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石巻~多賀城の避難所にて

2011-04-08 19:50:24 | shienkatsudou



とあるきっかけで
4/4(月)に石巻方面に行ってまいりました



救援物資は「アウトドア義援隊」「尾花沢市商工会青年部」に譲っていただきました
※主な内容‥食料、衣類(新品・古着)、おもちゃ、ハンガー、ポリタンク、アウトドア用品



朝6時に準備を始め7時に出発

途中クルマの混雑もありましたが10時前には市内に到着

大崎方面から来て「石巻工業高校」辺りから周囲の景色も変わり始め
あちこちに津波の爪あとが。。。。


ここら辺は電気供給も安定してないのか、店内の灯は点いてましたが信号は消えたまま。。


さらに旧北上川を越えると。。。
電柱は斜めになりクルマは折り重なるように。。。




僕らの当初の目的地はこの付近
まだライフラインの復旧していない石巻市不動町【明友館】

しかし、時間の経過とともに避難所の様子も変わり『食料、衣類は足りてきた』とのことでしたので
もう少し足を伸ばしてみることにしました。



トンネルを越えたとき、言葉は出てこなくなりました


火災の痕もあちらこちらに。。。。 


『本当にここは日本なのだろうか』


そんな思いがアタマを過ぎります




近くの方に情報を聞き【渡波小学校】へ

こちらには先週末にベガルタ仙台と大宮アルディージャのファン・サポーターの皆様からの救援物資が届いたばかりらしく、物資的には心配ないとのお話でした。


ここで話を聞いてるうちに

乗ってきた車の周りには人だかりが。。。


「おもちゃが欲しい」「下着とかない?」「子ども服ありません?」

などの声があったので、僕らは持ってきた物資を広げました


どうやら自宅避難されてる方々のようです


避難所に物資があっても、各家庭にあるとは限りません。。。



「友だちの分も貰っていい??」



どうぞ、遠慮なく持っていって!!

君たちの物なのだから!!




みんなで一緒に遊んでね。。。





※京都から「絵本」を運んでくれてたピンクの軽トラもありました


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主に感じた必要物資は「女性用下着」ですね

(「男性用下着」「子ども用 肌着・靴下」などの声は少し聞こえました)


あとは「乾電池各種」(←ライフラインが復旧してない箇所も多いです)


(クルマが無くなったので)買い物に行くための「自転車」


「ボールペン」や「メモ紙」も喜ばれましたね


洗濯ができる地域では「ハンガー」も重宝されました
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一区切りついた後、牡鹿半島へ
(こちらにも自衛隊が作業に入ってます)


【桃浦】地区は壊滅状態


【大原小】には小さい子どもが避難してないとのことでポリタンクを

【鮎川小】にもポリタンクと、おもちゃを少し



高台の避難所【瑞幸】でも物資を分け




その後向かった【湊中】


この辺りは本当に酷くて、写真なんて撮ることもできませんでした。。。
(今まで見た風景より強烈で。。。)



『本当に復興なんてできるのだろうか』


『現状でできることなんて何もないんじゃないか。。。』




と感じるほど。。






その後【湊小】を通過し、【石巻市役所】へと

※途中の中州にある【石森漫画館


街中には大きな船も。。。


結局、付近で避難所は見つけられずに【住吉中】に行ってみることに

※途中で自衛隊の中に「須藤元気」さんを見かけました



職員さんに近所の避難所の様子を聞いてみると

「この付近の子どもたちは自宅に戻ってますね」


とのことでしたので、子どもたちが多いと教えていただいた【鳴瀬一中】を目指すことに


※定川の向こう。。
                     まだ水が引いてません



途中で【東松島市商工会館】にて「おもちゃ」を渡す
※どうやらこの辺は「弁当」が支給されるそうで「米」は不要のようだ




市役所鳴瀬庁舎脇の【市民センター】に「園服」を聞いてみると
【鳴瀬幼稚園】さんを紹介していただいた。



そこでで、また「おもちゃ」を配る


話を聞くと、川向こうにも保育所はあるが壊滅状態で今年は園を開かないそうだ。

あの【野蒜地区】のことだ。。。。



職員さんに多賀城市内の幼稚園さんを紹介していただき、時間もなかったのでクルマですぐに移動


※多賀城市内
 (あまり海岸のイメージはなかったのだが、正直、かなりヒドイ)


紹介していただいた園に到着すると。。。



涙が出そうになった





津波の影響で園は開いておらず、玄関にあった届け場所に
園長先生の了承を得て、全部の「おもちゃ」を置いてきた。



早く子どもたちが元気に集まり遊べることを願って



帰路の途中、さらに海岸線を走る


何もないんです  

私はこの道を通るのが初めてだったのですが
聞くと「防風林なんて見えなかった」そうです。



田んぼだと思っていた景色は、住宅地だったのです。。。


つまり



見渡せる範囲すべてに津波の爪痕が。。。。






閖上大橋が通行止めのため西に向かい
物資の配分を行ってくれるそうなので【七郷中】に「新品衣類」を置いてきました ※古着類は受け取っていないそうです




どこまで本当に必要な物資が届けれたのか全く分かりません


「店舗が営業しても、クルマがないので買いに行くこともできない」


なかには、その「声」すら聞き取れない方々もいらっしゃると思います



少しでも早く安心が生活ができるよう祈ってます


※笑顔で話かけてくれた子どもの顔が忘れられません



ご支援くださった皆様、携わっていただいた皆さん

ありがとう!!



今後も、一過性でなく長期的な支援が必要です

隣県に住むものとして、これからもデキルことはヤッテイキマス!!








※快く物資を提供してくださった
 mont-bell「アウトドア義援隊」のイチハシさん

 忙しいにも関わらず、いろいろと親切に教えてくださった
 新潟「CORE CREW(コアクルー)」のコヤマさん




 ありがとうございました。