まちわび犬

ビーグル犬こげちゃと一緒に、今度はどこに行く?

夢見る力がある限り

2008-10-10 | コゲステルと夕張
《前回までのあらすじ》

2006年に財政破綻を表明した夕張市
炭鉱の街から観光の街としての転換を図ってきた夕張市が
どういった経緯を経て現在に至るのか


自らの四つ足で取材を続ける
ジャーナリスト犬 タキガワ・コゲステルが
この旅の最後に出会ったのは…!? 
(スタート記事へはここからジャンプ~)






               翁…




コゲステルさん
残念ながら私は洞爺湖にいた翁ではないの

私は白美(しろみ)
市内に住むリコちゃんが名づけてくれました





コゲステルさんのブログ記事に
私も少しだけ参加させてくださいな


夕張の負債は箱もの行政だけが
原因ではないってことなのですね~




元々は山間の小さな村に石炭の大鉱脈が発見され
一時は12万人もの人々が暮らしたこの夕張
たくさんの炭鉱マンとその家族の住む住宅や
病院、水道、光熱費などは
すべて大規模な鉱業所が自ら負担していたの


滝之上の発電所も確かそうだったのだ~




国のエネルギー政策の転換とともに相次いだ炭鉱の閉山
ガス突出事故…炭鉱会社の倒産…
夕張市からの大規模な人口の流出を防ぐため
市は会社の持ち物を買い取ったの


               住宅や病院を?




炭鉱住宅5000戸を市営住宅に転換し
炭鉱病院は市立病院に移管
その他、上下水道設備、道路設備…
加えて倒産した鉱業所が未払いだった61億円の鉱山税…
閉山処理の対策費は580億円を上回ったの


財政の負担と雇用の場の確保…
両方をクリアするための政策が観光事業だった訳なのだ~





その後も自治体の経営のありかたや会計操作の問題
臨時交付金の廃止や地方交付税の削減…
他にもあらゆる複合的な要因が積み重なった結果が
市長による財政再建団体の申請表明
つまり市の財政破綻につながって行ったの


これだけ立派なおひげ顔で難しい漢字を並べられると
経済学者・シロミ教授とお呼びしたいくらいなのだっ!





今の夕張市の人口は最多時の十分の一…
65才以上の高齢者が占める割合は4割となり


この先何年かかるかわからない再建期間に
市民への負担と不安がのしかかるけれど…






     映画「北の零年」の中で
     開拓に絶望した時、サユリさんはこう言っていた

     「生きている限り、夢見る力がある限り…」
     





その後サユリさんは馬産と出会い
その地の主幹産業に育て上げ

日高地方は全国生産の8割を占める
馬産の一大産地となったのよ


実話に基づいたお話だったのだ~



   YUKIちゃんもすっかりシロミさんになついてるのだ~
   
    なかよし なかよし
   (  し、しろみさぁ~ん )




シロミさん…いえ、シロミ教授
たくさんの貴重なお話ありがとうございました~

        (↑妊娠中)
     いいえ こちらこそ ぺこり





箱ものと呼ばれる施設も次々に取り壊されていく中
一時は中断していた映画祭も
今年からは市民の手で復活をしたのだ

今回の取材を通して
こげは夢見ることをあきらめない
フロンティア・スピリッツの意義をも学んだのだっ




さぁ こげもジャーナリスト犬として
ますます張り切って取材に出かけるのだ

次はあなたの住む街に…
いざ、しゅっぱ~~っつ!



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ゆきだるま

2008-10-09 | コゲステルと夕張
みなさま こんばんわん 

ジャーナリスト犬 コゲステルが
真の夕張の姿を追い続けるシリーズ




第4夜の今夜は
『財政の枯渇と夕張の零年』をお送りするのだ

              ↑コゲステル




ここ『めろん城』では全国的にも有名な
夕張メロンの加工品を製造しているのだ
 
1960年にメロン組合が結成され
翌年、改良に改良を重ねた「夕張キング」が誕生したのだ




観光に力を注いだ夕張市は
こういっためろん城や
あらゆる観光施設を次々に作り上げていったのだ


 
                          なぜに、はくせい…





そしてここは「北の零年 希望の杜(もり)」といって

2005年に公開された
映画『北の零年』のロケが夕張で行われ…




    撮影時に使用された実際のセットが
    石炭の歴史村にほど近い場所に移設されたものなのだ~
    




明治の始めに徳島藩の家老、稲田家の家臣団が
北の大地に開拓団として移り住んで





     あらゆる困難や絶望に立ち向かいながらも
     夢や希望を捨てなかったというお話なのだ
     



写真パネルは映画の一場面の
サユリさまなのだ



        ほ~らね

↑コゲステル





希望の杜からほど近い場所には
昭和レトロ館、夕張キネマ館 、夕張プラザからなる
「郷愁の丘」





     ピーク時にはこの辺りには15ヶ所もの
     施設が出来たそうなのだっ
     




いわゆる“箱もの”への投資に
市の財政は行き詰まり…




ついに2006年6月には財政破綻を表明…




         は…、はた…ん…?
      




632億円の負債額は市民に重くのしかかり
税金の引き上げ、小中学校の統廃合
公共料金の値上げ、福祉サービスの切捨て





市職員は市長から一般職員に至るまで
給与は平均3割カットされ、ボーナスは6割削減
総年収だと4割はダウンになるそう

そのため300人以上いた市職員は半数が退職になったそうな






     負債はけして箱もののせいだけじゃないっ!
     




あ…あなたは… 翁





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空から降る一億の大金

2008-10-08 | コゲステルと夕張
こんばんわん
ジャーナリスト犬 コゲステルです 


短期集中連載で夕張市の姿を追うこのシリーズ
第3夜の今夜は
『ふるさと創生事業が呼んだスター』なのだ




    ふるさと創生…
    総理就任時に「アイムソーリー、ボク、ソーリ」
    と言っていたミスタータケシタが(DAIGO談)
    
    全国の市町村に
    「工夫して使うんだよ~」と一億円をくれたのは
    いまから20年前のことだったのだ




夕張市の工夫した使い方は
『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』の開催だったのだ

ここは映画看板でまちを飾る「キネマ街道」で~す





   映画祭会場近くに位置する本町商店街に
   
   現在も40点ほどの看板が掲げられているのだ
   (ピーク時は100点はあったそう)




        炭鉱時代の面影を残す夕張本町の街並みの中
        
        古きよき時代の哀愁をかもし出しているのだ…




  

 
昭和の時代の炭鉱マンたちの娯楽のひとつは
こういった映画をみることだったのだ




1990年に
第一回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が
開催されたのだ

当初は海外の作品のプロモーションの場でもあり…




      そうして年を追うごとに映画祭の規模も大きくなり
      
      たくさんの映画関係者や映画を愛する皆さんが
      この夕張を訪れたのだ




第4回映画祭が行われた1993年
初監督作品が賞を受賞し、ゲストとして招かれていた
クエンティン・タランティーノ監督は
この映画祭を非常に気に入ったらしく

「キル・ビル」において“GOGO夕張”
という役名までつけちゃったそうなのだっGOGO…




      最近までは話題作の発表の場であったり
      
      若手クリエイターの作品の登竜門といった
      貴重な映画祭に成長していったのだ





    炭鉱の街だった夕張は
    観光の街へ、そして映画の街へ
    
    新しい活路を見い出して行くかに思えたのだ…





この先に待ち受ける「財政破綻」の現状を思い
尻尾も下がり気味のコゲステルがお送りする
明日、第4夜は

『財政の枯渇と夕張の零年』なのだっ




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バリバリだったあの頃…

2008-10-07 | コゲステルと夕張
こんばんわん 
ジャーナリスト犬 コゲステルです ぺろりっ

昨日に引き続き、第二夜となる今夜は
『炭鉱から観光へ~夕張市再生への模索』
をお送りするのだ




    60年代をピークに衰退した炭鉱産業に変わるものとして
    
    市は観光・レジャー都市としての再生に
    投資をしていったのだ





それを象徴する施設整備が
ここ『石炭の歴史村』なのだ





    バリバリ夕張においでよっ!

20年経過してなお若々しいゆうちゃんなのだ




   昭和55年(1980)にまず「石炭博物館」がオープンし
   




       全盛時の炭鉱内部を再現した模擬坑道があるのだ
       
       今回も顔入れはご遠慮なのだ




   以降もSL館や遊園地といった観光施設が次々にオープンし
   
   閉山後の雇用の場となっていったのだ





冬の長い北海道での屋外アミューズメント施設はめずらしく

昭和58年(1983)の本格開園以降は
たくさんの人でにぎわったそうなのだ



スキー場の施設… 映画祭の開催

もうみなさんお気づきのように
日本中がバブル景気に沸き
そのバブルがはじけて
世の中が不景気の波に飲み込まれて行った…





それと時を同じくして
観光事業への多大な投資が累積赤字となって
夕張市の財政を圧迫していったのだ…




ますます張り切るコゲステルがお送りする ななめ…
明日、第3夜は

『ふるさと創生事業が呼んだスター』なのだ




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黒いダイヤ

2008-10-06 | コゲステルと夕張
こんばんわん
ジャーナリスト犬 コゲステルです ななめ…


本日は北海道の開拓時代を支えた
炭鉱産業について学習するのだっ
(これはビッグ石炭なのだっ!!)




ここ夕張市は「財政破綻」のニュースで
いちやくその名が全国に知れ渡ったのだ

そんな夕張市も
かつては道内有数の産炭地として
日本の産業の近代化に大きく貢献してきたのだっ




これは「石炭の大露頭(鉱脈)」といって
学術的にも大変貴重なもので
北海道指定の天然記念物なのだ
   




      このメモリはその層の厚さを示しているのだ
      
            ううむ…尺ですか~





100年以上も前の明治時代に発見されて以降
入植者が募集され、たくさんの炭鉱が出来
国内有数の産炭地として栄えたのだ





     1960年代には
     三大鉱業所のほかにも関連産業も発達して
     
     最盛期には12万もの人がここに暮らしていたのだ




やがて昭和30年代の後半になると
   
石炭から石油へとエネルギー政策は転換し…




石炭の需要は減り
1970年代には閉山が相次ぎ…





1981年のガス突出事故では
93人もの方が命を落とすという大惨事になり

それは炭鉱産業の衰退に拍車をかけ




1990年には最後に残っていた炭鉱も閉山し
炭鉱の街夕張の歴史にピリオドが打たれたのだ
     




人口減による過疎化…
石炭に取って代わる産業を生み出すため

夕張は再生する手立てを
見つけなければならなかったのだ



さて、コゲステルの解説による第一夜は

『産業近代化を支えてきた黒いダイヤ』をお送りしたのだ




     明日、第二夜は…
     
    『炭鉱から観光へ~再生への模索』を
     お送りいたします




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