京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪紀行(10):鐘楼と観音堂

シリーズ第7回第8回、そして第9回に続いて、三井寺(園城寺)関連の話を。





 冒頭の画像は重要文化財でもある、三井寺の山門です。


 このところの多忙につき、1ヶ月くらい更新を止めてしまいました。
 残業あり、出張あり、泊りがけありでもう大変でしたが、ようやく余裕が出てきました。

 とはいえ、今はまだ病み上がりみたいな状態ですから、いきなり政治とかの話はちょっとしんどいので、ウォーミングアップのつもりで、まずはゆるい話から。

 
 シリーズ第9回までとりあげてきた三井寺(園城寺)はかなり歴史の古い寺院ですから、他にもいくつもの伝説が残っています。

 観音堂のそばにあるこの鐘楼にも、伝説があります。


 この鐘楼には昔、「童子因縁之鐘」と呼ばれる鐘が釣られていました。
 文化十八年(1814)に建立されたものだそうです。

 この鐘を鋳造する際に当時の僧たちは、大津の町々を托鉢行脚したそうです。
 ある金持ちの家に立ち寄り勧進を願ったところ、その家の主人は「うちには金などない。子供が沢山いるので子供なら何人でも寄進してやろう」と断ったことがありました。
 ところが鐘が出来上がると、不思議にもその鐘には三人の子供の遊ぶ姿が浮かび上がっていました。
 同じ頃、かの金持ちの子供三人が行方不明になっていた……という説が伝わっています。
 
 ……って、三井寺の神様(仏様?)も結構ひどいことするな、と思いましたが。


 残念ながら伝説の鐘は、半世紀前の戦争の折、供出されて今は失われてしまったそうです。
 今から思えば、なんともったいないことをしたのだろうか、という気がします。

 これが、鐘楼内部の画像です。





 現在は、新しい鐘が吊るされています。

 観音堂につきました。
 




 秘仏ご開帳の宣伝看板もあります。
 (なお、ご開帳は先月の30日まででした。本記事の画像はそれ以前に撮影されたものです)





 観音堂を正面からみた光景です。

 この中に秘仏・如意輪観音坐像があります。
 皆様にもお見せしたいところでしたが、残念ながら場内は撮影禁止でした。
 あしからずご了承ください。
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