油屋種吉の独り言

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誤解。  (3)

2023-09-05 22:54:57 | 小説
 S子は三十路、それももう少しで越える。
 口が達者で、要注意人物だそうだ。
 彼女の問いかけには、無視が一番、さもな
いと自分の返答次第で、あらぬ噂が組合内に
広がってしまう。
 Mはそう心得ていて、尻や太もも、したた
かに打ったところが痛むのを、歯を食いしばっ
てこらえた。
 なんとか立ち上がり、両手でズボンのすそ
をパタパタとはらった。
 「ねえねえ、課長」
 またもやS子が二の口を放つ。
 少しばかり開いた西側のドアから、S子が
ほっそりした顔をのぞかせているのである。
 それも、内緒話をするような、ひぞひそ声
でだ。
 (まずい、まったくまずい。こんなところ
を誰かに見られたら……)
 Mは足を引きずってでも歩いて、裏手から、
ビルの反対側にあるドアにおもむき、何ごと
もなかったように部署に戻ろうとした。
 S子のほうに視線を向けることなしに、傷
む左足を引きずって、でもと思う。
 Mはよたよたと歩きだした。
 「ちょっとちょっと、まじめなお話がある
んです。今晩仕事を終えたら、最寄りのK駅
のひとつ手前、R駅の駐車場に行きます。す
みませんが、あなたもご足労でも来ていただ
けないでしょうか」
 S子がドア越しに、必死の面持ちでMに話
しかける。
 その姿を、M課長同様、外の空気を吸おう
と一階の部署から出てきたB常務に発見され
てしまった。
 それを、S子より先にMが気づいた。
 S子のすぐ後ろに、B常務の姿があった。
 「あっB常務、休み時間だったもので、新
鮮な空気でも吸おうと外に出ようとしたら、
階段ですべってしまってこのざまです。お恥
ずかしいかぎりで」
 Mは無理に笑顔をつくり、S子の背後にい
るB常務に、じぶんの体を向けた。
 S子は、ええっと声を出して驚き、顔が蒼
白になった。
 「あっ、常務。すみません。お先にお先に
し、失礼します」
 と言いつつ、背後にいるBの体をなんとか
してすりぬけ、部署に戻ろうした。
 「おうっ忙しいな。お昼までもう少しだ。
なんとか、がんばってくれ」
 「あっ、はい、わかりました」
 (しょうがないわ。どうなってるの。まっ
いいか、なるようになる)
 S子は顔を赤らめ、急いで居住まいを正す
と一階の自分の部署に通じるドアを開けた。
 とたんに大きな音が中から飛び出した。
 鳴り響く電話の呼び出し音、人の声、それ
に硬質の材料でつくられた床の上を、歩き回
る人々の革靴やヒールの音。
 S子には、常務が、Mと自分の関係を、どん
なふうにとらえたか、なんて考えている余裕
もなかった。
 あえて裏手にまわろうとするMを、B常務が
引き留める。
 「おいおい、きみきみ。いくらおれがここ
におるからって、わざわざ遠回りして東側の
ドアから中に入るってこたあ、ないだろ。脚
や腰をしたたかぶったんだろ?早くここから
中に入ってシップでもしてもらったらいいだ
ろが」
 「はい、じゃあ、そうします」
 Mはすんなり、B常務の言うことを聞いた。 
 (それにしても、S子は、どうしておれに
隣町にある駅まで来てくれってなんてことを
言うんだろ。なるほど、中年づらして未だに
よめさんがいないしな、それになんだってい
うんだろ?S子に特別、ああだのこうだの愛
の告白めいたこと言った覚えがなかったんだ
けどな……、これは困ったぞ)
 M課長、その日は終日、夕刻に彼女が指定
したところに行くべきかどうか、机に突っ伏
して思案に暮れた。
 

 
 
 
  
 
 
 
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1 コメント

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Unknown (sunnylake279)
2023-09-06 09:35:34
おはようございます。 
Mはとても慎重なタイプなのかなと思いました。
S子がMに何を言いたいのかわからないので、気になります。
B常務は、わりとおおらかな人だと思いました。
Mは、約束の場所に行くような気がします。
いつもありがとうございます。

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