京都の闇に魅せられて(新館)

*京都妖怪探訪(54):六道まいり:六波羅蜜寺




 どうも。
 このところ公私共にオフの多忙が続きまして、半月ほど更新を止めてしまいました。

 なんとか再開といきたいところです。


 前々回前回の続きで、先月8月に行われた「六道まいり」の話です。
 今回は、「六道の辻」近くにあり、やはり「お精霊迎え」が行われていた名刹・六波羅蜜寺をとりあげます。

 六波羅蜜寺は、天暦5(951)年、醍醐天皇の第二皇子とも言われた空也上人により開創された、密教系の寺院です。
 空也上人は、疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この寺の本尊である十一面観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、多くの病人を救ったと伝えられています。
 また、妖怪・怨霊関連で空也上人といえば、平将門の霊を鎮めたとか、供養したとかいう伝説も残されているそうです。

 平安末期には、この辺りには平氏一門の屋敷などがあり、平氏と深い関係のある寺としても有名です。
 さらに鎌倉時代には、幕府が京都に睨みをきかすための六波羅探題が置かれていたりなど、しばしば歴史の舞台にもなった場所でもあります。


 ところでシリーズ第31回にて、この辺りの地名・六原(=六波羅)の由来は「髑髏ヶ原」から来ているという説を紹介しましたが、今回紹介します「六波羅蜜寺」の名の由来を見ると、どうやら仏教の6つの修行を表す「六波羅蜜」(=布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)から来ているそうです(その詳細については、六波羅蜜寺のHPをご覧ください)。
 考えてみれば「六原(=六波羅)」の地名の由来は、こちらの方が正しいかもしれない‥‥などと思うようになりました。
 だって、この地が本当に風葬の地だったのならば、人骨もほとんど完全に風化して、残っているはずがありません。
 「掘り返したら大量の人骨が出てきた」という話は、本当にあったのかどうか‥‥?


 さて、その真偽は別としまして、六波羅蜜寺を訪れた時の話を始めます。

 西福寺や幽霊飴の店の前にある「六道の辻」。






 そこから南へ少し下り、六原小学校を超えた辺りに、目指す六波羅蜜寺の入り口が見えます。





 かなりの長い歴史がある古刹のはずですが、壁などもきれいで、何というかハイカラな印象すら受けました。

 南側の門から入ったところ正面にある、福寿弁財天堂。





 弁財天を祭ってあるとは、随分と現世利益を追求する傾向の強い寺院です。
 (注:私の実家は浄土真宗の門徒なので‥‥つまり「仏教=来世宗教=」、「仏教とは現世利益を追求しないもの」という考えの環境下で育ったもので、こういう感想を抱いただけです。もちろんここで、それが悪いとか、間違っているとかいう野暮なことは言うつもりはありません)


 弁財天堂と本道との間に、2つの塚が並んでいます。






 この写真の向かって左側の塚が、なんとあの平清盛の塚だそうです。






 その隣に並んでいるのが、「阿古屋塚」という塚です。





 後で調べてみたらこの塚は、かつて五条坂に住んでいた「阿古屋」という遊女の菩提を弔うために鎌倉時代に建てられたものだそうです。
 この阿古屋は、平家の武将・平景清(たいらのかげきよ)の愛人であり、歌舞伎や浄瑠璃などで有名な「阿古屋の琴責め」というエピソードがあります。
 それはだいたい以下のとおり。
 平家の残党の一人である景清の行方を探すため、源氏側の代官・畠山重忠は景清の愛人である阿古屋を捕らえます。阿古屋は景清の所在を知っていましたが、阿古屋が弾かせられた三味線や琴の調べに一点の乱れもなかったことに畠山重忠は感動し、彼女は釈放される、という話です。
 なんか、源義経と弁慶の話にも出てくる「安宅の関」のエピソードを想起させる話です。


 次に本堂と宝物館を訪れます。

 残念ながら、本館と宝物館内部の撮影は許可されませんでしたので、ここで皆様にお見せすることができません。
 ただ、宝物館の内部には、我々が教科書などで一度は見たことがある平清盛坐像や、口から六人の阿弥陀仏を出しながら経を唱える空也上人の像など、重要文化財にも指定されている貴重な仏像がいくつも安置されていました。
 もし京都、六波羅蜜寺を訪れる機会があれば、一度皆さんご自身の目で直接見られることを勧めます。一度見ておいて、損はありません。

 本堂には、空也上人自身が刻み、市中を車に乗せて歩いたという、本尊「十一面観世音菩薩」が安置されています。
 ただし、辰年にしか開帳されないそうなので、直接見ることはできませんでしたが‥‥。
 なお本堂内では、独特の手法による占いも行われており、若年から中高年までの女性客で賑わっていたのも、面白かったですね。


 本堂北側にある、銭洗い弁天像と迎え鐘が納められている建物です。





 残念ながらここも、内部の撮影は禁止されていましたので、読者の皆様にはここまでしかお見せすることができません。
 なおここの迎え鐘は、地中にあるそうで、この建物の正面から出ている紐を引っ張って鳴らします。
 そういうところは、六道珍皇寺の迎え鐘と似ていて面白いですね。


 さて、六道珍皇寺、西福寺、そして六波羅蜜寺と、かつての葬送の地であった松原周辺のお盆を堪能した後は、そこから八坂の塔あたりまで戻って‥‥





 さらにそこから、五条坂まで下って、同じ頃開催されていた清水陶器市をぶらつきます。








 こうして、京都のお盆の夜は更けていきます。


 あー。
 実はこの時も夜勤明けで身体が少しバテ気味だったのですが、それを無理におして訪れたのです。
 だって今年私の職場では、この時期でさえ、なかなか休みが取れませんでしたので。
 でも、無理をしてでも来てよかったです。
 楽しめました。


 では、今回はこの辺で。
 また次回に。



*少しだけ余談
 昔、『源平討魔伝』という、ナムコ(現バンダイナムコゲームス)から発売されたゲームがありました。
 その内容は、本記事の「阿古屋塚」の部分でも触れた武将・平景清が、壇ノ浦の戦いで戦死した後に甦り、魔の力によって日本を支配した源氏に復讐するというものです。源氏が操る魔物たちや、義経、弁慶などと戦っていきながら進み、最後は鎌倉で源氏の頭領・頼朝と戦って倒します。
 実はごく最近まで、平景清という人物は、この『源平討魔伝』というゲームのために創作された人物だと、私は思っていました。平景清という人物が実在していた、実在した人物をモデルに作られたキャラクターだと知ったのは、ごく最近のことなのです。
 いや、お恥ずかしい。
 私のゲーム・バカぶりが、よくわかるような話です(苦笑)。




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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