が納得しなければいけない。
■川村 遊びをいろいろとやってきたから十年間もったんですよ。『決まった事をやれ』というのをずっとやっていたんではみんないなくなってしまう。やりたい事をやってきたからいいんですよ。どんな形でもいいから、後十年は、みんなでわいわい、うまくやっていこう。
■小曽根 遠路はるばる東京からきた木村さんにご意見を…
■木村 私は第二回のわたぼうしからみんなの会に参加しまして、その後結婚して佐野を離れてしまったので、おいしいところだけで…。なんか心苦しいんです。なにもしないまま逃げちゃったという感じです。
 皆さん若いのでびっくりして若いパワーでこれからも、あんまり頑張らないでやって欲しい。(笑)。
★司会 そろそろ時間もなくなってきました。まだしゃべっていない人。青木さんどうですか。
■青木 私は、短大に入った年に入会したので、今年で四年目ですね。四年間だけで見ると、どうしてもマンネリになる部分があったり、やる事に新しい事は見つからないし新入会員が入ってこなくってどうしよう、という時期もあったんです。今こうしてみてみると、また、どんどん新しい会員の人が入って来るし、ひとりでに新しい展開が出て来るような気はするんです。ですから将来に関してはあまり悲観はしていません。自然に若い人達に任せてみれば、優子ちゃんなんかもそうだし、心配をしなくても若い人達がどんどんやってくれるという期待がある。そこでやっぱり、新入会員の人達に将来を託したいんですね。
★司会 勝川先生どうですか。
■勝川 正直言って、みんなの会の、会そのものは知っていたんですが、どんな活動をされているのかは、知りませんでした。
 みんながそれぞれ、何か思いがあってやっている。でもたどり着くところは同じなんです。それから、「こうだからこうだ」というこだわりは捨てて欲しくないなと思います。
 みんな新しい展開、新しいものを求めていくんですけれどもそれが自然に出て来れば一番いいと思います。自分自身で思っている希望性を崩すという事は、勇気がいる事です。やっている事がそれぞれ、何かそう感じてやっているとしたら、それを守っていって欲しい。
 言葉で簡単に話してしまうと無責任になるので……皆さんのやっている事を大切にしてこれからも長く続けて欲しいなと思います。
■森戸 谷さんとは友達で「人数足りないから」って誘われたんです。(笑)でもこういう活動というのは知っていたんですが行った事はないし、どういう事をやるんだか分からなかったんです。それで、実際に今日来てみて、みんな頑張っているなって感じられ、自分も考えされられました。どういう人が来ていてどういう活動をするのか、というのを見てみたいという興味で今日は来たんです。ほかのお客さんはどういうふうに思ってどんな事を考えてここに来ているのかなって事を考えたりしてとにかく来て良かった、考えさせられた一日を送れたかなって思います。
■小手森京子 全々話は別の事になってしまうかも知れませんが、今、楽しいんだなって思う事が感じられるんです。いいたい事を言い合えるとか、わがままを言い合える環境って楽しい。だから、そういう関係のひとが一人づつでも多く増えていくと、もっと楽しくなるかなって、そう思っています。
★司会 では旦那さんである小手森さんはどうですか。
■小手森正幸 仲良しグループという言葉があるります。さっき金子さんが言われたように、逆にそれが障害になってほかの人が入りずらいという見えない壁を作っているという事がみんなの会の場合なきにしもあらずだと思っています。遊ぶことは非常にけっこうなんですけれどもそれによって目に見えない障壁を作らないように、どんどん活動を広げて行けるように絶えずそっから考えておかないと、自分たちの馴合のサークルに陥る傾向があるような気がするのです。
 みんなが、みんなの会のような活動を理解してくれるような社会になれば、ひとつのサークルの存在理由というものがなくってしまうわけで、最終的には会の活動というのは、会を解散に追い込むまでつづけなければ目的は成就されないと思います。
 また、先程からOBとか現役という言い方をしているんですが、こういった活動というものは遊びである反面、運動でもあると思いますので、活動に来ない人をOBといっていると思うんですが、その方でも実際は、経験というものを持っていて、町で障害者と出合って、どうしたらいいのかという時に、みんなに指示してやっているんじゃないかと思いますので、そのへんを理解して下さい。
★司会 相良さんはどうですか。
■相良 去年、今年と副会長をやってきました。副会長としてはたいした事やっていないんですが、小曽根さんや小林くんとつきあってみて、障害者を見る目が変わったので自分に取ってはとっても良かったと思っています。
 これからの、みんなの会はちょっと見る目を変えて考えていきたいと思っています。
■川村 みんなの会に、手話通訳ができる人が誰もいないと言うのはね。誰か、勉強すれば。
★司会 いろいろみなさんからご意見も頂戴しました。今後は考えていく事もあり、また自然に成り行きで動く事もあるかと思いますが、今後とも頑張りましょう。

監修・小曽根俊子(佐野市総合福祉センターにて収録)