“平和”のために始める66歳からのブログ

年寄りだからと言ってこのまま黙って見過ごしていて良いのか?66歳の男が過去を振り返り今を考えるブログに挑戦!

留おばさんのお葬式

2010年02月11日 17時06分08秒 | 行動日記
愛知県東三河の豊橋で一番寒い日は、国の重要無形民族文化財「豊橋鬼まつり」の日だという言い伝え通り、今日は今にもみぞれになりそうな冷たい雨の降る日だった。
そんな寒い日の今日、日曜日の早朝亡くなった留おばさんのお葬式が執り行われた。
「こんな時しかなかなか会えないね」と言ってくれる、親戚や昔お世話になった人たちと、故人を偲んでしばし懐かしい昔話に花が咲いた。
その中で「最後の最後におばあちゃんには、してやられた!」と家族のみんなが話した内容を聞いて「流石に“善行”の人、留おばさんらしい死に方!」と思わず拍手を送りたくなった。叔母は、8年前ご主人に先立たれた時から「自分はどこで倒れても、最後の3日間だけは自宅に居たい。神式葬儀だが、神主は、旦那の葬儀を執り行ってくれたのと同じ神主さんに一人だけでやって貰いたい(大人数ではしない)出棺の時は、江利チエミの「テネシーワルツ」をかけて欲しい」などと言っていたという。
今回、昨日が「友引」だった絡みで3日間葬儀ができず、その間死んだ病院から懐かしい自宅に帰り、子どもや孫に囲まれ三日三晩過ごし、子どもたちが探し当てた高齢のその神主さんに無理を言ってお願いしたところ、今日は祭事が多く他の神主さんは居ないが私一人でよろしければと引き受けてくれた。
私ごとで言えば、明日から岡山出張で、来週はバンコク行きが決まっている私も含め「今日が祝日だったからなんとか出席出来た」と言う親類すじも多かった。何よりも、あの「テネシーワルツ」が流れ「故人のご希望で…」と紹介された時、身近かな人たちも「叔母さんにあんな趣味が有ったとは…」とみんな驚いていた。
生前に「善行」し、良く生きれば、最後の最後にこんなにも見事な「我が儘」を通して貰えるものかと、改めて己の生き方を指し示されたおもいである。

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