感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

雪かき

2022-01-31 | 日々思うこと

東海岸をおそった雪嵐。

今回の雪は、粉雪みたいだったけれども、積もった量が15センチとかになって、馬鹿にできない重さである。

除雪車は完璧には雪をどかしてくれない。おかげで道幅は通常の3分の2くらいになってるし。

高さ7~80センチ奥行1メートル以上の雪の山が道路わきにできている。

ここは道路わきに車を止めるので、車を停めるためにショベルカーが残していったこの雪の山を人力で除雪するのだが、これが難儀である。

ショベルカーが道路の端に雪を押しやり、圧縮された雪はたいそう重い。

これを手に持ったショベルを使って、地道に取り除くのだが…。

おかげで、腰も足も腕も痛い。

そうなのだ、この辺りでは除雪ではなく、雪をかくだけである。道路の両脇に押しやってお終いなのだ。これには常々難儀をしている。どこかに取り除いて持って行ってくれたらなと、いつも思うんだ。

もうちょっと、考えて雪どかしてほしいな。

大きな家に住む人は、大概、除雪機なるものをお持ちである。従って、いちいちショベルで雪かきせずともよいわけで、なんともうらやましい。だからと、小さな家に暮らす我が家のような家庭には、除雪機はぜいたく品である。年に数回しか使わないわけだし、買うまでもない。

 

子供たちにやってくれと頼んでも、渋々だし、適当に済まされそうで、結局、自分でやってしまうというのが毎回の事。

今日も車3台分の場所を、きれいに雪をどかせて2台を停め、残り1台分のスペースをきれいにしておいたところ、案の定、近所の住人がしっかりその場所に車を駐車していった。

いろんな国の人が混ざって暮らすこの国では、私の常識が通らない。ここに停めて何が悪い、ってことだ。

日本育ちの私からすれば、日ごろ停めている場所の雪をきれいにして、そこに停めるべきでしょうが、と思う。それを、人様がきれいに雪かきした場所を目ざとく見つけて、しめた!ってわけだ。

「私が雪かきしておいたんだけど…。」とは言えない。公共の場所なのでだれが停めてもいいわけで。

文句は言えない。

 

もしかしたら、時間がなくて、急いでどこかに停めるしかなくて、って事だったかもしれないな、とか思ってみる。そう、人には、色々な事情があったりするものだ。

心は広く持たねばと、あれこれと考えた今日の午後。

隣人同士、雪かきで殺人事件に発展したという過去のニュースも記憶にある。

雪かきごときで命を落としたのでは馬鹿らしい。

台風一過ではないけれど、今日は晴れ晴れ晴天で、ノドジロシトドが群れで。

渡るスズメ。ロシア民謡のようなメロディーで歌うように鳴く声は冬から春の初めの風物詩。

3月も終わりに近づくころには、姿を消す。

スズメたちの足跡と言うか、二本足でジャンプした跡。彼らは歩かないからね。(歩く鳥と歩かずジャンプする鳥がいるんだ)

 

それと、

雪が降ると、中学生とかがショベルをもって近所を回り、雪かきのアルバイトをするのも、日常である。

車や、ドライブウェイを掘り起こし、家の前のサイドワークをきれいにする。20ドルとか払ってるようだ。なかなかの小遣い稼ぎになる。(やったことはない)お年寄りだけで暮らす家になると、自分たちで雪かきは不可能なので、ありがたがられているようだ。

 

 



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