感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

瀬戸内の海辺の村で暮らした幼少期(その1)

2019-06-12 | 遠い昔の記憶

私の母の実家があったのが、九州の瀬戸内に面した半島の付け根にある、小さな海辺の村で、
村と言ったら、集落をイメージすると思うが、
そこは村はずれにあり、村の中心部から小さな岬に向けて一本の道が走っていて、
その道の行きつく先に4軒の家があり、
そのうちのひとつが母の実家だった。

寂しい場所だった。

当時は、堤防らしいものもなくて
実家の北の縁を開ければ、遠浅の海が目の前に広がり、
その海が瀬戸内の海であったわけだ。

母は、その家の長女で、母の父親は、第2次世界大戦で太平洋上で戦死している。
母が11歳の時のことだと言う。
その後、母の母親である私のおばあちゃんが、一人で恩給をもらいながら、
4人の子供を育てた場所がこの家だ。

その実家がある小さな岬と、母が嫁いだ町は、
瀬戸内海に注ぎ込む川を挟んで向かい合わせに位置し、
橋を渡すほど人の往来がある場所でもなかったため、橋はなく、当時は渡し舟があって、
小さいころ、実際にそれに乗って川を渡った記憶がある。

引き潮の時は、その川を歩いて渡る事もできたらしく、
私のおばあちゃんは、よく荷をしょって、腰まで着物をからげて、
母に会うためにこの川をどぶって渡ったと聞いている。

私は、母の最初の子供で、私の下に次々に兄弟が生まれ、
仕事や子守りが大変で、と言う事と、
実家で一人暮らしのおばあちゃんが寂しいこともあってか、
私一人が、実家のおばあちゃんに預けられ、
幼稚園に上がるまでの多くの時間を、海辺のこの家で過ごしたと言う事だ。

このおばあちゃんに、私は大変可愛がってもらった。
寂しい場所で、一人で暮らすおばあちゃんが可哀そうで、
盆正月が来て、また、何かの用事があって、自分の家に戻る時には、
迎えに来た父に、おばあちゃんを一人にするのが可哀そうだとしみじみ泣いたことを覚えている。
4歳とかだったのだろうか。

おばあちゃんは、海に出てアサリやハマグリを採って生活していた。
小さな私を連れて、海に行くこともあったようで、
私は、ある日、おばあちゃんと一緒に潮干狩りに出かけ、
お昼に、おばあちゃんが作ったおにぎりと沢庵を食べた時の事を
今も、映像で記憶している。 

海の潮水でぬれた手でつかんで食べた、その時のおにぎりの何と美味しかったことか。

今思い返しながら、遠い昔、おばあちゃんと二人で暮らした
当時の記憶に切なくなる。

この様に、私の幼少期の記憶は、この海の見える家での暮らし、
この場所から始まっている。


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