今回は、粟田神社をとりあげます。
祇園の八坂神社みたいに、怨霊や疫神の大ボス的存在でもあるスサノオ(=素戔鳴尊・すさのうのみこと)を祀った神社のひとつです。
さらに、この神社の創建に関しては、次のような不思議な言い伝えが残されています。
平安時代、清和天皇の876(貞観18)年春に、「この年隣境に兵災ありて、秋には疫病多いに民を悩ます」という託宣が出て、神祇官と陰陽寮から天皇に伝えられました。
そこで勅令によって、全国の神様にお供えをして、国家と民の安全が祈願されました。 藤原興世という人物は、勅使として感神院祇園社(今の八坂神社)に七日七晩祈願しました。満願の夜、興世の枕元に一人の老人が立ち、「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり」と告げました。
興世が「このように云われる神は、如何なる神ですか?」と尋ねたところ、老人は「我は大己貴神なり。祇園の東北に清き処あり。其の地は昔、牛頭天王(ゴズテンノウ=スサノオノミコト)に縁ある地である。其処に我を祀れ」と言って消えました。
興世はその出来事を朝廷に奏上しました。
直ちに、勅命によって此の地に社を建てられ、神霊が祀られました。
このような神社ですから、『京都妖怪探訪』でとりあげるにふさわしいと思って、今回とりあげました。
ただ……。
正直申し上げると、当初はこの神社の記事を書こうとして訪れたわけではありません。
実は、たまたま見つけただけなのです(笑)。
いや、「気まぐれで、行き当たりばったりで、計画性に欠ける」という私の性格が、またもや顕れた形になったのですが(苦笑)。
前回の記事で言いましたように、「せっかく雪が降り積もったのだから、雪景色の写真を撮ろう」と思い立ちました。
それも、「寺社仏閣や日本庭園の雪景色がいい」と考えました。
それで私が最初に選んだのが、本シリーズの第11回、第12回、第13回でとりあげました、「青蓮院門跡」でした。
あそこの日本庭園もきれいですし、雪景色もいいだろうと思いました。
また、京都市の地下鉄の駅(蹴上、もしくは東山)からも近いので、積雪があっても行きやすいし、また他の場所へも移動しやすいだろう、と考えたのです。
それで、当初は「青蓮院門跡」を目指していたのですが……。
その途中で、たまたまこの粟田神社を見つけたのです。
まずは、京都市営地下鉄・蹴上駅から降りて、三条通りの蹴上交差点へ出ます。
辺りは真っ白に。
距離的には、地下鉄・東山駅からの方が近いと思うのですが、この景色を眺めながらゆっくりと目的地「青蓮院門跡」を目指すのもいいか、とも思ったのでした。
有名な都ホテルの門前です。
ホテルの従業員の方々でしょうか?
朝から道の雪かき、お疲れ様です。
車道がシャーベットのように凍っていました。
真っ白になった三条通りを、さらに西に進んでいきます。
道の途中にあったお寺の光景。
こういうのも、いかにも京都らしくて、いいかな?
「青蓮院門跡」を目指しているというのに、フラフラとあっちこっちに目がいきます。
我ながら、行き当たりばったりな性格だ(笑)。
……っとその途中で、何やら神社の入り口のようなものが。
「粟田神社」の入り口。
入り口には「由緒」などが書かれた看板が。
それを読んで、「おっ、ここも面白そうだな。入ってみるか」と思って、寄り道することにしました。
我ながら、本当にいい加減だ(笑)。
三条通りに面した入り口から、鳥居をくぐり、参道を進んでいきます。
参道の途中に民家が。
一般の生活道路という感じです。
参道や境内に、民家や駐車場があるのも、実は結構見られます。
こういう神域や聖域(あるいは魔所)などが、一般市民の生活空間の中に融合していたりするのも、京都の面白さのひとつです。
さらに進むと、また鳥居が。
そこから入って、境内へ続く坂道を上がります。
参道の周りは真っ白に。
狛犬や唐獅子も、雪を被っています。
そこから境内に入るわけですが、長くなりましたので、一旦ここで切ります。
続きはまた、次回。
しかし、ここを訪れる時も、この記事を書いている時も、本当に行き当たりばったり。
計画性のかけらもないな、我ながら(苦笑)。
粟田神社のHP
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
最新の画像もっと見る
最近の「妖怪スポット」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2008年
人気記事