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熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2 Feb 2007 14 能面

2007-02-20 00:16:51 | 近畿(京都)
 阪急松尾駅からすこし南にいったところにある
『松楽』さんのお干菓子の能面です。
 しかし、酒饅頭も他とは違い濃厚で美味です。


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2 Feb 2007 13 嵐山④

2007-02-20 00:13:38 | 近畿(京都)
 さて、嵐山峡の写真の続きです。
 京都もこの辺りは風情があってよろしいな。


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2 Feb 2007 12 嵐山③

2007-02-19 03:04:01 | 近畿(京都)
    嵐山峡
  写真を見てくだされ。 これも京都さ。





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2 Feb 2007 11 嵐山②

2007-02-19 02:57:54 | 近畿(京都)
 では、櫟谷・宗像神社です。
 松尾大社の摂社だったとは知らなかった・・・・



 そういうところかは、この看板を参考にしてくだされ。
 流石に薄暗くなってきているのに、フラッシュもつけずにへんちくりんなモードで撮影しているので手振れが!!!! 無念だ・・・・





 まあ、いかがでしょう?
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2 Feb 2007 10 嵐山①

2007-02-19 02:50:10 | 近畿(京都)
 無事に渡月橋の近くで八咫烏一族の末裔の仲間S木師匠と合流した・・・
 というか、次回は大体着く時間をあらかじめ連絡してくだされ・・・
 まさか、そんなに早くに到着して待っていたとは思いもよらぬことだったからね。しかし、土産屋さんで買わされすぎだべ・・・・ 次回は断わるテクニックも駆使してくだされ・・・・

 まあさてさて、到着一枚目の写真。



 ここで、全員、何か欲しいということになり、喫茶店へ・・・・

 S木師匠は不調らしくこのところ何も食べていないということだった・・・
 そして、寒い中・・・・アイスコーヒー・・・ は、アイスですか???
 私はもちろんケーキセットですわ・・・
 I have sweet teeth!

 まあ、ついでに、ここでS木師匠の登場。



 その後、しばらくここに滞在して・・・・
 外に出る・・・・ ちょいと周りの風景。




 ここで、S木師匠は中華そば屋の仕事を思い出し、もうダッシュで仕事へ!
 またな!!!
 ということで、私とM子師匠はこのちっかくの神社へ向かうことになった・・・・
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2 Feb 2007 9 松尾大社⑦

2007-02-16 02:04:25 | 近畿(京都)
 松尾大社の庭園です。

 上古の庭



 曲水の庭





 蓬莱の庭




 さて、松尾大社はここで終了。
 ここで、八咫烏仲間のS木師匠に会うために嵐山に急ぐ・・・・
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2 Feb 2007 8 松尾大社⑥

2007-02-16 01:49:38 | 近畿(京都)
 下山したら日が差しておりましたぞ!



 神々しいですな!!

































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2 Feb 2007 7 松尾大社⑤

2007-02-16 01:05:04 | 近畿(京都)
 では、磐座周辺で記念撮影。



 また、膝の周りに何か写ってますな・・・・・
 ソニーはやはり駄目だ・・・・



 ちなみに、登るときは松尾大社の襷と通行証と杖を持っていかねばいけないのだ・・・・ 決まってますやろ?



 どうさ???

 そして・・・M子師匠・・・・



 是非上半身っも写真に入れてくれ、とオファーがあり撮りなおし・・・・




 で、このあたりで下山開始・・・・


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2 Feb 2007 6 松尾大社④

2007-02-15 23:54:42 | 近畿(京都)
 どうも松尾大社の磐座まで登拝出来るそうなので申し込んですることにした・・・・



 では出発・・・・



 数分登ったら分かれ道で水元に行く道がある・・・・
 師匠が倒れかけていたので一人で行ってきた・・・・ 



 ていうか、水がないんですけど、枯れてますがな・・・・ 
 いいのかそれで????

 さて、その後、どんぐり坂、きのこ谷を越え、一つの中間ポイントの興味深き場所にやってきた。




 私はやっていませんが、是非、訪問してチャレンジするのも面白いやも知れませぬ・・・・
 その後、中磐座なども通り過ぎて行き目的地・・・
 磐座・・・
 というか、変なモードでフラッシュ使っていないのでぶれてるやんか・・・・
 まあ仕方がないな・・・



 これが実は大きな亀であったりする・・・
 だから亀なのだ・・・・

 それはさておき、磐にたくさんの顔が見えますでしょうか???
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2 Feb 2007 5 松尾大社③

2007-02-15 23:31:28 | 近畿(京都)
 さて、次は、松尾さんの釣殿です。
 拝殿みたいなものですかね???

 まあ写真ですけども、釣殿に向かって右側から写真を撮ったときにどうしようとなぜか賽銭箱前に白い靄が入ってしまうのです・・・ 距離を変えても・・・・
 不思議だ・・・・




 肉眼では何も見えないし、この撮影した瞬間は差ほど日光の影響もない状態であったので意味不明・・・・ 知識的な問題なんだろうか・・・・



 ここではなにもありませんがね・・・・

 さらに師匠が拝んでいる最中にちょっとうろついて写真撮影に精を出しておりました・・・ その成果です。

 
 神使の庭だそうだ・・・
 亀と鯉ですわ。



 ここで、M子師匠がお守りとか買いに行ったので私も反対側に移動しました・・・ 相生の松です。



 そして、釣殿をもう一度・・・
 まだ白い靄はうっすらと見える・・・・
 不思議すぎるな・・・
 松尾大社の神様の霊かな?

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2 Feb 2007 4 松尾大社②

2007-02-15 23:19:36 | 近畿(京都)
 昼食も終え、松尾大社の楼門をくぐっていきます。
 個人的には非常に気に入った写真、舞台を正面に納めての図がこちらです。



 やはり、神社は屋根の反り具合がよろしいですなあ。

 次は、手水舎で清めているM子師匠・・・ しかし、水は亀の口から出ているので綺麗のかどうかは・・・



 そして、幸せの亀さんです。撫でてあげると幸せになるようですが、触ったことがありません・・・・



 亀か・・・・
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2 Feb 2007 3 松尾大社①

2007-02-13 02:17:01 | 近畿(京都)
 さてさて、月読さんの次は、京都最古の神社である松尾大社となります。



 これは、JR松尾駅を出たすぐにある一の鳥居です。

 そして・・・参道を進むと、こういうものが・・・・



 日本第一酒造之神

 そうです、松尾大社は酒の神様なんですわ。
 まあ、それはおいておいて、M子師匠が空腹を訴えるために楼門の外側にあるお茶屋さんで食事を頂くことに・・・・

 これは、そのお茶屋さんから撮った蓬莱の庭ですわ。



 そして、食べ終えて、松尾大社に乗り込むことに!

 正面が楼門です。



 非常に立派な門に思いますな・・・・・
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2 Feb 2007 2 月読神社

2007-02-12 12:52:02 | 近畿(京都)
 では、月読さんへ・・・・
 酒の神様 松尾大社の摂社に当たるそうです。以前は違うところにあったらしいが、現在は松尾大社から苔寺、鈴虫寺のほうへ行く道沿いに在られます。

 案内板は色が薄くなり見難くなっていますが、これです。



 京都市も立て札を立てていますが、京都市の指定史跡のようですね。



 では、いざ、神域へ。
 正面ですわ。





 
 実は、3年半ほど前にとある方とここにきた想い出があり、当時土砂降りの中、びしょびしょになり松尾大社から鈴虫寺のほうへといった記憶があります。子の神社は舞台の周りが水溜りというか、池になっていて、歩く場所もなかったくらいでしたねえ。

 この日、2月2日には、M子師匠が仲間に頼まれていたらしいものをいくつか買う予定であったのに宮司さんが不在であったようであきらめることとなりました。

 後日、他の方がそのことを言って、郵送されてきたそうですが・・・・



(おまけ)

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2 Feb 2007 1 松尾

2007-02-09 01:37:33 | 近畿(京都)
 この日は、M子師匠と鞍馬寺に行く予定であったのだが、めでたく私が寝坊をしたためにあまり疲れないであろう松尾大社周辺を旅することにした。
 ということで、堺筋線から阪急に乗り込んでいきました。

 松尾駅から諸事情があり月読神社から行くことにした。
 と、いきなりお菓子屋さんが目に入ったのでいった。
 なかなかおいしいお菓子でした。

 松楽さんです。
 酒饅頭は是非食べるべし。
 酒粕がこれでもかというくらいに練られており、普通の酒饅頭よりも遥に濃厚。

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3 Sep 2006  京都7

2006-12-17 14:07:58 | 近畿(京都)
<<ルート>>

1.熊野神社 ⇒ 2.御辰稲荷神社 ⇒ 3.須賀神社 ⇒ 4.聖護院

⇒ 5.岡崎神社 ⇒ 6.尊良親王墓 ⇒ 7.金地院 ⇒ 8.南禅寺
 
⇒ 9.熊野若王子神社 ⇒ 10.大豊神社 ⇒ 11.冷泉天皇陵

⇒ 12.法然院 ⇒ 13.慈照寺 ⇒ 14.吉田神社 ⇒ 15.宗忠神社

⇒ 16.陽成天皇陵 ⇒ 17.下鴨神社(賀茂御祖神社)

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 岡崎神社からみなみのほうへ行くとちょっとした住宅街があるがその一角に
 後醍醐天皇の皇子の一人である尊良親王のお墓がある。「尊」の字を与えられている親王なので、後醍醐天皇のお気に入りであったのかもしれない。




 「ウィキペディア」による親王の説明を引用。

尊良親王(たかよししんのう/たかながしんのう、1310年(延慶3年)?-1337年4月7日(延元2年/建武4年3月6日))は、後醍醐天皇の皇子。母は二条為世の娘・為子。宗良親王の同母兄。名前の読みが二種類あることについては、後醍醐天皇の皇子の読みを参照。

幼少時は吉田定房に養育された。1326年に元服し、中務卿に任じられた。1331年1月には一品に叙任されたことから、一品中務卿親王と称された。元弘の乱では父と共に笠置山に赴いたが、敗れて父と共に幕府軍に捕らえられ、土佐国に流された。しかし脱出して翌年には九州に移り、その後、京都に帰還した。1335年、足利尊氏が後醍醐天皇に反逆すると、上将軍として新田義貞と共に討伐軍を率いたが、敗退した。翌年、九州に落ちた尊氏が力を盛り返して上洛してくると、義貞と共に北陸に逃れた。しかし1337年3月6日、尊良親王が拠った越前国金ヶ崎城に足利軍が攻めて来る。尊良親王は義貞の子・新田義顕と共に懸命に防戦したが、敵軍の兵糧攻めにあって遂に力尽き、3月6日に義顕や他の将兵と共に自殺した。

自殺の寸前、義顕は尊良親王に落ち延びることを勧めたが、尊良親王は同胞たちを見捨てて逃げることはできないと述べて拒絶したという。

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 最期の時、親王は、新田義顕に「切腹の作法を教えよ」といい、彼は、一文字で腹を切り手本を見せ、親王も同様に一文字に腹をお切りになられて最期を迎えたという。
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