休日は風を切って

休日は自転車に乗って風を切って、そんな生活をずっと続けていけたらと思っています・・・

その昔、安達太良山で終わる映画があった・・・

2022年09月08日 | Weblog

その映画は『花の恋人たち』という1968年公開の日活映画。原作は吉屋信子の「女の教室」。女子医大のインターン学生の青春物語でした。わたしは、ついこないだ、この映画を偶然Amazonプライムビデオで観たのです。

 

この映画の中で、とにかく目を奪われたのは吉永小百合・和泉雅子・十朱幸代・山本陽子・伊藤るり子・浜田光夫・川口恒・山内賢・舟木一夫・奈良岡朋子という豪華出演者ではなく、本宮市(当時は本宮町)がこの映画の重要なロケ地になっていたということでした。

 

ロケ当時の上の場所は、現在はこのようになっています。こんなところがとても懐かしく、当時の本宮町を知る人ならきっと嬉しくなっちゃうんだろうなと思って見ていました。

 

どうして本宮町が出てくるのかといいますと、主人公(吉永小百合)の母親(奈良岡朋子)がこの町の病院で働いているという設定なのです。ロケは当時の菊池病院(現在は無い)だったようで、わたしも小さなころこの病院にお世話になったことがあったのかも知れません。

 

この場所は、後半で病に伏せった母の居る菊池病院へ吉永小百合さんが向かうシーンにも使われています。後ろの方に見える橋は旧「中ノ橋」。

 

母の居る菊池病院に到着したところ。院長先生役は宇野重吉さんでした。

 

物語の中でのシーンは前後しますが、病院の屋上で洗濯物を干す母親役の奈良岡朋子さん。バックには安達太良山を背景に左に愛宕神社、右には本宮小学校の旧校舎が写っています。(設定は菊池病院の屋上ということなのでしょうが、背景の位置関係から撮影は別の建物だと思われます)

 

今は新しい橋が出来て撤去されてしまった旧「昭代橋」(通称:下ノ橋)の上で手紙を読む奈良岡朋子さん。

 

旧昭代橋の面影がどこかに残っていないかと思って探してみたら、むかし橋が架かっていたたもとの道路脇に、「昭代橋」と銘板の入った当時の親柱と鉄骨製の欄干が展示保存してありました。

 

 

 

このシーンは旧「上ノ橋」で撮影されていました。安達太良山の手前に見える街中の高い煙突は、大天狗酒造の煙突、それとも銭湯? いや、グンゼの煙突かもしれない。

 

 

上のシーンの場所は・・・(撮影は1967年/昭和42年)

 

2010年に撮った写真ではこんな風になっていて・・・

 

現在はこのようになっています。

 

ここからは、旧国鉄「五百川駅」で撮影されたシーンです。

 

 

これらのシーンはわが家から2キロほど離れた五百川駅で撮影されました。この映画の撮影当時(昭和42年)わたしは中学3年生で、クラスの女の子が、この撮影を見に行きたいので早退してもいいかと担任の先生に話していたのを覚えています。担任がOKを出すはずもなく、彼女は無断で早退してしまいました。結果して、彼女はこの超豪華な顔ぶれの撮影シーンを五百川駅で見れたんだと思います。当時の中学生としては無謀とも思える彼女の行動に、わたしは心からの拍手を送ったのでした。

そうそう、そういえば亡くなった兄は当時高校3年生で、帰りの電車内でこの映画のロケ隊と一緒になり、近くにいた伊藤るり子さんんからサインをもらったと言ってノートを見せてくれたことがありました。そんな懐かしい想い出のある映画でした。

 

「花の恋人たち」予告編



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Amazonも (ケンヂ)
2022-09-08 18:49:46
粋な映画をやっているものですね。
本宮が舞台ですか。地方の小都市の情緒が良かったんでしょうね。郡山では名所案内ばかりになりそうだし,何と言っても安達太良山が大きく映らない。役者さんの顔ぶれを考えると,郡山ではロケどころでなく,人払いに苦労することでしょう。本宮は程々だし,五百川駅も田舎駅の雰囲気満点ですよね。

初めて知りました。というかその映画が上映された年は,ぼくは幼稚園年長。映画なんてゴジラとかウルトラマンくらいでした。
それに郡山が舞台の映画は,「百万人の大合唱」が一番有名でしょうか。中学の時に市民会館まで学校を挙げて見に行ったことを思い出しました。
最近だと「AI崩壊」という映画が郡山ロケをやったとか。

「花の恋人たち」,観てみますね。
教えてくださり,ありがとうございます。
返信する
“ケンヂさん” (koji)
2022-09-08 19:44:30
本宮では古くから結構な数の映画ロケがされていたようです。
森繁久弥の「警察日記」は昭和30年の作品。その後本宮方式と言われる映画「心の山脈」。主演の山岡久乃さんと奈良岡朋子さんは、農家が見たいといってわが家に来られました。わたしは小学高学年でちょうど稲運びの手伝いの最中でした。恥ずかしいほど褒められたのを覚えています。
玄関先で撮った記念写真がわが家のどっかにあったはずです。
他に網走番外地や不良番長などでもチョイロケがあったようです。
阿武隈川と石積みの古い堤防が絵になると思われているのかも知れませんね。
比較的新しいところでは、わたしは観ていないのですが「秋桜(コスモス)」というのがありました。
返信する
映画 (玉ヰひろた)
2022-09-10 17:22:02
全く知りませんでした。昭和42年放映ということは、本宮方式映画の宇野重吉さんと山岡久乃さんが出演した「こころの山脈(やまなみ)」が放映されたのが昭和41年の翌年ですから、なんらかの影響が有ったことは間違いないですね。

それにしても、高さ制限バーが無い下ノ橋はスッキリして良いですね。

菊池病院は、私もなんどかお世話になりましたが、裏手の堤防の低さが時代を感じます。

この映画の放映の翌年に祖父が亡くなり、その翌年にマチュピチュ村で有名になった野内与吉さんが帰郷し、翌年に他界されています
返信する
“玉ヰひろたさん” (koji)
2022-09-10 18:34:02
映画はいろんな場所を切り貼りしてつなげていますから、地元をよく知る方は地理的におかしな繫がりの場面が多々あります。
それでも、当時の本宮町を良く知っている方々は懐かしく思い起こす事が出来ることでしょう。
ここには掲載していませんが、アサヒビールの無い五百川駅からの遠景をみて、最初はどこの駅か分かりませんでした。
高い煙突はグンゼのものですよね。
返信する

コメントを投稿