熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2007年12月8日 和歌山3 和歌山城跡

2007-12-08 23:00:03 | 近畿(和歌山)
((旅程))

1.水門吹上神社 → 2.和歌山城 → 3.刺田比古神社 → 4.日前神宮および国懸神宮 → 5.東ノ宮神社 → 6.住吉神社 → 7.朝椋神社

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 黄色くなった銀杏の花の向こうに天守が見えて景色はよい。石垣の近くで、なんとなくノスタルジーを感じるのは気のせいだろうか。追廻門から入り、鶴の渓を過ぎ庭園へ向かう。

  国の名勝でもある西の丸庭園は入園料無料。ちなみにここは紅葉渓庭園とも呼ばれる。元々、初代藩主徳川頼宣が西の丸に築造したもので浅野時代に築かれた内堀の一部と虎伏山の山稜地形を巧みに利用した起伏に富んだ庭である。庭園内にある西之丸御殿離れ屋敷をみると、往時の華やかさが想像できる。M子師匠が抹茶を飲むというので、「紅松庵」という茶室へ。

1.和歌山城跡遠景



2.石垣




3.和歌山城追廻門



 和歌山市指定文化財 

4.石垣



5.西の丸庭園












6.西之丸御殿離れ屋敷(聴松閣水月軒)跡(庭園内)



7.紅松庵(庭園内)




8.鳶魚閣(庭園内)



9.それがしとM子師匠




10.高石垣




 この石垣は寛永二年(1625)築造で、城中の石垣で最も高く十三間ある。 当時の藩主紀伊初代頼宣は南の丸から西濠までの石畳築造の大工事を行い、幕府の嫌疑を受けたという。時の家老安藤直次が幕府に修築の必要を力説し、ついに了承されたという。当の普請奉行久野宗成は参府の途上で工事完成の報告に会い、一切の責任を帯び死んだといわれる。

11.奥山稲荷のある高台からの天守閣



★和歌山城跡★ 和歌山県和歌山市一番丁

 国史跡

・通称虎伏城、竹垣城。
・梯郭式平山城。
・豊臣秀長が天正十三年(1585)、紀州征伐の副将として参陣、平定後に紀伊和泉の二ヶ国を加増された折に、築城。翌年、桑山重晴に三万石を与え城代に置いた。
・慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いの後、東軍に属した桑山一晴は正式に紀伊和歌山に二万石を与えられたが、すぐ大和新庄藩に転封。その後、浅野幸長が軍功により三十七万六千石を与えられ紀州藩主となり入城。幸長も引き続き城の改修を行う。
・浅野長晟が土塁から石垣に改修した。
・元和五年(1619)、浅野氏は福島正則改易に伴い、広島藩に加増転封となり、代わって徳川家康の十男頼宣が五十五万五千石で入城、御三家の紀州徳川家が成立。城の改修と城下町の拡張を開始。改修が大規模であったため幕府より謀反の嫌疑をかけられたという。
・明治四年(1871)、全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方により廃城となり、多くの建造物が解体もしくは移築。


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