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熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

フォトはクリックすると大きくなります。

2007.2.11 15 融通念仏法徳寺

2007-02-21 02:55:49 | 近畿(奈良)
 境内に立て札があったので入ってみた・・・・
 が、取り立てて何もなかった・・・・





 さらに横のお堂にあった毘沙門さん・・・・

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2007.2.11 14 薬師堂町

2007-02-21 02:49:43 | 近畿(奈良)
 奈良町の一部。
 立て札があったのでついでに写真を撮ってきた。




 ちなみに徳融寺も中将姫関係の史跡のはず・・・
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2007.2.11 13 御霊神社

2007-02-21 02:40:14 | 近畿(奈良)
 奈良町の中に御霊神社がある。
 十輪院の近くですが・・・・

 もちろん、早良親王も祀られていますがメインではなく、
 この名の神社で奈良県の場合は大体主祭神は井上内親王になりますな。
 五條市にも3つ4つあったはずですわ。





 観光気分で来ている若者(馬鹿者ともいう)は、御霊神社が何のための神社かもわからずに、参拝してお祈りしているのだからつける薬がない・・・・

 国民として恥ずかしい。
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2007.2.11 12 砂糖傅

2007-02-21 02:32:44 | 近畿(奈良)
 師匠が是非行きたいといって入った店。
 安政元年???
 江戸時代ですな???
 いい品物扱ってはります。
 是非行こう。




 しかし、安政・・・ 安政の大獄・・・

 尊敬する井伊直弼公を思い浮かばせますな。
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2007.2.11 11 格子戸の家

2007-02-20 03:24:12 | 近畿(奈良)
 観光マップにある格子戸の家の周辺の写真です。
 昔の日本です。





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2007.2.11 10 高林寺

2007-02-20 03:21:43 | 近畿(奈良)
 こちらは奈良町の一角にある高林寺・・・
 中将姫やその父豊成さんの修行地だったそうだ・・・・





 こちらも事前に拝観の予約をしなければ入れないところであるのでこの程度の写真しかない。
 門の上の鯱の姿が格好いいものだ。
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2007.2.11 9 花園町

2007-02-20 03:18:26 | 近畿(奈良)
 奈良町の中の通りすがりの街の風景を撮影・・・・
 このあたりは花園町というらしい・・・・
 奈良には多い、格子戸の家だ。



 結構昔から見慣れているので普通に思うが、北海道の人たちにはものめずらしいものらしい。

 こちらは昔ながらの先頭といった趣か???

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2007.2.11 8 誕生寺

2007-02-20 03:14:35 | 近畿(奈良)
 さて奈良町を称念寺より少し北上すると、誕生寺と言うところがある。
 葛城市の当麻寺で有名な中将姫が生まれたとされるところだ。残念ながら、事前に拝観を申し込んでおかないとは入れないので外からの写真だけになるが・・・・






 中将姫関係になると後は和歌山は橋本の恋野にも何かあったな・・・・

 中将姫伝説はこちらを参考にしてください。

 http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/chujyo-hime.htm

 http://ganjouji.web.infoseek.co.jp/chujou2.htm

 
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2007.2.11 7 称念寺

2007-02-13 20:13:33 | 近畿(奈良)
 こんどは当麻寺で有名な中将姫が生まれたという誕生寺を目指して北上・・・・
 すると、称念寺なる寺を発見・・・・ 立て札があり、奈良市の指定文化財になっていたので少し足を止めてみた。よくわからないので案内板を参照していただきたし!





 ついでに、寺の門前になった京子さんも激写!

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2007.2.11 6 京終天神社

2007-02-13 20:09:31 | 近畿(奈良)
 とりあえず、井上神社をあとにした。
 しばらく行って左折するとすぐに京終天神社が見えた。



 祭神は次の通り。



 そして、いざ、境内へ!!!





 流石、天神社だけあって紅梅が二本ございました。
 満開ではないけれどね。

 ところで、石灯篭を見たら

「紅梅殿神社」???



 別称はそうらしいですわ。
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2007.2.11 5 井上神社

2007-02-13 19:43:32 | 近畿(奈良)
 崇道天皇社から京終天神社を目指したのであるが、道の向かいのバス停の近くに小さな社を発見!公民館らしきところの横にあったために稲荷か何かと思ったが、行くと名は「井上神社」とある。ほかにはまったく何も情報がない。ただ、一つ推測する。崇道天皇社摂社か末社ではないのか? 奈良の五條の御霊神社では井上内親王が祀られているからだ。早良親王と名誉回復のための処置も連動するしねえ。
井上内親王の情報は下を参照。





井上内親王
    (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

井上内親王(いのえ(いがみ)ないしんのう、養老元年(717年) - 宝亀6年4月27日(775年6月3日))は第45代聖武天皇の第一皇女。伊勢斎王、のち第49代光仁天皇皇后。別名井上廃后、吉野皇后。母は夫人県犬養広刀自。同母弟妹には不破内親王・安積親王がいる。子は酒人内親王(桓武天皇妃)・他戸親王。

養老5年(721年)9月11日に五歳で伊勢の斎王にト定される。6年後の神亀4年(727年)、伊勢に下向する。天平16年(744年)1月13日、弟の安積親王の死により、斎王の任を解かれ、退下する。帰京後、白壁王(光仁天皇)の妃になる。天平19年(747年)、無品から二品に叙される。天平勝宝6年(754年)、酒人内親王を産む。その後、他戸親王を産む。

光仁天皇が宝亀元年(770年)10月1日に即位し、同年の11月6日、皇后となる。その翌年の宝亀2年(771年)の1月23日、息子の他戸親王が立太子される。

宝亀3年(772年)3月2日、光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、同年の5月27日には他戸親王も皇太子を廃され、二人は幽閉される事になった。宝亀4年(773年)1月2日には山部親王(後の桓武天皇)が立太子し、10月19日、井上内親王と他戸親王は大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)没官の邸に幽閉される。 その後、井上内親王はやがて幽閉先で宝亀6年(775年)4月27日、息子の他戸王と共に逝去した。この不自然な死には暗殺説も根強い。


<呪詛>
すでに息子の他戸親王は立太子され、井上内親王が老齢の夫、光仁天皇を呪ったとは、信じ難い所がある。ましてや井上内親王は、かつては斎王という神に仕えていた身である。さらに、宝亀3年(772年)、母の井上内親王と他戸親王の廃后と廃太子事件のあった後の11月13日、俄かに井上内親王の娘の酒人内親王が19歳で伊勢の斎王にト定されており、この事件と酒人内親王の斎王ト定は連動していた可能性がある。また、井上内親王の立后と他戸親王の立太子に尽力したと言われている左大臣藤原永手が宝亀2年(771年)の2月21日に他界して、藤原氏内部における藤原北家から藤原式家への政権移動があったことも注目すべき事柄である。

井上内親王の光仁天皇呪詛事件は、山部親王の立太子をもくろむ藤原良継や藤原百川ら藤原式家一派の陰謀だと(あるいは彼らの政治的圧力によって内親王が追い詰められた結果とも)いう説がある。(『水鏡』では、光仁天皇が皇后と賭け事で「自分が負けたら后に若く逞しい男性を与えよう」と言い、結果皇后の勝ちであったために息子の山部親王を差し出したところ、皇后が若い親王に夢中になってしまったのが事件の原因であるという話が見える) なお、『一代要記』によれば他戸親王は井上内親王の母と同族の女嬬・県犬養宿禰勇耳の産んだ息子で、井上内親王が引き取り、我が子として育てたという説もある。


<鎮魂>
宝亀7年(776年)から天災地変がしきりに起こり、廃后・廃太子の怨霊と恐れられ、また廃后は竜になったという噂が立った。同8年(777年)、光仁天皇は遺骨を改葬させ、墓を御墓と追称。さらに延暦19年(800年)、崇道天皇(早良親王)の名誉回復にあわせ、井上内親王を皇后と追号し、御墓を山陵と追称する。陵墓は奈良県五條市御山町の宇智陵と比定されている。のちに霊安寺御霊神社に祀られた。

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2007.2.11 4 崇道天皇社③

2007-02-13 01:37:08 | 近畿(奈良)
 崇道天皇社の境内に数本綺麗な白梅の木があったので、
 激写してきました!




 そして、その前にあった、摂社の稲荷様たち!



 と、ここで、京終天神社を目指して立ち去ることに・・・・
 最後に門前でもう一枚さ!

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2007.2.11 3 崇道天皇社②

2007-02-13 01:33:05 | 近畿(奈良)
 ついに崇道天皇社本殿の登場です。




 神社についての詳しい情報はこれを読んでください。
 しかし、旧国宝で今は重要文化財??? 複雑な気持ちですな・・・・





 菊の御紋の入っている神社はあまり好きではないのですが・・・・
 本当、何か引き寄せられていきますな・・・ここは・・・
 まあ、本当は崇徳上皇の祀られているところも行きたいのです・・・・
 まあ、いいっか・・・・

 記念写真もついでにしました・・・・
 


 下から上を見上げる角度になったので、二重顎が~~~~!!!



 そして、一人バージョン。
 まあ、少しは、M子師匠も上達したのか????

 してないって??

 ああ、そう?


 そういえば、師匠にいわせると、姫路城にある護国神社のオーラ事件に続き、今回は私の体がぴかっと光ったとか言われてましたな。何が起こってますんやろか?



++++++++++++++++++++++++++++
早良親王

   (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

早良親王(さわらしんのう:天平勝宝2年(750年)?~延暦4年9月28日(785年11月8日))は、奈良時代末期の皇族。光仁天皇の皇子。母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。

761年、出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住む。781年、兄・桓武天皇の即位とともに立太子。だが785年、藤原種継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近で憤死した。その後、桓武天皇の長男安殿親王(後の平城天皇)の発病や桓武天皇妃藤原乙牟漏の病死などが相次ぎ、それらは早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われた。800年、崇道天皇と追称され、大和国に移葬された。その場所は奈良市八嶋町の崇道天皇陵に比定されている。またこの近くには親王を祀る社である八嶋神社があり、さらに北に数キロ離れた奈良町にある崇道天皇社、御霊神社などでも親王は祭神として祀られている。その他にも近辺には親王を祀る寺社が点在している。

Comments (2)

2007.2.11 2 崇道天皇社①

2007-02-13 00:51:15 | 近畿(奈良)
 JR京終駅よりまずは一つ目の目的地、崇道天皇社へと向かいました。
 もちろん名前の通り、祭神は崇道天皇ですが、この方は実際には皇位にはついておられない方です。 早良親王という名で知られている人皇第五十代桓武天皇の弟で、当初皇太子であった方です。まあ色々あり、怨霊問題などがあり、崇道天皇の名を追号されたという方です。つまり、この崇道天皇社は御霊神社に相当するものとなりますね。
 何故かはわからないが、自分の生き方などのためかもしれないが、こういう悲劇の人生を歩み、祀られている方の御霊が在られるところは避けることが出来ません。行かねばならないという気になるものです。

 さて、まあ、前置きはこれくらいにしておきまして、崇道天皇社の写真です。




 ちょっと、ならまちを外れた所にひっそりと鎮座しております。
 鳥居の写真が少し歪んでしまい申し訳ないです。右肩が少し下がっているので撮影にも少し影響するのですじゃ。

 では、境内へと進みます。




 なんか、朝だというのに、寂しい雰囲気が自分をひきつけます。
 DNAが呼んでいるのか?????親王殿下が桓武天皇の末裔である私を呼んでいるのでしょうか????

 まあ、それは永遠にわからぬことでございますな・・・・

 さて、境内に入り一つ目にあるものは祖霊殿。新しい建物のように見えますな。



 もうすこし進みまして、写真が歪んでおりますが祓戸社となります。



 記事が長くなるとあれなので、まずはこれにて。
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2007.2.11 1 京終

2007-02-12 18:18:27 | 近畿(奈良)
 さて、この日はM子師匠と梅を見るために奈良に行くことにしたのですが、
 彼女のミスもあり、少し到着が遅くなりました。
 一応、メインは浮御堂の近くの片岡梅林でしたが、JR奈良駅の一つ南隣にある京終駅からスタートすることになりました。読み方は「きょうばて」。平城京の南のはてっぽ(端っこ)」、ということでついた名前だとどこぞできいた記憶があります。
 奈良県は近鉄がメインでJRは寂れた状態のため、奈良駅の隣にもかかわらず、この駅は無人駅のようでした。



 では、旅のスタートです。
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