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熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

フォトはクリックすると大きくなります。

4 Sep 2005 1 下鴨神社①

2006-10-24 09:47:24 | 近畿(京都)
 この日は、その少し前に龍野城へ一緒に行ったミッシーさんと京都散策へ行った。まずは、京阪で出町柳まで行き、下鴨神社スタートである。まあ、駅を出て橋を渡ればすぐ入り口だ・・・・



 賀茂御祖神社というのが本当の名前だ。もちろん世界遺産に登録されているところである。糺の森も非常に有名であるし・・・・



 まずは、摂社になるのだろうか・・・・
 南に位置する、古くさびしい神社河合神社に到着。
 実は、吉田兼好に関係があるところで、彼はここの宮司になるのを認められなかったために隠遁することになったと聞いたことがあるが真偽のほどは知らない・・・・





 屋根が綺麗だ・・・・

 しかし、まだ早すぎたのか拝観受付には人影が・・・・

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2nd of September, 2006 35 京都タワー

2006-10-19 01:34:07 | 近畿(京都)


 最後に京都タワー!
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2nd of September, 2006 34 六孫王神社

2006-10-19 01:24:22 | 近畿(京都)
 新熊野神社の後、師匠がもう動けないというのでタクシーに乗って京都駅方面へ・・・・
 2時間ほどの休息後、さらに鞭打って当時の裏にある六孫王神社へ!

 六孫王・・・つまり源経基を祭る神社だ・・・・






 源経基・・・・
 一般に清和源氏の祖といわれているが・・・・

 同母の弟が系図上存在するのに、父貞純親王の死後半年後に出生・・・そして、息子源満仲より歳が下・・・・ 意味不明だ・・・・

 経基とは別にもう一人いたのか?
 彼の出生年月日が誤記されているのか・・・・
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2nd of September, 2006 33 新熊野神社

2006-10-19 00:45:24 | 近畿(京都)
 剣神社あたりで、『もう歩きたくない』ぶつくさぶつくさ、とM子師匠は言い出す・・・ まあとりあえず、辛苦間の神社まで行ったらタクシーということで道を大通りに向かって下っていく・・・ ちょうど昼時であったので、寂れた食堂へ・・・・ はっきり行って自分で作るほうがおいしかったとは思うが・・・・

 そして、ようやく新熊野神社へ・・・・

 簡単にいうと、熊野本宮を京都へ勧請したっちゅうことで新熊野らしいです・・・・
 ということは、自分に縁があるのか???



 逆光である事を逆に利用して陰のある渋い写真を撮ってみた!

 ところで・・・・・




 能楽の大成した地??? すっげ~~~~ 翌日は八つ橋発祥地にも行ったし、後は藤森神社も菖蒲の節句の発祥地だったし・・・・ 

 次は土の説明・・・




 そして本殿!






【由縁】
 応安7年(1374年)足利三代将軍義満の時代、能楽の祖、観阿弥・世阿弥が「新熊野神事猿楽」を、この新熊の神社の舞台で演じましたが、これが今日の能楽隆昌に引き継がれています。
 神社の縁起は、1160年頃の、熊野信仰が盛んであった平安末期に、後白河上皇は紀州国の熊野の神を勧請し、熊野の新宮、新熊野神社を創建しました。その際、熊野の土砂材木等で造営し、那智の浜の小石をまき、熊野神社を再現したとされています。
神社のシンボルである大樟はその時熊野より移植し、樹齢九百年を超える巨木になっています。この大樟は、健康長寿・病魔退散の神と信じられ参詣者が絶えません。
 度重なる都の戦火で廃絶同様の状態となっていたものを、江戸初期に聖護院道寛親王Tが再建しました。

祭 神 伊邪那美命(いざなみのみこと)・12社の神々・後白河上皇

ご利益 健康長寿・病魔退散

ちなみに、いまくまのじんじゃ と読むそうだ・・・
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2nd of September, 2006 32 京都・剣神社

2006-10-19 00:19:07 | 近畿(京都)
 御寺泉涌寺から今熊野観音の方へと行く道をとり、少し山沿いに15分くらい歩くと住宅街にある剣神社へと到着しました。
 あまり、知られていないところのようですが・・・
 まあ、私が勝手に京都の地図をくまなくチェックして神社という神社に行くようにしているからここへ立ち寄ることになったんですな・・・






 そこそこ立派な感じもして、何らかの由緒もありそうな気はするのですが・・・・  不明です・・・・ 子どもの守護神ということしかわからない・・・・
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2nd of September, 2006 31 御寺泉涌寺

2006-10-15 01:43:34 | 近畿(京都)
 皇族に所縁の深い寺で、復興の会だったっけ、忘れたけど、確か代表を秋篠宮殿下がされている。

 まずは、即成院の前にある山門から・・・・



 ここから、まだしばらく歩かないといけませぬ・・・・
 M子師匠はぶちぶち言ってましたが・・・・

 まあ10分後くらいに到着!



 入山して、すぐ左に楊貴妃観音だったっけ・・・・
 師匠は見に来なかったが、あります・・・・ 撮影は禁止・・・ その前には資料館・・・・ 
 そこの庭がこれ・・・



 そして、本堂を目指す!

 き、き、き、きのこ雲???

 原爆投下??? がーーーーんんんん!



 ちなみに後の山々には皇族の方々の御陵がたくさんあります・・・・

 泉涌寺のホームページより

「東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ泉涌寺。ひろく「御寺(みてら)」として親しまれている当寺は、天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来する。法輪寺と名付けられた後、一時仙遊寺と改称されたが、順徳天皇の御 代(健保6年・1218)に当寺の開山と仰ぐ月輪大師が時の宋の法式を取り入れてこの地に大伽藍を営み、寺地の一角より清水が涌き出た事により寺号を泉涌寺と改 めた。この泉は今も枯れる事なく涌き続けている。

大師は若くして仏門に入り、大きな志をもって中国の宋に渡り深く仏法の奥義を究められた。帰国後は泉涌寺に於いて戒律の復興を計り当寺を律を基本に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺として、大いに隆盛させた。時の皇室からも深く帰依せられ、仁治3年(1242)に四条天皇が当寺に葬られてからは、歴代天皇の山稜がこの地に営まれるようになり、爾来、皇室の御香華院(菩提所)として篤い信仰を集めている。当寺が「みてら」と呼称される所以である。

境内には仏殿・舎利殿をはじめ、天智天皇以降の歴代皇族の御尊牌を祀る霊明殿などの伽藍を配し、春の新緑、秋の紅葉には一段とその美しい姿を映えさせている。 」
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2nd of September, 2006 30 即成院

2006-10-09 00:54:05 | 近畿(京都)
 寺院の前にある京都市の立て札からの抜粋!

「即成院」

 光明山と号する真言宗泉涌寺派の寺である。
 当院は正暦三年〈992年〉、恵心僧都により伏見に建立された光明院を始まりとする。寛治年間(1087-94)には橘俊綱が山荘造営にあたり、当院を持仏堂として傍に移設し伏見寺もしくは即成就院と呼ばれていた。

 文禄三年(1594〉豊臣秀吉の伏見城築城のため、深草大亀谷に移転し、さらに明治に至り、泉涌寺山内に再興され、即成院と呼ばれるようになった。

 本堂には国の重要文化財に指定されている本尊阿弥陀如来像をはじめ、二十五菩薩坐像が安置され、境内には那須与一の墓と伝えられる石造宝塔がある。寺伝によれば、与一は出陣する途中病に罹ったが、当院に参篭し、本尊の霊験で平癒し、屋島の戦で戦功をたてたので、仏徳に感じて出家し、当院に庵をむすび、歿したと伝えられている。
                    京都市

 では、写真でござる、



 門の屋根の上には鳥が力強く立っておりまする。そこをくぐって境内に入ると・・・

 ど、ど、ど、ど、ど~~~ん!



 さて、ここで、境内の小さなものチェック・・・・・

 霊弓殿・・・ 那須与一の影響であるのだろうか????
 守護するのは狐だ。




 さてさて中にはいらせていただきます!

 那須与一の墓に行きます!




 立派なものですが、どうでしょうか???? 
 荘厳でしょう????

 これは、絵馬代わりのセンス



 そしてグロッキー状態の人だ・・・


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2nd of September, 2006 29 同聚院

2006-10-08 13:07:34 | 近畿(京都)
 京都の東福寺の塔頭の1つである。
 不動さんで多少知られているそうだ・・・・



 屋根の上の雲に注目。
 青白い雲が天に昇っていく龍の姿に見えませぬか?

 私は行く先、行く先でどうやら龍に招かれているらしい・・・・

 母のお腹の中にいるときに両親の前に不動明王があらわれたことと関係があるのだろうか?
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2nd of September, 2006 28 東福寺②

2006-10-03 12:02:06 | 近畿(京都)
 さて、京都は東福寺、第二弾・・・・

 500円でしたっけ??? 忘れましたが、M子師匠に払っていただき、まずは有名な通天橋(?)ですな。





 正直、ここは紅葉のときに来れば非常に美しいという感がしますね。
 もし、一面が真っ赤に染まるのであるとすれば、だけれど。



 これらの木々は紅葉を持つのだろうか???

 さて、さて、前に進もう。



 いつも思うのだが、屋根というか建物の形が変わっていて好きだ・・・・
 好みが合いますなあ!!!

 で、庭ですが・・・・・




 これは、誰が整えたのだ?と思うくらいで、美しい。でも、どのようにしているのだろうか????




 さて、東福寺を後に次へと行きます・・・・

 泉涌寺が次の目的地・・・・・
 師匠はすでにグロッキーだ・・・・・ はああ
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2nd of September, 2006 27 東福寺①

2006-09-29 04:00:07 | 近畿(京都)
 さて、大元の東福寺に到着。

 まずはいきなり三門。




 はっきり言ってでかすぎる・・・・ 奈良ではありえないレベルである・・・・・

 空を見ると雲が綺麗だ・・・・



 
 さて、となりは仏殿???




 そして経蔵・・・・



 ここから先は有料だ!
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2nd of September, 2006 26 美しき庭

2006-09-28 06:59:44 | 近畿(京都)
 光明院の続きです。
 というか、個人的にいいなあ、と思う庭の写真を3枚選んだのです・・・







 どうさ?
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2nd of September, 2006 25 光明院

2006-09-28 06:54:15 | 近畿(京都)
 ついに光明院に到着です。 東福寺の塔頭の1つで秋には紅葉が非常に美しいらしい。タクシーの運転手さんもまず勧めてくれるのがこの光明院だったりします。

 1391年(明徳2)創建で別名「虹の苔寺」・・・・ 素晴らしい!
 庭は昭和の作庭だが、枯山水の波心[はしん]庭があり、苔と岩が造りだす起伏が波のようで、海をゆく船上にいるような気分になる、といわれる。

 では写真じゃ!



 まず入り口・・・・ 疲労大きいM子師匠の姿が見えますな。

 で入って・・・・ ちょっと写真がぶれてしまいましたが・・・・




 そして、庭を眺めますと・・・・










 庭はどうよ????




 そして帰り際に・・・・

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2nd of September, 2006 24 永明院

2006-09-28 00:23:45 | 近畿(京都)
 空を見ながら東福寺方面に向かう・・・・



 そして、光明院の前に出たが、先に隣の永明院を少し覗いて見た・・・・



 東福寺の塔頭の1つで「ようめいいん」と読むそうだ・・・・


 ここに少し説明がある・・・ 由緒の正しい寺院みたいだ。
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2nd of September, 2006 23 田中神社

2006-09-20 08:32:41 | 近畿(京都)
 伏見稲荷大社 境外摂社の田中神社です。東福寺へ向かう道沿いにあります。





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2nd of September, 2006 22 稲荷山

2006-09-20 08:01:23 | 近畿(京都)
 伏見稲荷大社を出て、弓矢八幡宮を目指したのであるが、この稲荷山というのはけったいなところで、稲荷が山のようにある上に、訳のわからない宗教法人の道場もあり弓矢八幡は道場になっていていけないではないか!!!! なんじゃそれは・・・・・・・・ 不気味なところだったが写真だけ披露・・・















 最後の権太夫の滝・・・
 道標に記す意味なし・・・・
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