木造の戸建て住宅は寒いです。
暖房を点けない部屋の冷たさに、引っ越して来た頃の事を思い出します。
ガスストーブを用意したのに部屋のガス栓が死んでいたために暖房は2階の一部屋のエアコンだけでした。
照明器具は時間をかけて選びたかったので灯りもまだろくになく、
インターネットも不具合で、ダイニングテーブルもテレビもカーテンも買わないうちに地震が起きてしまいました。
ものすご~く心細かった。
キッチンのフロアーに座布団を敷いて、流しの上の小さな蛍光灯の灯りで寒さに縮こまりながら食事していました。
Mちゃんが入院していたので、同じ市内に住む息子は私の事に構っていられなかった。
彼氏もいたけれど、初めて来てくれたのは引っ越して3週間以上経ってからでした。なんだかポツンと一人ぼっちで淋しかった。
思い出しては「かわいそうだったね」って自分に言っています。
心もとなくて寂しくて…
でもそんな事でへこたれてなんかいられないじゃない。今まで一人で頑張って来たから、そんな時も何も言わずに頑張る習性がついてるのかもしれない。あいつの自己破産にも動じない私はそうやって培われてきたんだ。
けれど結局はナヨナヨとしおらしく弱音を吐いた女が勝つんだよ。あいつ、女の策略に嵌ったんだね。
腹が立って未だに収まらない。
今、いろんな事にトライしようとしています。どれもささやかな事ですが、前向きな気持ちでいられるのはここに引っ越して来た効果です。
横浜時代は、横浜を好きになりたい気持ちと、横浜に愛着を持ってはいけないという気持ちの狭間にいました。
私はいずれ長男の近くで暮らそうと思っていたから。
そして段々横浜を好きになって行く自分にブレーキが掛けられなくなって今の地に逃げて来たという感じです。
横浜では新しい事を始める気にも、新しい人間関係を作る気にもなれなかった。あのままではきっと精神を病んでしまったでしょう。
遅まきながらもう一度生き始めた気がします。