
京の六地蔵を巡る本シリーズの旅、第5回目。
今回は、京の6つの出入り口のうち、「鞍馬街道」沿いの「鞍馬口地蔵」地蔵寺を紹介します。
ここの地蔵菩薩像も小野篁が木幡山の大桜から作り出した6体の尊像のうちの1体です。
保元年間(1156~59年)に深泥ヶ池付近に移され、「深泥池地蔵」と呼ばれていたそうです。
この寺の由緒によれば、歴史はかなり古く、貞観5年(863年)に比叡山延暦寺の慈覺大師・円仁によって、現在の千本通今出川の地に天台密教の道場として創建されたそうです。
文禄3年(1594年)に現在の地に移転、その後浄土宗に改宗して現在に至るそうです。
まずはいつものとおり、アクスから。
京都市のほぼ真ん中を縦断する烏丸通りと、鞍馬口通りとの交差点。

京都市営地下鉄の「鞍馬口」駅が最寄りの交通機関です。

鞍馬口・烏丸の交差点から、鞍馬口通りをしばらく東へと進んでいきますと、北側に入り口が見えてきます。

本来は観光寺院ではないので、普段の境内は静かですが、例祭日や六地蔵巡りの日には多くの参拝者で賑わいます。
門前や境内にも出店が見られます。
本堂です。

この寺は正式名を「浄土宗千松山(遍照院)上善寺」と言います。
つまり浄土宗のお寺なので、本尊は阿弥陀如来です。しかも奈良時代の有名な僧・行基の作とも伝えられている尊像ですが、残念ながら、檀家などの関係者でもない私はさすがに中に入って見ることはできませんでした。
境内の一角にある大日如来坐像石仏。

結構大きな石仏ですが、かなり風化していて古そうです。
後で調べてみると、鎌倉時代中期のものだと言われています。
地蔵堂へ。

地蔵堂の横には地蔵が、つまりお地蔵さんが並んでいます。


この寺には、公家や大名、旧華族などの墓の他、元治元年(1864年)蛤御門の変(禁門の変)で新選組に討たれた長州藩士の首塚もあります。
また有名な庭園もあるそうですが、この時は「六地蔵巡り」で急いで、それらを見逃してしまいました。
話を地蔵堂の方に戻します。

地蔵堂がの地蔵菩薩像が公開され、多くの参拝者が訪れています。
そしてこの像が、小野篁が創り、京都を守る結界でもある六地蔵のひとつ「鞍馬口地蔵」です。

この地蔵菩薩像が手にしている紐は、古い六地蔵の幡を奉納して吊す紐とつながっているようです。

この地蔵菩薩像は、明治時代にここに移されるまで、深泥が池付近に祀られていたそうです。
そのため、「深泥池地蔵」とも呼ばれていたそうです。
ところで深泥が池といえば、本シリーズでも、
第140回、第141回、第142回とでとりあげた場所でもあります。
つまり、古くから「龍神が棲む」とか、「異世界へ通じている」とか、「幽霊が出る」などの言い伝えがある、京都の異界というべき場所なのです。
元は京都を守る結界だった六地蔵のうちのひとつが置かれる場所としては、そういう場所の方がふさわしいような気もするのですが、いかがでしょうか。
しかし明治時代の廃仏毀釈によって、現在のこの場所に移されたそうです。
今から思えば当時の日本は、廃仏毀釈などという、これまでの歴史や伝統文化を否定する何ともバカなことをやったものだな、という気がしますね。
文化大革命などという愚挙を犯した中国とかを、日本もあまり嗤えないのではないか、とも思えてきますが。
あっと、これは余談でした。
鞍馬口地蔵の幡もいただいていきます。

それでは、今回はここまで。
シリーズ次回は六地蔵巡りの最後、「山科地蔵」徳林庵を紹介します。
それではまた!
*「鞍馬口地蔵」上善寺へのアクセス、周辺地図はこちら。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm


