26号 1990.6発行
表紙 武道館のところにあったアパート
2p…看板娘
3p…トピックス
5p…としこの童謡詩
5p…カラムコラム
6p…結婚しました
7-18p…特集「マウンテン・バイク唐沢山」
19p…モーター
19-20p…危険な道路15
20p…ヘリスキー
21p-24p…インタビュー山野井武夫さん
23-24p…コーヒー
25p…芝居三二十五回
25p…美容と健康
26p…コンサート
27p…絵本紹介/図書紹介
28p…街角/本10
29-32…情報/協賛店名
33p…子育て
【本文抜粋記事】
インタビュー
山野井武夫さん
■まちづくりに対する提案といった事について伺いたいのですが。
何事も自分でできる事とできない事がありますね。外的な要因と内的な要因がある。ですがまず理想がない事にはそれに対して実現しようという努力も起らないだろうと思います。それをどういうふうに集約していくのか、その手法もそれから意見を発表する場や、そういった事のトレーニングも足らないのではないかと思います。
それとは別に(佐野だけではないでしょうが)自分の意見を言うチャンスが比較的少ないのではないでしょうか。今は青年会議所とかいろいろな団体がありますから昔よりはまだ意見が反映されると思いますが、こういう狭い町ですと、いろいろな『関係』と言うものが出てきます。また話し合いとか意見を述べると言う事になれていない人もいる訳ですね。そうすると、「どうしておれに反対するんだ。」と言って意見を聞かない人が出て来るんですね。本来は反対するんではなくて考ええ方について話しあっているはずなんですが…。
それから感情論になる事が多いですよね。もう少し冷静に、話し合いと言う習慣を日常の生活の中で身に付けていかないといけないと思いますね。学校の教育もそうですし、地域社会、例えば商工会議所とか、町内会であるとか、いろんなところで意見を発表したり、聞いたりする機会がある訳です。ですからそういう所が『開ける』と良くなるような気がします。それに、佐野の人はどこかシャイなところがある。
■良く言えばですね。
手を上げて意見を言う事がどことなく恥ずかしい、そういう事もあると思います。意見を交換する中で良い道を探したり、自分の足らないところを考えてみて直したり、それで町作りが良く進んで行くと思います。佐野の商店街もインパクトがないですね。切瑳琢磨がなかったのではないかなと思います。
一般に言われているのは、『商店が店舗にお金をかけない。だからおかしな業者がいない』というのですが、それによって商品に魅力がないという事でみなさんよそに買いものに行ってしまうのではないでしょうか。
佐野は本当に暮しやすいところなんですね。昔から無茶苦茶な努力をしなくても食えたところでした。それがかえってあだになった面もあります。何が何でも夢中になって仕事をしなければならないところだと、相当な商人が出て、佐野だけじゃなくて関東地方に伸びて行ったでしょうからね。その辺が足利と違っている点でしょうか。
比較をすれば、まず人口は倍ですね。それから、足利はいろんな面で層が厚いんですね。景気に左右されない人たちがいる。そのパーセンテージが高いですね。大学の先生とか、国とか県の出先機関、法務省を含めましてね。そういう人口が多いんです。そして文化的な遺産もずいぶん違う訳ですね。足利学校とか、鑁阿寺だとか。それと、やはり繊維関係が昔から良かったせいか、商権が広いんです。足利から育った企業も一杯あるわけです。学生でも全国から来ています。足利をリードしている人たちは、文化や歴史にも強いんですね。そしてその文化的なものを歴史を取り入れながら商売にうまく結び付けています。それを『がめつい』とは言わないんですよ。同じお金なら『喜んでいただけるもの』に利用するべきですからね。
青年会議所の理事長の頃でしたが、山を呼んでも来ないならこっちから行こうという事で、駅を移動しようという提案をしました。その頃は、団地も暗礁に乗り上げている頃でした。今まならまだ土地も安い。駅を移動すれば企業も出て来るだろうと…。それから、佐野市の駅の前をずっと高架にしよう、といった提案もしました。
佐野でも、例えば鉢の木に通じる人情だとか、水と緑と万葉という事から「水で有名な町」というふうにする。佐野市の鳥はおしどりですが、それをきれいな水で飼っているとか、各小学校にきれいな水と言う事を象徴させるようなものを置くとかですね。現実に結び付けたほうがいいんじゃないかと思いますね。
人情の町というのは、私達の回りには子供達の小さな親切運動に教わらなければいけない事がたくさんある訳です。ですから、坪あたりの店舗の効率だとかいう経営の分析も大切な事ですが、本当はお客さんに『ありがとう』と心から言える店主であり店員でないといけないと思うわけです。それには、鉢の木に代表されるような人情を育てて行くことですね。経営がうまく行かないのは大型店のせいだと言うのだけではね…。
■他人のせいにしていると言う事ですね。
そういう考え方が多いですね。町並をきれいにしよと思って街路樹を作ると、看板が見えなくなって、邪魔でしょうがない、と言うのではだめですね。それは一部の人の考えなんですから。ところが、それを回りの人が間違っていますよとは表だっては言わないんですよ。「あの人が言うのでは…」というふうになってしまうわけです。今度は低い木を植えましょう、とか他の話をすれば言い訳です。ところが偉い人が言ったのだから黙っていようとか、若い人が言ったどんな良い意見でも、生意気だなどと言うのではね。
誰でも自分の住んでる町は良くしたいと思っています。ですが自分の事になると忘れてしまう。
■佐野の将来展望は明るいと思いますが、どうお考えでしょうか。
もちろん明るいものだと思います。やっぱりこういう良いチャンスには、みんなが勉強してそれをバネにして活かすようにしないといけないと思います。後から考えてチャンスを逃したと言うのではいけない。ですからどういう良いものが来ても受け入れられるような日頃のトレーニングというものをしなければいけない。
佐野にも貴重な体験をしている先輩が実業界にはいます。ですがそういう人たちとの接点がない。若い人も年輩の人も一杯いるはずです。もっと発掘していってほしいですね。
■文化面でいいますと、どうでしょうか。
必ずしも谷間とはいいきれません。陶芸家でも田村耕一さんが出ました。他から来た人自慢する事が多くなったんですね。今までは遅れていましたからね。
足利ですと、足利学校にゆかりのある事は昔からみなさんがある程度、知っている訳です。ところが、極端な話、佐野では(若い人の事ですが)数年前に博物館ができるまで田中正造といってもその業績を理解している人は少なかった。唐沢山に関する事もそうです。
最近は郷土史家の活躍や歴史講座などを通じて理解を深めつつあります。ですからこれからはその層をより厚くして「佐野は良いところだ」ではそれにふさわしい街にするために、我々ができる事はなにか、というような事を歴史を通して考えていく。そういう事が大事ですね。
町作りというのは残念ながらハード面ではないんです。住んでいるひとが大切なんです。道路で言えば、安全に通れるようにする事が最小限のことだと思います。少し店を削っても自転車を置くところくらいは作るべきだと思いますね。しかし私達はそれを理解して具体的にする事には弱いんですね。やはり行動に結び付いてこそ、初めてそれが生きたといえるうような気がします。
■どうもありがとうございました。