続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

八月十五日の記憶

2018-08-15 08:35:04 | ひとりごと
三月十日の大空襲で家を失くした私たちは。
焼け残った家を借りて住んでいました。周りは焼け跡でした。
あの日は暑くても真っ青な明るい空でした
天皇陛下の大切なお言葉の放送がありました。
ラジオも焼けてしまって、近所のお宅にみんな集まってお言葉を
聞きました。
ラジオの音が聞きづらく私には難しい言葉で良く分かりませんでした。
お言葉終わった後大人たちは泣いていました。お母さんに抱かれた
小さな子もお母さんが泣いているので、一緒に泣いていました。
よくドラマで 終わったぞ!とうれしそうな声を上げる人なんて
いませんでした。

家に帰り、もう空襲がないぞと父、母はこれ以上空襲が
夜昼続いたらみんな気が狂ったねとほっとした表情でした。
それからが大変でした。戦時中は統制が取れていた食糧です。
少なくても配給がありました。
混乱の時代父と母は食糧を手に入れるために苦労しました。
私たちも我慢しましたが、訳の分からない真っ黒なお団子を
父が知り合いから買ってきました。我慢して食べました。
でもお腹をこわした記憶がありません。大丈夫だったのです。

今の歳まで生きていられるのは父と母のお蔭です。
ただ大きい兄さん(長兄)はニューギニアのサンサポールでの
北岸作戦で無念の戦死です。
小さい兄さん(次兄)は無事横須賀から復員してきました。
今日も青い空ですね。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿