油屋種吉の独り言

オリジナルの小説や随筆をのせます。

寒さも世の中も、そしてわが作品も。

2020-02-10 11:45:45 | 随筆
 わが町にもようやく本格的な冬将軍が来た
らしい。
朝早く散歩すると、五六センチもある霜柱を
見つけたりする。
 最低気温がマイナス五、六度にもなる。
 しばれる、という言葉を聞いたことがある
が、まさにその通り。
 東は春日山、西は生駒山、北はなだらかな
平城の山々、南は奥ふかい吉野の山々。
 四方を山に囲まれた大和盆地もけっこう寒
いが、こことは緯度がちがった。
 比較的、温暖である。
 そんな土地で生まれ育ったわたしなど、こ
こに慣れるまで困った。
 初めのころは、日光連山を眺望できるとこ
ろにいたから、山おろしが吹いた。
 「また風邪をひいたのか」
 かかりつけのお医者さまに、気の毒そうな
顔で言われたことがある。
 寒さがきびしいわりに雪があまりふらない。
 夜は青天井だから、地面の熱が大空に拡散
してしまう。
 キラリと光る星々を、手に取るように見る
幸運に恵まれる。
 どてらを着こんで、よし行くぞ、と自分自
身に声をかけ、玄関をでる。
 これが北斗七星、あれがさそり座とやる。
 しかし、長くとどまることはできない。
 空気までもが凍りつくような、冬の楽しみ
のひとつである。
 
 墓地が近い。
 昼間そこに入りこみ、あちこち歩きまわる。
 風が強く吹くときは、卒塔婆がカタカタ鳴
りひびく。
 今、執筆中の「苔むす墓石」
 実は、苦戦している。
 宇一をどのようにして、平安の世に送りと
どけるか。
 その表し方がむずかしい。
 先ごろお亡くなりになった高橋たか子さん
の随筆を、折に触れ、読んでいる。
 泉鏡花賞を受賞された著名な小説家。
 昔、若者に人気のあった高橋和己さんの夫
人だった。
 彼女のおっしゃることが、たびたびわたし
を感動させる。
 「記憶の冥さ」・幻想的なもの。
 その中で、高橋さんはこう言われている。
 「幻想的なものは境目に成立するのだが、境
目とは、正確にいえば、夢と現実との境目、非
現実と現実との境目、非合理と合理との境目
ということである。夢自体、非現実自体、非
合理自体は、幻想的なものではない。
 夢でみたことを長々と描いても幻想小説に
はならないし、現実にはありえないユートピ
ア国らしきものだけをいくら描写しても、幻
想小説にはならないし、亡霊の出てくる話を
すべては亡霊のせいなのだという見地から作っ
てみても、幻想小説にはならない。
 境目ということは二義性ということである。
 ふたつの世界にまたがっているということ
である。どちらの世界にも通じているという
ことである。夢とか非現実とか非合理とかの
世界が、現実とか理性的秩序とか合理とかの
世界と、重なり合っている領域、その双方が
たがいに交渉し合っている、曖昧な領域、そ
こに幻想的なものの場があるのだ」
 引用が長くなってしまった。
 だが、もうひと言、彼女の言葉を聞いてみ
よう。
 「幻想小説とは、いいかえれば、安心でき
ないものを呼びさます小説である。この安心
できないものとは、人間のなかの、理性の枠
のむこうにある膨大な真実に関係があること
らしいのである」
 わたしの描くものは、みな習作と呼んでい
いものばかりです。
 でも、いつか彼女が描こうとされた、幻想
小説のような物語を生み出したい。
 そう思っています。
 新型コロナウイルスによって、人類が苦し
められている。
 あまりに小さく、正体が正確にとらえられ
ない新手の敵だ。
 早く、治療可能なクスリが欲しい。
 そのウイルスが何に弱いのか、少しでも早
く知りたいものである。
 理性の枠のむこうにある広大無辺な領域。
 それを無意識界と呼んでもいい。
 例えれば、大海原の中で小石をひろうよう
なものかもしれない。
 その世界を、さぐりさぐりしてでも、必ず
発見したいもの。
 敵はてごわく、この闘いは、戦争のような
ものだが、人類の英知を結集しましょう。
 ともあれ、お話のなかで、いつ墓地が出て
くるか。
 楽しみにしていてください。
 今、自分ができる最大限の力。
 それを、今、ふりしぼりふりしぼり、描い
ているところです。
 

  

 
コメント
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