公民・歴史教科書問題を中心に教育問題を考えていくブログ

恐るべき公民教育の問題を中心に扱っています。かなりの割合で小山常実氏のブログ(特に教科書資料)や著書を参考にしています。

【公民教育再生】家族論と国家論の復活を!【常識派の自由社・育鵬社、中間派の帝国書院、非常識な多数派教科書(東京書籍・日本文教出版・教育出版)】

2023-06-13 00:20:52 | 恐るべき公民教育

今の公民教科書には、家族とは何か、国家とは何かといった家族論や国家論が全く展開されていません。国家も家族も多数派教科書では単語だけで、何の説明もされていません。

しかし、国家にも家族にも、その起源があって、その起源に基づく基本的な役割があり、その役割を果たすために現実の諸機能が存在します。

日本国家の公民を育成する教科書ならば、当然、国家論や家族論を展開することが必要でしょう。

今回は、公民教科書における国家論と家族論について見ていきたいと思います。

●日本国憲法『第9条』擁護のために犠牲にされた国家論

戦後の公民教科書では、日本国憲法第9条について「全ての戦争を放棄し、全ての軍隊と戦力を保持できない」とする極端(きょくたん)な解釈を通すために、「日本はアジアを侵略した」という捏造物語(ねつぞうものがたり)により、生徒の贖罪意識(しょくざいいしき)にうったえてきました。

しかし、それだけでは、国家論を学ぶことで国家の役割の一つである防衛を否定する憲法9条に疑問が出てしまいます。そこで、戦後の公民教科書は、国家論を放棄し、国家の役割の一つである防衛を全く教えないようにしてきました。

そもそも、占領期には「国家」という言葉自体が禁句であり続けました。

国家には、決まった範囲の領土(りょうど)があって、その周りに領海(りょうかい)を持ち、それらの上に領空(りょうくう)を持ちます。これが国家の領域(りょういき)です。

領域の中にはそこで生活する人々がいて、この人々が国家を運営する主体となります。これが国民(こくみん)です。

国家が、領域や国民を支配する権利を、統治権(とうちけん)といい、これが対外的に独立(どくりつ)し、どの国の干渉も受けないようになると、国家主権(しゅけん)となり、主権を持つ主権国家独立国)となります。

この主権領域国民国家の三要素(こっかのさんようそ)です領域や国民がなければ、国家が成立しないのは分かるでしょう。では、主権はどうでしょうか。

主権を持たない国家は、どこかの国に属するか、他国の影響を強く受ける傀儡国家(かいらいこっか)になるしか、選択肢がありません。このような場合、当然、現地の国民の意思や利益が尊重されるわけがなく、現代の国家は、この主権を持ち、かつ独立し、主権と独立を守ることが重要なのです。

このような現代の国家は、対外的には軍事力を使用した防衛(ぼうえい)により、その主権と独立を保ち、対内的には公共の秩序を維持し、国民の安全を守るとともに、インフラの整備や教育など公共事業への投資(こうきょうじぎょうへのとうし)により、国民の生活の向上を図り、国民の自由と権利(こくみんのじゆうとけんり)を守ることが重要な役割だと考えられています。

このような役割を担うのが、国会や、内閣、裁判所などの国の機関です。例えば、防衛省や自衛隊は、このうちの防衛を担っています。警察は国内の秩序の維持を担っています。裁判所は、国内の秩序の維持と国民の自由と権利を守る役割を担っています。

国家は、これらの役割を限られた時間で果たすために、できるかぎり合意に努めます。これが政治です。ただし、限られた時間で対立を解消しきれず、合意に達しない場合は、権力による強制も避けられません。この権力が、政治権力です。

政治権力は、一見すると、国家による一方的な強制力のようにも見えますが、実は国民がその政治権力を承認しているから成立しているのです。国民の承認がない政治権力は、歴史上いくつか存在してきましたが、例外なく、その国家は消滅しています。国民の承認がなければ、政治権力を維持することは不可能なのです。

現在でも、このような国家論を展開していると見なせる教科書は、自由社の「新しい公民教科書」のみです。育鵬社も、国家論については完全に放棄しています。※一応、国際編にそれらしきものがわずかに記されていますが、国家論になっていません。

新しい公民教科書では、国家の成立が外敵からの防衛の必要性によるものであったと記した上で、国家の役割として、外敵(外国)からの「防衛」(ぼうえい)、インフラなどの「社会資本の整備」(しゃかいしほんのせいび)、警察などの「法秩序・社会秩序の維持」(ほうちつじょ・しゃかいちつじょのいじ)、「国民一人ひとりの権利保障」(こくみんひとりひとりのけんりのほしょう)を挙げています。また、国家論の一つとして政治権力論も展開していて、政治権力の必要性を記しています。

さらに、自由社は、日本国憲法第9条について、いわゆる芦田修正を踏まえた、「第1項で侵略戦争を放棄し、第2項で第1項の目的(侵略戦争の放棄)を達するため、侵略戦争のための軍隊と戦力を保持しない」という解釈があることを書きました(複数の解釈をまとめている)。ようやく、憲法9条について、まともな解釈が公民教科書に載りました。

もっとも、政治権力の必要性については「つくる会効果」で今回の版から全社が記すようになりました。40年以上前から、頑(かたく)なに政治権力の必要性を認めてこなかった東京書籍もついに観念したようです。東京書籍の反国家・反権力思想が一つ崩れたことを象徴する出来事でした。

なお、歴史の方では満州事変と日中戦争などが含まれるページに「世界恐慌と日本の中国侵略」などと呆れるような節名をつけて対中隷属史観を発揮しているのが東京書籍です。※対中政策全般の方針を決めた南京大虐殺(1937年に起きたとされる日本軍による「南京事件」のことではない。)、満州事変の原因の一つとなった南京大暴虐、日中戦争を拡大させた通州大虐殺について知れば「呆れるような」の意味が分かります。

それでも、多くの教科書が、本来なら国家論も合わせて置かれるべき政治編の冒頭に政治権力の必要性を記すのに対して、東京書籍は、政治編の後の方で政治権力の必要性を記しています。やはり、できれば政治権力の必要性を記したくないというのが本心なのでしょう。

国家論の欠如は、いろいろなところで日本をおかしくさせていいます。自虐史観があっても、国家論と国際法の感覚があれば、韓国の謝罪要求や賠償要求は全て不当だと言い切ることができます。

サンフランシスコ講和条約で解決済みなので、当然です。国際法は絶対です。一度「解決済み」となれば、後に何があろうと解決済みです。それが国際社会の常識です。

国家論が放棄が影響したのかも知れませんが、経済学では第一の公共財(公共サービス)と位置付けられる国防が、戦後の公民教科書では、公共財が書かれることはあっても、そこに国防が明記されることはありませんでした。

国防がしっかり機能していなければ、国家に安全はありません。戦争中の国家に経済など存在しません。だからこそ、国防をしっかり機能させることが経済の要(かなめ)であり、国防は第一の公共財なのです。

それどころか、警察(治安維持)さえも公共財として認めない教科書が常に一定数存在し続けていたという現実があります。

それが、現在では「つくる会効果」により、前回から全社が警察を公共財として認めるようになりました。しかし、現在でも国防を公共財として認めるのは、自由社、帝国書院と教育出版の三社だけです。

育鵬社は、「教科書改善」を掲げておきながら、東京書籍などの多数派教科書と同じく、国防を公共財として認めていないのです。

●学習指導要領に抹殺された家族論

国家論と異なり、家族論についてはどうでしょうか。

家族は、男女の愛と尊敬から始まる集団の中で最も小さな共同体(きょうどうたい)であり、団らんの中で安らぎを得るなど、いこいの場としての性格を有するとともに、子を生み、愛情や道徳を教えながら育てるなど、人間形成の場としての性格を有し、ともに生活することで、信じ合い、助け合いながら家族の絆(きずな)を深め、祖父母から父母、父母から子という縦のつながりをもつ唯一の集団である。

このような家族論には、昭和40年代までは30ページ以上当てられるほどだった。

それが、昭和52年に学習指導要領が改訂されて学習指導要領上から家族のための特別な単元がなくなると、一気に文量が減り、4ページほどに減少した。

教育基本法改正直後の平成20年の改訂では、ついに「家族」という言葉そのものが学習指導要領から姿を消し、東京書籍・教育出版・日本文教出版など多数派教科書で、家族に関する内容は1ページ未満となった。家族論といえるものはわずか4~10行程度にまで減少した。

それでも、前回まで自由社が2単元4ページ、育鵬社と帝国書院が1単元2ページの構成で家族論を展開していた。

ところが、今回ではついに帝国書院が家族論を放棄し、わずか8行程度にまとめてしまった。ただ、これでも、帝国書院は、家族について「最も基礎的な社会集団」と位置づけるし、家族の役割についても多少なりとも触れている。「社会集団」などとして「社会の基礎集団」とさえ記さない多数派教科書に比べれば随分マシだ。

ちなみに、育鵬社は、前回の版まで「最も身近な共同体」としていたが、今回の版では「基礎的な社会集団」とするのみになった。帝国書院ほどではないが、姿勢が後退している。

一方、自由社は、2単元4ページという構成を維持し、「家族が共同体であること」、「家族間の愛情を育む場であること」、「子供を保護し教育する場であること」、「祖先から子孫への縦のつながり」等を記している。

家族論については、2単元4ページでしっかり記述する自由社、1単元2ページで最低限度の記述はする育鵬社、最低限度の記述さえしないが多数派よりはマシな帝国書院、最低限度の記述さえせず、しかも「基礎的な社会集団」とさえしない非常識な多数派教科書(東京書籍・日本文教出版・教育出版)に分けられるだろう。

家族論と国家論の復活が、公民教科書には必要だ。

家族論も、国家論も展開されなくなった公民教科書に問題意識を感じた方は、ぜひ教科書会社に抗議してほしい。一人でも多くの抗議が集まれば、変えることができるはずである。また、学習指導要領に「家族」を復活させるよう文科省に求めてほしい。

文部科学省に関する御意見・お問合せ窓口案内:文部科学省

※従来(平成10年版まで)は中学校学習指導要領の「内容」のところに「家族や地域社会などの機能を扱い」とあったが、現在は「内容」の部分の構成自体が刷新されているため、内容の取り扱いで「(2)のアの(イ)の「人間は本来社会的存在であること」については,家族や地域社会の機能などを取り扱うこと。」と明記するよう求めてほしい。

【東京書籍】 お問い合わせ 内容についてのご質問・ご意見箱:個人情報の取扱いについて

利用規約 - 教育出版

お問い合わせフォーム|お問い合わせ|日本文教出版

※東京書籍と教育出版と日本文教出版は、当然のように家族論と国家論を全く記さないし、家族について「基礎的な社会集団」とさえしない。問題だらけの公民教科書である。なお、教育出版については利用規約に同意すれば問い合わせできる。

教科書の内容や指導書・Webサポート・QRコンテンツについて|株式会社帝国書院

※もともと国家論を記してこなかったので、国家論という点では東京書籍や教育出版、日本文教出版と大きく変わらない。しかし、家族論については今回の版からひどく改悪された。1単元2ページという構成だったものが、わずか8行程度となり、家族の役割についてほとんど記さなくなった。それでも「最も基礎的な社会集団」と位置付ける。

お問い合わせ | 育鵬社

※国家論と呼べるものは記していないが、一応、国際社会編でそれらしきものはある。評価できるかは微妙である。家族論については、帝国書院ほどではないにせよ、「最も身近な共同体」としていたものが、「基礎的な社会集団」とするのみになってしまい、姿勢が後退した。

お問い合わせ|新しい歴史教科書をつくる会

※「新しい歴史教科書をつくる会」は自由社の執筆者である。この会自体は営利団体ではないが、自由社のホームページに問い合わせホームがなかったので、これを貼っておく。自由社は、国家論について、国家の成立から国家の役割、政治権力の必要性という流れで記すし、家族論についても当然のように記す。最も評価できる教科書だ。

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真の日本復活とは~究極的には革命だ~

2023-06-12 01:50:57 | 教育

突然ですが、我が国が、本当の意味で復活するには、革命を担う次世代の育成が必要です。

いきなり何を、と驚いた方も多いでしょう。

なぜ、革命を担う次世代の育成が必要なのでしょうか。

今の日本は曲がっています。歪んだ国家観・歪んだ歴史観があらゆるところでその害悪を撒き散らし、いまや亡国寸前のところにいます。

しかし、これは、共産党系の勢力が有権者を説得して、歪めたわけではありません。有権者が、選挙権をもつ前の段階、すなわち、教育の段階で、革命を担う次世代を育成するためにつくられた教科書で学んだ結果です。

ここで、教科書をいわゆる「正常化」したとしても、絶対に日本は復活しないでしょう。高齢化の時代ですから、最低でも現行世代が全員死んでからです。しかし、国家観や歴史観が歪み始めたころは、全然、戦前の世代がいました。現在でもいます。

ですが、日本人全体の国家観・歴史観は歪んでいます。なぜなら、その世代は「革命を担う」ためにつくられた教科書による教育を受けていますから、その歪んだ国家観・歴史観を他の世代に共有しようとします。

その結果、戦前の世代がいる中で、実質的に革命が起きたのです。

つまり、真の日本復活には、これを逆手にとって、正しい国家観・歴史観を育成するのは当然として、現在の日本に内在する問題を内容を大きく誇張させた上で認知させ、時には捏造まで行い、革命を担う次世代を育成し、その世代が他世代にその国家観・歴史観を共有するのを待つのが重要だと考えます。

「誇張」や「捏造」というと、「それはだめだ」などと思われるかも知れませんが、相手は「誇張」や「捏造」を堂々と使っています。相手が「誇張」や「捏造」を利用するなら、こちらも「誇張」や「捏造」をしなければなりません。これは戦いです。

日本の右翼が負けばかりなのは、相手の「誇張」や「捏造」に対し、「誇張だ!」「捏造だ!」としか言わないからです。これでは、客観的に見れば、相手(左翼)と並ぶことはあっても、右翼側が有利になることはありません。

目には目を、歯には歯をです。「誇張」には「誇張」を、「捏造」には「捏造」をしなければなりません。

相手が「日本軍による南京大虐殺」を主張するなら、私たちはこれを「捏造だ!誇張だ!」と言うのみでなく、「中国軍による南京大虐殺」をつくる必要があります。

今のままでは、計算式に表せばこのような構図になっています。

1(左翼「日本軍による南京大虐殺」)-1(右翼「誇張だ!捏造だ!」)+1(左翼「歴史修正主義だ!」)

これでは全く中立性は確保されません。だから、右翼は負けるのです。

これを、

1(左翼「日本軍による南京大虐殺」)-2(右翼「中国軍による南京大虐殺」「誇張だ!捏造だ!」+1(左翼「歴史修正主義だ!」)

として初めて中立が確保されます。教科書採択でも、例えば「自由社を採択するな」や「育鵬社を採択するな」が電話・メール・FAXを通じて大量に送信されるなら、それを批判するだけでなく、こちらも電話・メール・FAXを通じて「〇〇(自由社・育鵬社以外の出版社)を採択するな」「自由社・育鵬社を採択しろ」みたいなことを言えば良いのです。

もちろん、これは若干違法性も懸念されるので、そこらへんの常識は確保した上での話ですが。その上で、正当性のある批判を行えば良いのです。

矛盾していると言われれば、「左翼の批判に対し、わざと同じ手法を使うことで実質的な中立化を図っている」と主張すれば良いのです。

教科書問題でもそうです。左翼教科書の捏造・誇張を非難するばかりでなく、文字通り「右翼」教科書をつくり、そこに「中国軍による南京大虐殺」「韓国軍による日本人「従軍慰安婦」」などを書けば良いのです。それが、歴史戦です。捏造に対し、間違いを指摘するのは歴史戦でもなんでもありません。

今まで、左翼によって、革命を担う次世代を育成されてきたという意識、これからは、教育の主導権を左翼から奪い、革命を担う次世代を育成しなければならないという意識が、右翼やいわゆる保守には欠けていると考えます。

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【テストの点数爆上げ間違いなし!!!】太平洋戦争の原因は日本でもアメリカでもなかった!?【最強の勉強法も解説!!現在拡散中!!】

2023-06-07 19:27:03 | 歴史教育

※この記事は、中学生や高校生の方々を主な対象としています。つまり、表現やまとめ方が通常の記事と絶妙に違います。うp主は中学生でかつ国語力がオワコンなのでいろいろ怪文書が多数あるかも知れません。

―読まなくて良いところ(始)―

ちなみに太平洋戦争は「大東亜戦争(だいとうあせんそう)」とも呼ばれます。これを使うと、よく「ネトウヨ」などと言われますが、太平洋戦争について勉強した人は分かると思うのですが、全然戦場は太平洋じゃないんですよね。

東アジア(日本列島・フィリピン・中国大陸など)が主な戦場でした。まあ「大」東亜は敗戦国が使うと、うじゃうじゃ言われそうなので「東亜戦争」とでも言う方が良いのかも知れません。

あ、「アジア太平洋戦争」という呼称もありますが、広すぎますね。せめて「東アジア太平洋戦争」とか「東アジア戦争」とかの方が良いですね。

まあ、こんなことわざわざ書いた理由は、太平洋戦争の戦場の大半は「太平洋」ではないと言うことが言いたかっただけです。

―読まなくて良いところ(終)―

さて、読者の方々の多くは太平洋戦争は「日本が起こした戦争」だと思っているのではないでしょうか。中には「侵略戦争」だと思っている方もいると思います。

しかし、歴史学の発展は凄まじく、近年、こうしたものが「科学的に」否定されるようになりました。なぜ「科学的に」を強調したのでしょうか。それは、今までにも、こうした主張はあったのですが、あまり「科学的」ではなかったのです。

それらと区別するため、「科学的に」を強調しました。

近年の歴史研究で、第124代昭和天皇が太平洋戦争の開戦に否定的だったことが分かりました。その後、近衛文麿(このえふみまろ)内閣や東條英機(とうじょうひでき)内閣などの当時の日本政府は、開戦を避けるために努力をしていたことも分かりました。

しかし、アメリカはハル・ノートというものを出して、日本にあり得ない要求をしました。当時の国際社会は、強い国が弱い国を「侵略」するのは当然、強い国が弱い国を「植民地支配」するのは当然、という流れでした。

「侵略」をしない強い国は、弱い国とみなされ、他の強い国からいじめのような侵略を受ける、そういう時代でした。確かに、表向きには「不戦条約」など、あたかも、正義が猛威を振るっていたように見えますが、当時の外交文書などを調べるなど、実態はそのようなものだったことが分かっています。

日本も、当時はやや強い国でしたから、当然、他の国から「侵略」を受けないために、弱い国を支配する必要があります。

ハル・ノートは、日本から「植民地」を奪い、日本を集団で侵略するために出されました。中身には、「植民地の放棄」が掲げられていました。

今日では、これは不戦条約に従ったもの、として美化されますが、当時の国際情勢(こくさいじょうせい)を考えれば、とても美化できる話ではありません。

日本をいじめるために、「植民地」を奪う、そんな汚い話です。当時の国際社会でのいじめとは、その国を強い国同士で分割して支配し、その文化や伝統を徹底的(てっていてき)に破壊(はかい)し、厳しい奴隷制を敷き、最終的には民族(みんぞく)を滅ぼすというものでした。

実は、日本は、これを受ける危機に直面していた時期(明治維新のころ)があるので、こうしたものにかなり強い反感を持っていました。

そのため、欧米の植民地支配からアジアを解放し、日本の指導でアジア全体の独立を目指す「大東亜共栄圏」を唱えて南進(東南アジアへの進出)を始め、アジアの人々も期待しました。

アジアの人々の中には、「大東亜共栄圏」への期待だけでなく、日本軍を歓迎したり、日本軍と協力して独立したりしようとする人もおり、表向きには「日本語教育」など、「植民地支配」をやっているように振る舞いましたが、実際にはそれほど厳しい政策は取りませんでした。

また、それでも少なからずアジアの人々の反発はあり、それがより独立運動の原動力ともなり、意外とプラスに働きました。日本軍の中には、戦後まで残ってアジアの人々と一緒に欧米と戦い、アジアの独立に協力した人もいました。戦後、アジアの国々の多くは欧米の植民地支配から独立しました。

このような事情もあり、日本は、国際社会のいじめから逃れるために、戦う必要にせまられたのです。国際社会にいじめられることは、日本の滅亡を意味します。多大な犠牲を払ってでも、日本を存続させるために戦う必要があったのです。

そして、一か八かで太平洋戦争を挑(いど)み、結局、敗戦国となりました。しかし、今、ここに日本はあります。多大な犠牲を払った戦争ですが、意味はあったのです。日本を存続させる、日本民族を存続させるという意味が。

さて、ここまで読んで、太平洋戦争は「日本が起こした戦争」とは言い難いということが分かったでしょうか。太平洋戦争は、日本がいじめに遭いそうになって必死に抵抗した結果起きた戦争であり、最初の武力行使が日本側であっても、実質的な武力行使(いじめ)を最初にやったのはアメリカや当時の国際社会です。

日本は決して「悪い国」ではありません。しかし、悲しいことに敗戦国ですから、国際的にはそう断罪されてしまいます。

それでも、私たち日本人までもが、過去の日本人の行為を不当に断罪するべき理由にはなりません。

太平洋戦争についてもっと詳しく知りたい方は、アマゾンなどで↓の本を買うと良いですよ。この本は「右翼」などと罵られていますが、確かに以前までのものは「若干右っぽいな」と言った感じで紹介できるレベルではなかったのですが、この版ではそういった傾向が大きく改善されて「中立」になっています。

しかも、全ての歴史が詳しく書いてあるので、テストの点数を爆上げしてくれると思います。随所に工夫が見られ、読むだけでテストの点数が上がる、魔法の本だと思います。

絶対買うべきです!!!

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【教科書問題報告】「うれうべき教科書の問題」第二章「教科書の過激化と是正の動き」

2023-06-06 02:13:47 | うれうべき教科書の問題

今回は、教科書問題報告「うれうべき教科書の問題」の第二章として、検定制度の改悪で教科書が大きく変化し、つくる会(新しい歴史教科書をつくる会のこと。)の誕生に至った経緯を解説したいと思います。

目次

 第一章「教科書問題の始まり」

  第一節 戦後教科書は偏向していた

  第二節 「うれうべき教科書の問題」

  第三節 教科書の是正は一瞬だった

  第四節 教科書大誤報事件(教科書誤報事件)

 第二章「教科書の過激化と是正の動き」←今ここ

  第一節 検定制度の改悪で「南京大虐殺」「強制連行」「関東軍731部隊」がフリーパス

  第二節 「従軍慰安婦」事件~このままでは日本は滅亡する!「新しい歴史教科書をつくる会」誕生~

  第三節 絶大なつくる会効果

 第三章「安倍政権による是正」

  第一節 教育基本法の改正 自虐隷属史観に歯止め~その裏で進む公民教科書の偏向~

  第二節 「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」 自虐隷属史観と反国家思想に染まった反日極左教科書に是正命令(教科書改革実行プラン)

 第四章「教科書戦争のラスボス 学び舎」

 第六章「教科書に表れている偏向タイプ」(歴史)

  第一節 権力者は悪玉、一揆は善玉

  第二節 元寇は「遠征」朝鮮出兵は「侵略」

  第三節 明治維新も「国民抑圧」の歴史

  第四節 塗り替えられた自衛戦争

  第五節 抹殺された日本人の英雄たち

  第六節 歴史の光は「ロシア革命」

  第七節 「30万人説」堅持の願望

  第八節 日本は「悪い国」

  第九節 北朝鮮は「地上の楽園」

 第七章「菅政権・日本維新の会による正常化の試み」

 結びに「教科書問題は終わっていない」

第一節 検定制度の改悪で「南京大虐殺」「強制連行」「関東軍731部隊」がフリーパス

イ 検定の実質的な崩壊

文部省は、平成初期に検定制度を改悪し、執筆者の意向を大幅に許容する姿勢になりました。その結果、もともと検定意見の付きづらかった「南京大虐殺」「強制連行」については、もはや完全に野放しとなり、一時は史実に反するとして全部削除させた「関東軍731部隊」(細菌実験)が多く載るようになりました。

しかし、これは、まだ序章に過ぎませんでした。

第二節 「従軍慰安婦」事件~このままでは日本は滅亡する!「新しい歴史教科書をつくる会」誕生~

ロ 左派にも批判された「従軍慰安婦」事件

そして、平成8年、中学校歴史教科書の検定結果が公表されたとき、日本社会に激震が走りました。「従軍慰安婦」が全社に掲載されたのです(「従軍慰安婦」事件)。

当然、保守派からは厳しい批判を集め、教科書改善の機運が高まりました。それどころか、左派系の学者までもが「「従軍慰安婦」を中学段階で使うのは流石におかしい」と反発しました。

「国民の油断―歴史教科書が危ない!」などの本も出版され、「歴史教科書」は一気に国民的課題となりました。左派の間でも、教育的配慮をめぐる論争が活発に行われるようなりました。

右派からも左派からも問題にされたことからも、当時の教科書が、いかに、とんでもない内容だったかが分かります。現在の偏向教科書のトップは学び舎ですが、当時の教科書は学び舎を軽く超える偏向ぶりだったといいます。

特に、それ以前から反日思想を採用していたはずの左派が当時の教科書を擁護せず、むしろ批判したというのは、本当に一線を越えた内容だったといえるでしょう。

そして、ついに、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されました。つくる会は、「新しい歴史教科書」を検定に申請しました。当時の文部省は、これを不合格にしようと画策しましたが、後にこの事実が報道されました。

なんとか、「新しい歴史教科書」は検定に合格しました。

第三節 絶大なつくる会効果

ハ 「従軍慰安婦」は姿を消した

つくる会が結成されると、すぐに教科書に変化が表れました。つくる会が検定申請した、すなわちつくる会が初めて教科書を出した年の検定で、「従軍慰安婦」という表現が姿を消し、「慰安婦」「慰安施設」などに置き換わりました。

それだけでなく、「慰安婦」そのものを書かない教科書が増え、教育的配慮を欠いた記述が多少なりとも是正されました。

二 治らなかった「南京大虐殺」

しかし、「南京大虐殺」や、第二次世界大戦を「侵略戦争」とするなどの問題記述はすぐには改善されませんでした。

...一旦ここまで書いておきます。もう少し書き足すと思います。

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LGBT法は、新たな「差別」法だ!

2023-06-04 19:28:07 | 憲法

日本は、もともと性的指向や性自認にある程度寛容な国だった。ヨーロッパなどでは、男性同士の恋愛は犯罪とされ、処刑された。

一方、日本では、古事記に堂々と男色(男性同士の恋愛)が記述されている。犯罪化もされておらず、極めて寛容だった。

現在の日本国憲法でも「性別」による差別を禁止する規定は存在する。

となると、今回のLGBT法案は、何を禁止しようとしているのか、文言調整が行われているが、本題はそこではない。

この法案自体に、立法事実が皆無なのである。

むしろ、この法案で男子トイレや女子トイレの区分がなくなれば、さまざまな被害が増えるであろう。

また、LGBTへの理解増進を図るというが、これもおかしい。性的未熟な小学生や、中学生などに向けて学校現場でLGBTなどの性に関する事柄を教えるのは児童虐待なのではないか。

過去には「従軍慰安婦」という性の事柄が中学校の歴史教科書に載った事件があった。このときも、教育的配慮をめぐって論争が起こり、高校段階に移動となった。

LGBTは、「従軍慰安婦」などの歴史的事象を教科書に載せるのとは比べ物にならないくらい、性について深い入りする必要がある。

教育的配慮を大きく欠いているといえよう。

この法案の正体は、LGBTへの差別を禁止するという実質的に無意味な規定に化けて、小中学生や高校生などに、教育的配慮を大きく欠いた性に関する事柄を知ることを強要する「児童虐待」「児童差別」法案なのではないだろうか。

8月1日の追記

 更新が遅れたが、現在、この『LGBT法案』は衆議院と参議院で文字通り強行採決され、『LGBT法』が施行されている。この法律は最悪の法律である。今後は、日本人に対するヘイトスピーチを見逃すばかりか外国人に対するヘイトスピーチを解消する全責任を日本人だけに押し付ける『ヘイトスピーチ解消法』(日本人ヘイト法)とともに、この法律と戦っていかなければならない。そのためには、このLGBT法に対する批判をもっと論理的に組み立て直す必要があるだろう。

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