ここ連日、体温を超す気温がつづく。
奈良や京都も盆地であったから、昔から
けっこう暑かった。
手もとに一冊のアルバムがある。
表紙は深緑色。
らせん状の金属で、アルバムの何枚もの
分厚い紙が支えられている。
左上にさくらの花をかたどったM小学校
の紀章があるから、きっと卒業式の際にい
ただいたものであろう。
たたずんだままで、それをパラパラめく
りだすと、青っぽい封筒が一枚、はらりと
畳の上に落ちた。
以前にも、その中身を観たおぼえがある
が、もうしばらく前のことで、何だったか
思い出せない。
調べると、自分の履歴のごとき、幼児期
から少年期にかけての三枚の写真が入って
いた。
そのうちの一枚を観て、あっと思った。
それほど驚くにはあたらないのだが、何
しろ、およそ七十年以上も前に撮られたも
のである。
幼子がふたり、砂利道でできた四つ角で、
カメラに向かい顔を向けている。
女の子なら、きれいに撮ってもらおうと
品を作るのだろうが、双方とも男である。
思い思いの感情やら考えが入り交じって
彼らの表情を形づくっていた。
当時いくら暑くても、気温が三十二度く
らいだった。
ひとりはじっとすわったまま。
つい先ごろ、坊ちゃんふうに調髪された
らしく、広いおでこにじっとり汗がにじん
でいる。
上半身は裸だ。
ようやくへそを隠すようにはいた半ズボ
ンの裾から、白い下着がはみでている。
ふたりともせっかく写真におさまるのに、
にこりともせず、ただただ、言われるまま、
前を向いてる風情だ。
もうひとり黄ばんでしまったらしいちゃ
んちゃんこを着ている。
シャッターが切られる瞬間に何か興味を
おぼえるものを見つけたのだろう。
さっとわきを向いてしまった。
その四つ角に、T商店があった。
軒先の旗がひらひら、風に吹かれている。
よく観ると「氷」と書かれていた。
長椅子にすわった、大人の左足だけが写っ
ている。
「すぐ済むからちょっとだけ、じっとして
るんやで」
とでも言われたのだろうが、相手が幼子で
ある。
そんな言葉は逆向きに働いてしまい、思わ
ず、どこかに遊びに行きたくなってしまった
のだろう。
昭和の二十年代の末ごろに、撮られたもの
と思われる。
当時、写真機をお持ちの方など少なかった。
おそらく、うちの家主さん宅の大学生にお
なりのおぼっちゃんに撮っていただいたのだ
ろう。
時代が大幅にすすんで、現代。
令和の時代に入ったばかりの時期だった。
「どっちが今のおれさまだと思う?」
いつぞや、かみさんに訊ねた。
「こっちでしょ?」
かみさんの推理は当たらなかった。
(おらはこっちの子だよ。……と思うんだけ
どなあ)
他人を観るごとき眼で、おのれの幼い頃の
姿を観ている自分がいるのに気づいて、驚い
てしまう。
自分だって、よく判らない。
おそらくどなたに訊ねても、間違ってしま
われるに違いない。
七十年の歳月の永さは、それほどに深くて
広い。
奈良や京都も盆地であったから、昔から
けっこう暑かった。
手もとに一冊のアルバムがある。
表紙は深緑色。
らせん状の金属で、アルバムの何枚もの
分厚い紙が支えられている。
左上にさくらの花をかたどったM小学校
の紀章があるから、きっと卒業式の際にい
ただいたものであろう。
たたずんだままで、それをパラパラめく
りだすと、青っぽい封筒が一枚、はらりと
畳の上に落ちた。
以前にも、その中身を観たおぼえがある
が、もうしばらく前のことで、何だったか
思い出せない。
調べると、自分の履歴のごとき、幼児期
から少年期にかけての三枚の写真が入って
いた。
そのうちの一枚を観て、あっと思った。
それほど驚くにはあたらないのだが、何
しろ、およそ七十年以上も前に撮られたも
のである。
幼子がふたり、砂利道でできた四つ角で、
カメラに向かい顔を向けている。
女の子なら、きれいに撮ってもらおうと
品を作るのだろうが、双方とも男である。
思い思いの感情やら考えが入り交じって
彼らの表情を形づくっていた。
当時いくら暑くても、気温が三十二度く
らいだった。
ひとりはじっとすわったまま。
つい先ごろ、坊ちゃんふうに調髪された
らしく、広いおでこにじっとり汗がにじん
でいる。
上半身は裸だ。
ようやくへそを隠すようにはいた半ズボ
ンの裾から、白い下着がはみでている。
ふたりともせっかく写真におさまるのに、
にこりともせず、ただただ、言われるまま、
前を向いてる風情だ。
もうひとり黄ばんでしまったらしいちゃ
んちゃんこを着ている。
シャッターが切られる瞬間に何か興味を
おぼえるものを見つけたのだろう。
さっとわきを向いてしまった。
その四つ角に、T商店があった。
軒先の旗がひらひら、風に吹かれている。
よく観ると「氷」と書かれていた。
長椅子にすわった、大人の左足だけが写っ
ている。
「すぐ済むからちょっとだけ、じっとして
るんやで」
とでも言われたのだろうが、相手が幼子で
ある。
そんな言葉は逆向きに働いてしまい、思わ
ず、どこかに遊びに行きたくなってしまった
のだろう。
昭和の二十年代の末ごろに、撮られたもの
と思われる。
当時、写真機をお持ちの方など少なかった。
おそらく、うちの家主さん宅の大学生にお
なりのおぼっちゃんに撮っていただいたのだ
ろう。
時代が大幅にすすんで、現代。
令和の時代に入ったばかりの時期だった。
「どっちが今のおれさまだと思う?」
いつぞや、かみさんに訊ねた。
「こっちでしょ?」
かみさんの推理は当たらなかった。
(おらはこっちの子だよ。……と思うんだけ
どなあ)
他人を観るごとき眼で、おのれの幼い頃の
姿を観ている自分がいるのに気づいて、驚い
てしまう。
自分だって、よく判らない。
おそらくどなたに訊ねても、間違ってしま
われるに違いない。
七十年の歳月の永さは、それほどに深くて
広い。