blogを紹介させていただきます
【2011年3月21日の日記より転載】
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先日、NPO法人国境なき奉仕団 チーム山形という団体と一緒に、シェフ1001と店長で宮城県石巻にある、避難所に行って来た。
(中略)
早朝山形を出発。
高速が通れず仙台迄国道を通り向かう。
途中から高速にのり石巻に入る。
高速を降りてしばらくは
それほど、目に見える被害を感じられない。。。
不謹慎ではあるが、この程度のものなのか?
頭をそんな印象がよぎった。
海沿いの街を横切るように流れる川(水が溢れそうに溜まっていた)
を渡り、その交差点を過ぎた時
景色が一変した!
路上に横たわるおよそ動きそうもない沢山の車。
がれきの山。
マスクをした住民。
9日目ともなると、主要な道路の瓦礫は撤去され
車の往来もかなりある。
自衛隊よりも一般車のほうが多い。
原型をとどめているお店や、
オープンしているお店は皆無に見えた。
その街に入っすぐの所に目的の小学校はあった。
およそ500人が避難している小学校。
到着して、まず感じた印象。
汚泥、ヘドロ。
とにかく至る所が泥にまみれている。
ヘドロ特有の臭いが周囲を覆っている。
一階は全て泥にまみれている。
そこで避難している住民と対面した。
ありがとう。と言われる言葉にも力は無い。
この場所は避難所の中でも厳しい状況下にあるという。
とにかく、疲れ切っている。
第一印象は、その一言。
そこにいるほとんどの人が10日近く、風呂にも入れず。
昨日始めて米を食べれたという状況。
体が動く人は、自宅を捜索したり
学校の清掃を行っている様子だった。
水道、ガス、電気は未だ復旧していない。
泥だらけになった体や粉塵も洗う事が出来ない。
髪の毛はべたべたになり、髭も伸びたままだ。
この汚泥が多きなストレスになっている
と感じた。
雨が降ればまたどろどろに、晴天の日は乾いた泥が粉塵と化し辺りを舞う。
そんな中での避難生活。
トイレはかろうじて校舎の汚水槽が満タンになっておらず、
校内のトイレを使用する事が出来る。
ただし、大便は段ボール箱にしいた新聞にする。
それを、まとめて捨てている。
仮設トイレも設置されているが
男1台。女1台。
仮に、校舎が使用不能になった場合。
1日さえもつわけが無い。
トイレ一つとっても先行きの見えない不安が頭をよぎる。
とにかく、この小学校に避難している住民は
極限状態で10日近く生活している。
疲れている。疲れている。。。。
当たり前の事ではあるが、とにかくその一言だ。
もちろん、現地を仕切ってくれている人もいる。
心無しか、力が無い。
にもかかわらず、、、
疲れているのに、物資の采配や僕らに対しての丁寧な対応。
ありがとうございました。
あなたの様な人がいてくれるから、
大きなトラブルも無く生活が出来ているはずです。
月並みの事しか言えませんが。。。
頑張って下さい!!!!!
子供達も100人とは言えない迄も沢山遭う事が出来た。
出会えた多くの子供は心無しか笑顔で
教室からも時折じゃれ合う笑い声が聞こえてきた。
もちろん中には心に大きな傷を負った子供も沢山いるはずです。
でも、これからのこの場所を作る子供達に
少しでも笑顔を見れた事は救いでした。
ココアを熱そうに何度もお変わりする男の子が居た。
あったかいご飯を家にいる姉に食べさせたくて。。と
おばちゃんが炊き出しに来た。
家迄持って行くよ!と皆が言った。
しかし、あるいて1時間はかかるらしい。。
持って行く事を断念し、開いている発泡に
コンパクトに芋煮とご飯を詰めた。
アーでもないコーでもないと梱包していると
おばちゃんが涙を流した。
本当にありがとう。
涙ながらにおばちゃんが言った。
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以下、こちらをどうぞ→ 蔵王音茶屋店長日記
「長文。読んでください!被災地に行って来ました。」
ここ尾花沢でも「今できること」を考え、行動しようとしているスタッフが居ます。
一人一人で出来ることは小さいかもしれませんが
みんなが手を携えあえば、きっと大きなチカラになると思います。
ソノチカラがまた別のチカラとなり、きっと小さな手に届くはずです。
皆さんの「できること」を貸してください。
※音茶屋の店長さんは記事をこう結んでいます
「想像する事をヤメないで下さい。
いい事も、悪い事も。
それをヤメてしまったら、この状況は変わりません。
思いを馳せる、巡らせる事。
絶対に解らないと知っていても。
被害にあった人の気持ちを考える事。
それが、思い、やりだと今は思います。」
【2011年3月21日の日記より転載】
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先日、NPO法人国境なき奉仕団 チーム山形という団体と一緒に、シェフ1001と店長で宮城県石巻にある、避難所に行って来た。
(中略)
早朝山形を出発。
高速が通れず仙台迄国道を通り向かう。
途中から高速にのり石巻に入る。
高速を降りてしばらくは
それほど、目に見える被害を感じられない。。。
不謹慎ではあるが、この程度のものなのか?
頭をそんな印象がよぎった。
海沿いの街を横切るように流れる川(水が溢れそうに溜まっていた)
を渡り、その交差点を過ぎた時
景色が一変した!
路上に横たわるおよそ動きそうもない沢山の車。
がれきの山。
マスクをした住民。
9日目ともなると、主要な道路の瓦礫は撤去され
車の往来もかなりある。
自衛隊よりも一般車のほうが多い。
原型をとどめているお店や、
オープンしているお店は皆無に見えた。
その街に入っすぐの所に目的の小学校はあった。
およそ500人が避難している小学校。
到着して、まず感じた印象。
汚泥、ヘドロ。
とにかく至る所が泥にまみれている。
ヘドロ特有の臭いが周囲を覆っている。
一階は全て泥にまみれている。
そこで避難している住民と対面した。
ありがとう。と言われる言葉にも力は無い。
この場所は避難所の中でも厳しい状況下にあるという。
とにかく、疲れ切っている。
第一印象は、その一言。
そこにいるほとんどの人が10日近く、風呂にも入れず。
昨日始めて米を食べれたという状況。
体が動く人は、自宅を捜索したり
学校の清掃を行っている様子だった。
水道、ガス、電気は未だ復旧していない。
泥だらけになった体や粉塵も洗う事が出来ない。
髪の毛はべたべたになり、髭も伸びたままだ。
この汚泥が多きなストレスになっている
と感じた。
雨が降ればまたどろどろに、晴天の日は乾いた泥が粉塵と化し辺りを舞う。
そんな中での避難生活。
トイレはかろうじて校舎の汚水槽が満タンになっておらず、
校内のトイレを使用する事が出来る。
ただし、大便は段ボール箱にしいた新聞にする。
それを、まとめて捨てている。
仮設トイレも設置されているが
男1台。女1台。
仮に、校舎が使用不能になった場合。
1日さえもつわけが無い。
トイレ一つとっても先行きの見えない不安が頭をよぎる。
とにかく、この小学校に避難している住民は
極限状態で10日近く生活している。
疲れている。疲れている。。。。
当たり前の事ではあるが、とにかくその一言だ。
もちろん、現地を仕切ってくれている人もいる。
心無しか、力が無い。
にもかかわらず、、、
疲れているのに、物資の采配や僕らに対しての丁寧な対応。
ありがとうございました。
あなたの様な人がいてくれるから、
大きなトラブルも無く生活が出来ているはずです。
月並みの事しか言えませんが。。。
頑張って下さい!!!!!
子供達も100人とは言えない迄も沢山遭う事が出来た。
出会えた多くの子供は心無しか笑顔で
教室からも時折じゃれ合う笑い声が聞こえてきた。
もちろん中には心に大きな傷を負った子供も沢山いるはずです。
でも、これからのこの場所を作る子供達に
少しでも笑顔を見れた事は救いでした。
ココアを熱そうに何度もお変わりする男の子が居た。
あったかいご飯を家にいる姉に食べさせたくて。。と
おばちゃんが炊き出しに来た。
家迄持って行くよ!と皆が言った。
しかし、あるいて1時間はかかるらしい。。
持って行く事を断念し、開いている発泡に
コンパクトに芋煮とご飯を詰めた。
アーでもないコーでもないと梱包していると
おばちゃんが涙を流した。
本当にありがとう。
涙ながらにおばちゃんが言った。
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以下、こちらをどうぞ→ 蔵王音茶屋店長日記
「長文。読んでください!被災地に行って来ました。」
ここ尾花沢でも「今できること」を考え、行動しようとしているスタッフが居ます。
一人一人で出来ることは小さいかもしれませんが
みんなが手を携えあえば、きっと大きなチカラになると思います。
ソノチカラがまた別のチカラとなり、きっと小さな手に届くはずです。
皆さんの「できること」を貸してください。
※音茶屋の店長さんは記事をこう結んでいます
「想像する事をヤメないで下さい。
いい事も、悪い事も。
それをヤメてしまったら、この状況は変わりません。
思いを馳せる、巡らせる事。
絶対に解らないと知っていても。
被害にあった人の気持ちを考える事。
それが、思い、やりだと今は思います。」