LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

万里の長城再び!

2010年01月02日 | 中国日記
7時45分ホテルのロビーに迎えに来た車に乗り込もうと、外に出てびっくり。
雪が積もってた。

今回のツアーは安さと引き換えにいくつかショッピングがついている。で、いきなり翡翠店へ。ここで別便で来た友人Fと合流。つまらない時間潰しだが安い料金のためだ。がまんがまん。

続いて明十三陵。



なんかちょっと玄関だけちらっと見て終わり。ここよりショッピングの時間のほうが重要ということか。。

さて12年ぶりの万里の長城。



記憶は定かでないがたぶん前回とは違うところ(結局行ったところの名前わからず)。きつい傾斜を息を切らしながらあがっていく。



雪の中の万里の長城はとても美しかったが、いつも眼下に見えてしまう道路と車が興醒めでとても残念であった。90分で往復してくる。



長城上部のトイレに入ったら、ドアのないニイハオトイレであった。噂には聞いていたがこのとき初めて目にした。汚すぎるニイハオトイレ、これも世界遺産なのか?こういうところがさすが中国。繁栄を謳歌するのもいいけどこういうところ早くどうにかしたほうがいいんでないの??

4品でたランチはとてもおいしかった。その後中国薬センターみたいなところに行きフットマッサージ(有料)。長城で疲れた足に心地よい。ホントは医者が診て漢方薬とか売りつけるところ、だと思われる。お茶売りつけるところでやたらおいしい鉄観音を試飲し(買わないといった瞬間から愛想激変)、最後にシルクセンターに行って5時ごろツアー終了。観光よりもショッピングが長いという予想通りのチープなツアーであった。

屋台とヨシノヤで晩御飯食べて本日終了。外は少しだが雪が舞っていた。

こんにちわ2010年 in 北京

2010年01月01日 | 中国日記
泊まっている宿の小さなレストランでカウントダウンしてめでたく新年を迎えた。



海外で正月を迎えるのは
●ゴールドコースト(オーストラリア)
●オークランド(ニュージーランド)
●ポカラ(ネパール)
に続く4カ国目。たぶん。

朝起きてこっちのニュースを見てると世界のいろんなところで花火打ち上げたりしてド派手なセレモニーが行われていたことを知り、もしかして北京でもあったんじゃないの?いやきっとあったはず、と思うとなんかすごい残念な気がしてきた。。

昼は王府井から地下鉄で「長安里」に行き街ブラ。日本のスタバ並の値段のするコーヒーショップでは明らかにお金もってそうな人たちでいっぱいであった。しかし街中に新年を祝う、という雰囲気は全くなし。





午後6時。宿に今日日本から飛んできたばかりの友人F登場。もともとこの北京つーのは彼の正月ツアーの行き先であり、そこに乗ったのが私なのである。ありがとう、こんな死ぬほど寒い北京に呼んでくれて。(Fはまさか北京がこんなに寒いとは知らず・・の格好であった。。あれほどメールで注意喚起したにもかかわらず、だ!))

王府井のフードコートで晩飯。明日の万里の長城ツアーを予約してヤツは高級ホテルに帰っていった。。

さよなら2009年 in 北京

2009年12月31日 | 中国日記
今日は昼前からお散歩。相変わらず外は激寒!

宿から歩いて天安門行って、



その後、北京の原宿?といわれる西単界隈をぶらつく。こっちでは明日は正月ではないので、大晦日の喧騒というのは感じられずただの平日の様相。旧正月っていうのはどういう感じなんだろうか。



夜は泊まっている宿で餃子パーティー。ホテルのスタッフと宿泊客とで餃子を一緒に作り大晦日を祝った。



ちょうど1年前の今頃、目黒で格闘技見てたな~。まさかその3ヵ月後に会社を辞めて旅に出てるなんてその当時夢にも思わなかった。あと2,3年はサラリーマン頑張ろうと思ってたんだよな、新年の誓いで。

会社を辞めてはや9ヶ月。ここ北京で新年を迎えることになろうとは。

いやはや1年先なんてホントわかんないもんです。

来年のお正月はどこで迎えるのでしょうか。。いろんな国でいろんな人と出会うことになるであろう新しい1年。楽しみ。



北京オリンピック公園へ

2009年12月30日 | 中国日記
12/30 北京

お昼12時過ぎとある旅行会社へ行こうと地下鉄「天安門東」駅へ。1律2元の切符を買い「三元橋」駅へ。旅行会社が入っているビルまで行ったものの結果的に行く必要ない、ということになり店まで行かず。また地下鉄に乗り「オリンピックセンター」駅へ。

テレビで何度も見た「鳥の巣」と呼ばれる個性的なスタジアムと北島が金メダル取ったプールがあるおなじみの建物がお出迎え。





ちなみに観光客はまばら。辺りをゆっくり散策・・といきたかったが、とにかくサブクテ、サブクテじっとしてられない。。気温は間違いなくマイナス。ついでに風が吹いてるもんだから、耳がちぎれそーな耐えられない寒さ。で逃げるように地下鉄駅で「王府井」まで戻り昨日のフードコートで点心をいただく。



宿に戻りツアーデスクで切符の手配。1月5日に夜行列車にて成都(今度は25時間!)に行くことにする。自分で駅まで買いに行けばいいのだが面倒で。。。

夜は宿近くの夜市で餃子。なんじゃ、100円でこのうまさは!級であった。王将よりうまい。。

いきなりこういうのと出会うと幸せである。

12年ぶりの北京!

2009年12月29日 | 中国日記
12/29 天津-北京
昨日はついてることを知らなかった無料朝食を食べ、11時半チェックアウト。あと2日ほどここに滞在してもいいかな、とも思ったが、結局北京に行くことにしタクシー(女性ドライバー)に乗り込み天津駅に。



やたらでかい広場にでーんと立つ天津駅。チケットは簡単に手に入り、出発前においしいラーメンを昼ごはんにする。中国でチケット買うのにどきどきするのは何故だ?(口頭で通じなかったときのために紙に漢字で書いたものを用意することは昔と変わらない)





北京までの列車はいわゆる新幹線。13:15発の最新鋭列車はほぼ満席で最高速度330キロ、所要30分であっというまに北京南駅に13:45到着。この列車に乗っただけで今の中国のすごさが分かる。

12年半前の香港返還の日をここ北京で迎えて以来2回目の北京である。

31日からネットで予約を入れていた宿に急遽、今日、明日の予約も追加。北京南駅からタクシー(親切でやさしそうな人)で直接宿に向かった。途中懐かしの天安門に熱くなる。。故宮がすぐ隣の1800円の宿であったが、部屋でネットも使えるし、清潔で暖房も完璧。これまた文句なしのいい宿であった。とりあえず今日から最低5泊することになるがここだったら問題なし。スタッフも英語が話せるし!←これはすごいことだ!

中国銀行で両替ついでに銀行口座を開く。パスポート渡してサインいくつかするだけであとは全部若い行員がやってくれた。こっちは暗証番号が6桁である。


【もっといいデザインのカードないの?とゴネたが駄目だった】

その後、王府井を歩く。



12年前はネオンなんてほとんど記憶になく、これが首都かよ、と思ったものだがさすがに今は・・といいたいとこだがそれでも首都にしてはなんとなくさびしい感じ。寒すぎて人手があまりないからかな。フードコートで晩御飯を食べて帰ってきた。

天津ブラ

2009年12月28日 | 中国日記
11時過ぎ天津ブラに出る。

まずは南市食品街でお昼。狗不理包子、焼餃子、お粥、韮饅頭。死ぬほどうまい。ハラパン。



鼓楼商業街、古文化街と歩く。



空は曇っているというより埃で霞んでいるような感じ。太陽は出ていたし、風もほとんどなかったがそれでもさすがに寒い。市内を流れている川は厚く凍っていて穴を開けて釣りを楽しんでいる人がたくさんいた。



夜は和平路を歩く。


海外で食べるのはニューヨーク以来となる大好きな吉野家。肉はうまいが米がいかん、改善したまへ。吉野家の名が廃る。

56時間30分かかってようやく天津到着!

2009年12月27日 | 中国日記
相棒に日の出を見ようと朝6時起こされデッキの窓のところへ。外はまだ真っ暗。ここで6時は中国時間の5時だということに気づく。まだ太陽出るわけないじゃんか。真っ暗なのだがなんか白いものがチラホラ。目が慣れてくると横殴りの雪がぶっ飛んでいた!!



日の出は軽く諦め寝床へ戻る。

朝のアナウンスで天津到着時間は15:40とのこと。なんだよ、もう到着(14時と聞いていた)遅れてんのかよ。。天気は曇り。気温はマイナス2度。



昨日より1品減った無料朝食をいただいた後は、仲良くなった4年間中国で勉強していたという学生さんと喋るか、寝るかのどちらか。なんかいくらでも眠れる。

予定時間の15:40を過ぎても到着の気配なし。聞いてきてもらったら、はい18:30になりました、とのこと。ちょっとは申し訳ないのか、晩飯が無料で配られた。


また船上から夕焼け。美しい。

18:30 飛行機で飛べば3時間のところを56時間30分もかけてようやく寒々しい天津港に入る。



公安とかいろいろ船に入ってきて船の中で30分以上待たされる。タラップを降りバスで50m向こうのイミグレビルに入り入国審査が終わって外に出たら19時半を回っていた。4回目の中国入国。

学生君には広州から彼女が飛んで迎えに来ていた。寒い中、午後1時から待っていたらしい。4人でタクシーをシェアして天津のダウンタウンへ。彼女とは広東語、運ちゃんとは北京語で会話。かっこよすぎる。中国語もいいな、留学か?!といい加減なことを考えているうちに1時間ほどで市内へ。学生君のホテルでタクシーを乗り換え、自分の予約したホテルへ。ホテルは3000円ほどの宿であったが、ほぼパーフェクトにサイコーな宿であった。

荷物を置いて耳が痛くなる寒さの中、遠くに見えた黄色いMマークのお店で夜食。久々の陸地でようやく落ちつくことができた。。

燕京号2日目

2009年12月26日 | 中国日記


朝7時半、いま対馬海峡を航行しているというアナウンスで目が覚める。昨日までいつも近くに見えていた対岸が見えなくなっていた。大海原である。



8時パン、ゆで卵、おかゆの無料朝食。おいしくない。というかまずい。



テレビスペースでは中国人が楽しそうに中国ドラマを見ている。船内は最早中国である。客の割合は中国8、日本2といったところか。

レストランで出される食事は全くおいしそうではなく見るだけで食欲を失う代物である。にもかかわらず値段は日本並みである。が、神戸で買い込んだ食糧もほぼ底をつき晩御飯をいただくことにした。ご飯50円、トマト味スープ50円、ナムル風もやし300円。おなかが膨らんだだけのごはんであった。

浴室には浴槽、サウナがついていたものの浴槽はお湯が張られてなく、サウナはあまり熱くなかったが、シャワーをゆっくり浴びることができた。

昨日に比べると外海に出たからであろう結構揺れて、気分の悪そうな客がちらほら。吐いたり、船に常駐している医者に尻に注射を打ってもらってるやつもいたりしていやがおうにも旅情をあおってくれる。


神戸から船「燕京号」で中国・天津へ出発

2009年12月25日 | 中国日記
8時過ぎホテルチェックアウトし神戸駅から2駅のポートターミナル駅へ。駅を出て隣のビルがすぐ港になっていた。チェックインカウンターで乗船券をもらいパスポートコントロールを抜けあっという間に手続き終了。パスポートに初めてKOBEの出国印が押される。



船に入り雑魚寝部屋に荷物を下ろすと11時定刻に船出航。初めての船なので比較のしようもないが、ほとんど客はいない。40人ほど。正月に中国に帰る人もいるのかな、と思ったがやはり旧正月(来年は2月14日)が彼らにとっての正月なのでまったく関係なさそうである。

大学生時代、下川ゆうじ書いた「12万円で世界を歩く」を読んで以来当時からずっと一度は乗ってみたかった船である。飛行機では分からない地球の大きさを感じるにはやはり陸路、海路である。3時間で飛ぶところを50時間もかけるのはある意味贅沢であり、ある意味アホである。

船はそれなりのスピードで瀬戸内海を西に。飛行機みたいにいまどこにいるのかGPS表示してくれたら楽しいのに。。明石海峡大橋、瀬戸大橋、関門海峡を過ぎていく。


【明石海峡大橋】


【瀬戸大橋】

船内レストランではランチ、ディナーと出されているものを見てみたがその貧相さに対して値段は日本価格。持ってきたきつねどんべえとお菓子でやりすごす。



午後5時を過ぎると外は暗くなり対岸の街に光が灯る。強風の中、黒い海を眺めていると少しの恐怖感と、また旅が始まったと思う満足感とで不思議な気持ちになる。

心地いい揺れは眠気を誘い昼寝て、夕方寝て・・と寝るばかり。
用意された薄い敷布団1枚では背中が痛いので3枚にして快適に常に爆睡。誰に気を使うことなく大の字でいられる雑魚寝部屋はサイコーである。

マカオ上陸

1997年07月10日 | 中国日記
7月10日 香港

昼前、九龍から高速船に乗りマカオへ。リスボアホテルでCASINO.400元負けた。帰りは香港島着。トラムでビクトリアピークへ行ったあとスターフェリーで九龍へ戻る。

前回泊まったヒルトンを探してみたがなくなったとのこと。