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【写真:ポンテオ・ピラトスの石碑】カイザリアにて
「皮なめしシモンの家」と「ヤッフォ展望台」のヨッパから、約40キロ北上して古代カイザリアの遺跡に向かい、揺れるバスの中で倉田さんのガイドに耳を傾けます。
「・・・紀元前3世紀ごろ、ここはフェニキア人の小さな町でした。それをヘロデ大王が、紀元前22年から12年かけて壮大な港町に改築し、ローマ皇帝のカイザルに敬意を表してカイザリアと呼ぶようになったと言われています。そのあと500年間ですね、ローマの総督府が置かれまして、ローマとの直行便が出入りする国際港となったわけです」
「ふうん、なるほど~」
「新約聖書の時代には、パウロが初めて異邦人(百卒長コルネオ)に伝道したところであり、また彼が2年間幽閉された後、上訴するためローマに出帆したのもここカイザリアでした」(使徒10章、27:2参照)
やがて、バスは半円形野外劇場の庭に到着です。まず、ポンテオ・ピラトスと書かれた石版を見学しました。石版といっても社長級の椅子の背もたれ位はあります。また首のない石像が何個か置いてあって、これは偶然近くのバナナ畑から発見されたもので、5世紀のビザンチン時代の道路に飾ってあったものであろうと・・・。
「ええと、中に入れば分かりますが、この石版はですね、あの円形劇場のロイヤルボックスから発見されたものです。ここに、ポンテオ・ピラトスと書かれています」
みな色めき立って一斉にシャッターを押します。倉田さんが申し訳なさそうに、声を落としておっしゃいました。
「実はですねえ、これ・・・・イミテーションなんですよ」
途端にどっと響く17人の笑い声。騙されたぁという心地よい雰囲気も漂って、まだクスクス笑っています。
「皮なめしシモンの家」と「ヤッフォ展望台」のヨッパから、約40キロ北上して古代カイザリアの遺跡に向かい、揺れるバスの中で倉田さんのガイドに耳を傾けます。
「・・・紀元前3世紀ごろ、ここはフェニキア人の小さな町でした。それをヘロデ大王が、紀元前22年から12年かけて壮大な港町に改築し、ローマ皇帝のカイザルに敬意を表してカイザリアと呼ぶようになったと言われています。そのあと500年間ですね、ローマの総督府が置かれまして、ローマとの直行便が出入りする国際港となったわけです」
「ふうん、なるほど~」
「新約聖書の時代には、パウロが初めて異邦人(百卒長コルネオ)に伝道したところであり、また彼が2年間幽閉された後、上訴するためローマに出帆したのもここカイザリアでした」(使徒10章、27:2参照)
やがて、バスは半円形野外劇場の庭に到着です。まず、ポンテオ・ピラトスと書かれた石版を見学しました。石版といっても社長級の椅子の背もたれ位はあります。また首のない石像が何個か置いてあって、これは偶然近くのバナナ畑から発見されたもので、5世紀のビザンチン時代の道路に飾ってあったものであろうと・・・。
「ええと、中に入れば分かりますが、この石版はですね、あの円形劇場のロイヤルボックスから発見されたものです。ここに、ポンテオ・ピラトスと書かれています」
みな色めき立って一斉にシャッターを押します。倉田さんが申し訳なさそうに、声を落としておっしゃいました。
「実はですねえ、これ・・・・イミテーションなんですよ」
途端にどっと響く17人の笑い声。騙されたぁという心地よい雰囲気も漂って、まだクスクス笑っています。
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