感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

宇佐海軍航空隊の跡地を訪ねて

2023-10-18 | 日々思うこと

もう、ずいぶん前に、

永遠のゼロの本の中でだったか、門田隆将さんの戦争を追跡した歴史書からだったか、大分県宇佐市に、当時海軍の航空隊があって、この場所から飛び立った特攻隊員のいたことを知った。

日本に帰省して、

妹に、その事を聞いたところ、「掩体壕がある場所を知っているから、連れて行っちゃる」という事で、出かけることにした。

訪ねたのは9月の初旬、まだまだ真夏日が続く中だった。

掩体壕がある場所のわきにあった看板。

自転車で史跡を回れるように案内がされている。できるものなら、実行に移したかったけれども、今年の夏の暑さと言ったら尋常ではない。この歳で、自転車に乗って、この炎天下を走って回る自信がなかったのだ。

基地があった場所は、現在そのほとんどが田んぼである。今ではその多くが個人の所有地になっているのだと思われる。現存する掩体壕は全部で10基ある。そのうちの1基が城井1号掩体壕で、現在公開されている。この掩体壕の周囲は整備されていて、簡単だけれども、立ち寄れる観光施設のような小屋もあり、その中にお手洗いも設置されていた。そばには駐車場もある。

掩体壕と言うのは、軍用機を敵の空襲から守るための施設とある。

アメリカから送られた、友好の木ハナミズキが植えられている。

この掩体壕の中に、国東半島沖の海中から引き揚げられたゼロ戦のエンジンが置かれている。そのわきには、千羽鶴。

整備された公園内には、鎮魂の碑と一緒にここから出撃し命を落とした154人の特攻隊員の名前が刻まれた石碑がある。緑の田んぼと、青い空、遠くに見える山並みをバックに、静かな公園がただあるだけ。同じ空が広がる。こみあげるものがある。手を合わせる。

掩体壕の横をまっすぐに南北に走る県道は、宇佐海軍航空隊の滑走路だった。

周囲は田んぼになっていて、肉眼で見える他の掩体壕が何基かある。農家の農機具置き場だったり、車の車庫だったりするのを見ると、やはり、個人の所有地になっているのだろう。歴史ある史跡にトラクターや耕運機が入っている様は、何と表現したものか…。平和な世の中になったんだ。

宇佐市平和資料館は、宇佐から出撃した特攻隊や、宇佐への空襲などの記録が残されているとの事。映画永遠のゼロの撮影用に制作されたゼロ戦の実物大模型も展示されているらしい。入館無料。毎週火曜日が休館日とある。今回は行けなかったので、次回帰省の時にはぜひ訪ねたい。

基地跡の側を流れる駅館川(やっかんがわ)の堤防には十数か所の横穴壕が掘られていて、現存しているらしい。

この日、ガンガンの日差しの中で、訪れたこの場所に、車から1歩足を踏み出しながら、泣きたくなった。私の涙なのか、それとも、この土地がそうさせるのか、どうしようもなく、泣きたくなった。

 

 



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