“平和”のために始める66歳からのブログ

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NHK会長人事が迷走

2011年01月12日 11時57分50秒 | これで良いのか!
久し振りに「会長人事」でNHK関連の記事が出たが、これまたお粗末極まりないもので気が重くなっている。
この迷走劇どうせまた体たらくの結末になるだろうから、取り上げるのも馬鹿らしい。
しかし折角の機会だから,ここではNHK広報室の大先輩小野善邦さんの著した「異色NHK会長“シマゲジ”」
の中に出て来る、島元会長の言う「歴代随一の名会長」について触れてみる。
 その会長は戦後新生NHKの初代会長であった高野岩三郎氏である。
高野氏は東大経済学部の生みの親で、当時は労働運動にも深い理解を示した著名な経済学者、進歩的な文化人の
長老だったと言う。小野さんに言わせれば「二人は思想的に相反するように見えたが、島会長は何故か高野氏を大変評価し尊敬していたと書いている。高野氏は革新政党・団体の協力を目指す「民主人民戦線」の世話人の一人であり主権在民を唱え天皇制廃止が持論だったと言う。この高野氏のNHK会長就任で、当時の国民の多くが時代の“転換”を実感したといわれる。
 小野さんの本では、その高野会長の就任あいさつ(1946年4月30日)の中で述べている話を紹介している。
まず、NHKの使命やあり方について「ラジオ(当時はテレビはなかった)を通ずる新日本建設の事業は、民主日本の建設である以上、放送の対象は広範な国民大衆であり、勤労大衆がその中核である。従って、ラジオ(NHK)はこの大衆とともに歩み、この大衆のために奉仕せねばならない。太平洋戦争中のように、専ら国家権力に駆使され、所謂国家目的のために利用される事は厳にこれを慎み、権力に屈せずひたすら大衆のために奉仕すべきである。また、指導者顔をして、大衆と遠くかけ離れ、遥か彼方から大衆に号令し、大衆に強制し、大衆にラジオを嫌悪する感情を抱かせてはならない。飽くまで、大衆と歩むことの心がけが肝要である。しかし、大衆と共に歩むことは、決して大衆に媚び、大衆に盲従することであってはならない。ラジオの真の大衆性とは、大衆と共に歩み、大衆と共に手を取り合いつつ、大衆に一歩先んじて歩むことである。広汎な国民大衆と共にあるためには、一党一派に偏せず、徹頭徹尾不偏不党の態度を堅く守る事の必要は申すまでも無い。ラジオとしては、民主主義的であり、進歩的であり、大衆的である以外には、何ら特定の政治意見を固執してはならない」と述べ,職員に対しては次の様に要望している。
「ラジオは・・・衆人環視の中で日夜活動しているが、ここに職を奉ずる諸君はこの極めて重大な責任をはっきりと認識し、各人の凡ゆる創意工夫を発揮し、積極果敢に万全の施策を講ぜられん事を切望してやまない」と言っている。
正に、今日でも全く通ずる「大衆・視聴者重視」「不偏不党、特定の政治圧力に屈しない」「職員の責任の自覚、創意工夫」の姿勢が明確に打ち出されている。
 この時高野氏は76歳だったと言うから二重に驚かされる。
この後、この高野会長はゼネストの嵐にもまれ、放送の国家管理と言う戦時中にも無かった異常事態を経験しながら、GHQの方針が次第に右旋回する中でも終始変わらぬ基本理念を主張し悪戦苦闘したと言う。
そして、会長在任期間3年、志半ばで現役のまま無念の死をとげたと言う。
大変長文になってしまったが、相変わらず馬鹿みたいな争いや駆け引きをしているNHK経営委員会のメンバーを始めNHKで働くすべての人々が、改めてこの会長の言葉をしっかり読んで欲しいのだが・・・。 やっぱり無理か!

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