Ali'i Drive Breeze

The Big Island
ハワイ島で体験した思い出を写真とともに綴る旅日記

フルーミン・ダ・ディッチ<Flumin' Da Ditch> #2

2007年03月13日 | 北コハラ地区

#1の続き

カヤックがゆっくりと進み、次第に出口に近づき前方が明るくなってきたところで、
ヘッドランプを消す指示が。
頭に手をやりスイッチをオフにし、トンネルを抜けたその瞬間・・・、
キャー!!!

うわぁッ!!
Mammy!!
No~!!

なんと、頭上から大量の水が!!
カヤックに乗る全員が、一瞬にしてずぶ濡れになってしまいました!
山に降った雨水を集め、この用水路に放水している管の下を潜り抜けたのです。
ずぶ濡れになったにも拘らず、
後ろのアメリカ人家族は楽しそうに笑っています
でも、昨夜雨が降ったせいで水はとても冷たく、
さらに、トンネルの中では息が白く見えたほど気温も低いため、
体が一気に冷え込みます。
(日差しがあれば、また随分違うのでしょうが、この時は寒くて少々参りました。)

トンネルからトンネルまでの間は、コハラの山の景色をのんびり眺め、



真っ暗なトンネンルの中ではガイドの説明を聞きながら、ゆっくりと下っていきます。
そこには、
ツアーに参加した人しか見ることの出来ない100年前の過去の記録が・・・。

この灌漑用水路は、計画自体が危険すぎて誰も引き受けなかった工事を、
移民した日本人たちが
わずか1日1ドルという低賃金で完成させたという歴史があります。
その工事のほとんどは手作業で、多数の死傷者が出る難工事。
今もトンネルの中には、彼らの苦労が偲ばれるものが残されています。

ある場所には、漢字で書かれた日付がありました。
そこから、ほんの少し進んだ先に、次の日の日付。
1日で、わずかな距離しか掘り進めなかったのだということが分かります。
その他にも、工事に携わったであろう日本人の名前や、
当時使われたバケツが、そのまま取り残されていたりしました。

「なんて書いてあるか、分かりますか?」と、不意にガイドの女性がボクに尋ねます。
彼女が指し示す壁面を見ると、

 の文字が。

ヘッドランプの明かりだけを頼りに見ているため、近視のボクにはよく読めません。
わからないと答えると、彼女は戸惑った感じで、「ほんとに?」と、聞き返します。
半分くらいはわかるのですが、確信がもてず「ええ。」と言うと、
「以前、日本人に訊いたら、Japan Big Victory と訳していたけど。」と、教えてくれました。
ということは、右から左へ『日本帝国大勝』と、書いてあるのでしょうか。

用水路の工事は1905年から始まり、一年半後に完成。
この文字が、いつの時点で書かれたものかは分かりませんが、
1905年といえば、日露戦争で日本が勝利した年。
祖国の勝利を記念して書かれたのか、
あるいは、不可能と言われた工事を、やり遂げたという証として書き記したのか。
いずれにしても、工事に従事した当時の日本人の想いが、
強く籠められているような気がしました。

そう、このツアーはアクティビティでありながら、
日本人によって作られた用水路の足跡を辿るツアーでもあったのです。
しかし、日本人の参加は少なく、ほとんどがアメリカ人だということを、
ガイドは残念がっていました。もっと日本人に知って欲しいと。



トンネルをいくつか抜けるうちに、幾分空も明るんできました。
途中で、野生のグァバの実を、
「みんなで分けて。」と、ガイドから渡されました。
ゴルフボールより一回り大きいぐらいの黄色い実で、
中味はルビー・ピンクの果肉。後ろの家族と5人で分け合いました。
すっぱいけれど、美味しいグァバでした。
1時間くらいで終点に到着。楽しい水路下りツアーでした。

カヤックを降りて、アンケート用紙に感想を書いてヴァンに乗り、オフィスに戻ります。
帰りの車中で、他のアメリカ人グループに話しかけられました。
彼らは、アクティビティとして、このツアーを充分楽しんだようです。
話をしていると、、どうやら私たち夫婦を同世代だと思っているようなのですが、
我々から見れば10歳くらいは年下のはず。
ハネムーンか?と聞かれましたが、15年前だと答えると、随分驚いて、
カリフォルニアでは10年で別れるよ。と、笑っていました。

来るときと同様に、帰りの道でも車体はガタガタと揺れます。
体が冷えた妻は、トイレに行きたくてしょうがない様子。
でも、オフィスまでは、まだまだ。
激しい揺れが、懸命に我慢する彼女を容赦なく追い込んでいきます。
来るときとは違った意味で、最悪の事態は避けたいところ。
1分1秒でも早く着くようにと願うばかりです。

オフィスに戻ると、妻はヴァンを飛び出し、まっすぐトイレに直行!
2度目の危機も、無事脱したようでした。
その間にボクは、バスタオルを取りに自分たちの車へ。
オフィスの前に戻ると、飲み物とスナック類が用意されていました。
暖かいコーヒーを飲みながら、談笑。
 
こうして約3時間のツアーも終了。
せっかくだからと、
見晴らしのいい250号線(Kohala Mountain Rd.)経由で、
コンドミニアムへ戻りました。


10年間で15万人以上が参加したこのツアーは、
2006年10月15日に起きた地震の影響で安全が確保できなくなったため、
閉鎖されてしまったようです。

今後、灌漑用水路の歴史が語られることはなくなるのでしょうか。
そう思うと、とても残念です。

追記:2006年の地震によって催行中止となっていた用水路カヤックツアーも(2012年)現在、再開中。
親子で安全に楽しめるカヤックツアーです。
注意点は、やはり日本語のガイドは付かなさそうだということと、
山の上なので、天候によってはかなり体が冷えること。
参加前は水分を控えることと、トイレは充分に済ませておくことをお勧めします。
ツアー参加後に体を拭くタオルも忘れずに!



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