京都の闇に魅せられて(新館)

初夏の竜安寺(後編)





 どうも、こんにちは。
 前回に続きまして、初夏の京都・竜安寺の光景をお届けします。



 庫裏(僧侶の生活する場所)へ。






 そして、庫裏にはあの有名な石庭が。
 やはり竜安寺といえば、この石庭を外すわけにはいけませんね。











 美しい白砂に石を配置した、有名な枯山水の庭。
 よくはわからないのですが、禅の思想や美を表現しているとも言われています。
 「どこから見ても15ある石の全てを一度に見ることが出来ない」という話でしたっけ?
 また聞きの話なのですが、一カ所だけ一度に全ての石が見えるポイントがあるそうですが……私にはわかりませんでした(笑)。
 

 竜安寺といえば、まず石庭を思い浮かべる人が多いと思いますが、竜安寺はそれだけではありません。
 石庭から、庫裏の裏へと回ります。









 庫裏の裏庭にあるこれは「つくばい」です。
 「石庭と共に竜安寺を象徴するもの」だと、私は考えています。








 この「つくばい」は、8月6日記事でも少しだけ取り上げました。

 これはあの“水戸黄門”こと、徳川光圀が寄進したものだと伝えられています。
 中央の四角い水穴を「口(くち)」に見立て、さらに周りの4文字とも共用し、「吾唯足知(われ、ただたるをしる)」と読みます。
 この「足を知る」という思想は、仏教の教えから来たものです。
 「貧しい者でも、足を知る(これで十分だと思う)者は、富んでいる。逆にいかに多くの富を持つ者でも、足を知らない(もっと欲しい、まだ足りないと思う)者は、貧しい」
 際限の無い人間の物欲を戒めている思想でもあります。

 嗚呼、この国の先人たちは……というより、日本人は元々、このような哲学を持っていた民族だったのですね。
 ところが明治以後の「近代化(=西欧化、資本主義化)」の過程でそれが次第に軽んじられ、忘れられて……。
 さらに近年の凄まじい市場原理主義の風潮によって、「稼ぐが勝ち」だの、「一人勝ちの時代(Winner takes all)」だの、際限の無い物欲を肯定するどころか、他人や社会を犠牲にしてでもそれを追究し続けるのをもてはやすような、卑しい我利我利亡者のような人たちも増えてきたりして。
 これでは今の日本社会も政治も、そして人心も荒廃するわけです。
 今こそ、こういう先人たちが遺し、伝えようとしてきた哲学や遺産を見直してみてはどうか、とも思いますが。

 あっと。
 ついつい余計な話をしてしまいました。
 話を戻します。


 境内を散策した後は、お寺の店で昼食を。






 お寺の店だけあって、肉等を使わない珍しいメニューも。
 ここで私は「精進カレー」なるものを注文しました。








 この写真ではわかりにくいかもしれませんが、このカレーの肉は湯葉で出来ているそうです。
 こういう精進料理では肉や魚が使えない代わりに、別の植物性材料で代用品を作っているのですね。
 宗教的な戒律というペナルティーがあるだけ、創意工夫でその分を補おうという発想が、精進料理の面白いところですね。

 完食しました。






 こうして竜安寺を後にします。








 京都の他の庭園や寺社仏閣などと同じく、別の季節の訪れても面白そうです。


 それでは今回はここまで。
 また次回。




*竜安寺へのアクセスはこちら




*竜安寺のHP
http://www.ryoanji.jp/top.html




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